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三段目の棚

作者: 檜垣 梁

「それじゃ。今までありがとう」

 そう言って彼女がぼくの家から出て行ったのは、つい一週間前のことだった。

 半年間付き合って、別れた。


 大学の最寄りの駅前をぶらぶらあてもなく歩いていると、こんな時に限って久しい顔と会う。

「……」

 気まずい空気になりそうで固まっていたら、彼女はなにも気にしない風に声をかけてきた。

「よ、久しぶり」

 綾香と会うのは一年ぶりくらいだった。学部は違うけど、大学は同じで、前のバイト先で一緒に働いていた子。女の子というには大人び過ぎているけれど、女性というには子供っぽすぎる、そんな子。

 彼女はスーツを着ていたので、なんだかできる女性社員にも見えてくる。

 相変わらずスタイルの良さと目元の二重は健在だったし、一年前とほとんど変わらない髪型に、一年前より少し艶がある白い肌。ひととき、時間を忘れたように彼女のことを眺めていた。

「うん、久しぶりだね」

 彼女の存在を確かめる時間をゆっくりとってからぼくが返事をすると、

「見惚れちゃった? 私のこの姿に」

 なんて真面目な顔で言ってくる。前もよくあることだった。だから別に驚かないし、ぼくは綾香のそういうところが嫌いじゃなかった。

 一つ前の元カノ―ついこないだ『元』になってしまった―の荷物がぼくの家から撤去されてから一週間経つけど、今目の前にいる彼女の荷物が撤去されたのはちょうど一年くらい前のことだった。

「まあ、そうかもしれない」

 普段ならそんなことを言わないけれど、彼女にだったら変な誤解をされるようなことはないだろうと思い、表情を変えることなくそう返す。

 すると、彼女が「おや」と驚いたような表情をした。

「今日はやけに素直だね」

 曖昧に笑って流そうとすると、彼女が不意に核心をついた。

「なんか悩み事?」

 彼女は察しが良すぎる。

「……いや、久々だから褒めたくなっただけ」

 驚きが表情に漏れそうだったけれど、素直に驚くと負けた気がするので、どうにか平静を装う。

「ふうん、そっか」

 綾香につい最近別れた女の話をするのは何かずるい気がした。

 でも、長年彼女と一緒にいたから分かる。綾香はこういう時、必ずどこか場所を変えて雰囲気を変えようとする。

「ね、久しぶりにあそこの焼き鳥いこうよ」

 こんな感じで。

 彼女の指先は、駅の裏側の路地に向けられていた。それだけで何処のことを言っているのか分かる。僕らが付き合っていた頃によく行った焼き鳥屋。

 カウンター席だとアルコールが半額になる、あと店員が注文の時以外キッチンから出てこないから、カウンターでも話を聞かれる心配がないということで、行きつけだった。

「スーツに匂いついちゃうよ」

 一応行かない材料を作って彼女に提示する。

「そんな時のためにジャケットを入れる袋を用意しているんです」

 彼女がぼくの意見を上手くかわすだろうことは知っていた。だからこれはただの保険でしかなかった。綾香もそれは理解している。

「そっか」

 この一週間ほとんど人と話さなかったから、会話というものを誰かとしたかったのだ、ということを口実にぼくは頷いた。

 彼女にはなにも取り繕う必要がない、ということも後押しとなったし、単純に心が疲弊していて、誰かに慰めて欲しかったのかもしれない。

 彼女はぼくの首肯を見て、満足げに顔をほころばせた。


 店に入ると、背の高い僕たちは立ち込める煙を避けるようにカウンターの奥を覗き込む。

 店員はみんなキッチンの中にいるらしく、見当たらない。

 仕方なくレジ横にある鈴を鳴らすと、店長が奥の方から顔を出した。

「何名さま……」

 そこで言葉が切れ、わずかに表情を変えた。

「ですか?」

 けどそれも一瞬のことで、彼はすぐいつもの表情に戻った。

「二人です」

 ここの店員は客に興味がないと思っていたけれど、一年前頻繁にきていた僕たちのことは流石に記憶に残っていたのだろうか。

 店員の行動は、良くも悪くもあれから長い時間が経ったことを僕たちに再確認させた。

「お好きなところにどうぞ」

 軽く会釈して、いつものカウンター席に行く。彼女に確認してもいいけど、彼女もここでいいと思っているはずだ。

「ビールを……」

 注文を取りに来た店員に言いながら綾香の顔を覗くと、彼女は頷く。

「二つ」

「と、盛り合わせ二人前に砂肝一人前追加で」

 彼女が一年前と同じようにすらすらと続けた。

 店員がキッチンに戻ると、二人揃って店内を見回した。

「店長、私たちのこと覚えてたのね、意外」

「みたいだね。何回行っても対応変わらなかったから客は覚えない主義だと思ってた」

 指輪を外しながら僕は答える。

「まあ、珍しいから」

 彼女の言う通り、大学生が来そうなところではない。もうちょっと年齢層が高い、サラリーマンたちが多く集まる店だった。

 だからスーツ姿の彼女は一年前よりもこの場所に馴染んで見えた。

「なんか、大人っぽい」

「そう? あんまり言われないけど」

 店員がビールを目の前に置く。

 二人で小さく乾杯してから、ごくごくと呷る。

「綾香は童顔だから」

 童顔、と聞くと彼女は口を膨らませてタコみたいな顔をした。なんども言われているのだろう。でも否定はしない。

「だから一年前と比べて、ってこと」

 一年という期間は長くも感じられたし、短い気もした。付き合っていたという事実を忘れたように接すればいいのか、それとも終わった事実として割り切って話せば良いのか、正直図りかねていた。でも実際話し始めると、そんなことどうでもいいように思った。ただその時思ったことを言えばいいのだと。

「スーツだし」

 でも無意識に付け足していた。

「まあね。学校で就活の話を聞いてたんだよ」

 そう言って胸を張り、自慢げにスーツを見せびらかす。

 シャツが胸の膨らみに沿って彼女の華奢な体をよりスリムに魅せていた。最近全然飲んでいないせいでお酒がまわりやすい。

「大和は? 結局院進にしたの?」

「うん。そのつもり」

 焼き鳥盛り合わせが届く。その時、

「あ」

 彼女がぽかんと口を開ける。

「何?」

「大和、夜ご飯まだだった? よね? 食べてるならこんなに頼む必要なかったのに」

 ぼくは笑う。遅いでしょ。綾香はそういうところがあった。けれど久しぶりの感覚に、どうしてかツボに入った。

「うん、食べてないよ。だから大丈夫」

「いや、笑わないでよ」

「ごめんって。なんか久しぶりで」

 また笑いそうになったので、なんとか堪えて「食べよう」と彼女に促す。

「あんまり食べてないからお腹空いているし、早く食べよう」

 それから僕たちは近況を報告しあった。僕も最近のこと―一週間前に別れた彼女の話を除いて―を話した。

「ビールください」

 彼女は一杯目のビールがなくなるとすぐにビールを追加で頼んだ。いつもそうだった。綾香はカクテルとか酎ハイとかは好んで飲まなかった。僕はビールより甘い系が好きだったので、そんな彼女のことをかっこいいと思っていた。

「あ、僕カシスオレンジで」

 それを聞いた彼女が、僕の方を振り向く。ああ、そうだったね。という風に。

「いいね、この感じ久しぶりだ」


 ***


 初めて彼女と話したのは、バイトの飲み会の時だった。

 乾杯をした後、騒ぎたい人はそういう人同士で集まっていた。ぼくは静かに飲みたい派だから、端の方で食べ放題の唐揚げをつまみながらゆっくりカシスオレンジを飲んでいた。

「騒がしいね」

 ぼくがちょうど一人になったタイミングで現れたのが彼女だった。その時は名前を知っていて話したことがない程度の付き合いだったけれど、場所が場所だし「なんでぼくに?」という違和感はなかった。だから友達のように返す。

「うん、楽しそう」

「さっきからずっとカシオレ?」

 彼女の質問にぼくは頷く。

「好きなんだ、ここの」

 その店のカシオレは甘ったるくて、ぼく好みだった。だから一人で五杯も飲んでいた。

「へえ、甘いもの好きなんだ」

 彼女がぼくの隣に腰を下ろす。甘いものっていうか、カシオレが、なんだけど。

「安西さんは? 何飲んでるの?」

「ビール」

 彼女はほぼ空のグラスを目の前で振った。

「きみこそずっとビールだね」

 彼女がさっきまで座っていた女性が多いテーブルで、ビールを飲んでいたのは彼女だけだったと思う。

 その時、皿を片付けに店員の男性が部屋に入ってきた。

 まとめてあった皿を渡し、戻る前に注文をする。

「カシスオレンジと」

 彼女の方を向くと、

「ビールお願いします」

「かしこまりましたー」

 そう言って店員が去っていくと、彼女が嬉しそうに微笑んだ。

「私はね、ビール好きなの」

「苦くない?」

「それがいいんじゃない」

 彼女は笑いながら反論する。何がそんなに楽しいのだろう? 酔ってるのかもしれない。

 けどまあ美人を笑わせられて嫌な気持ちはしない。だからぼくは話を続けた。

「一杯目は分かるよ。けどすぐ甘い飲み物が欲しくなるんだよ」

「合わないねえ」

 彼女そう呟いた。決して残念そうではなかった。むしろ幸せそうな笑みを浮かべながら。

 自分たちが飲んでいるドリンクの良さを永遠に言い合っている割に、ぼくも甘い飲み物を彼女に勧めることはなかったし、彼女もぼくに二杯目以降のビールを勧めてくることはなかった。

 彼女と二人で飲みにいくようになったのはそれがきっかけで、付き合うのに時間はかからなかった。


 ***


「大和は相変わらずカシオレだね」

「好きだからね」

「私に合わせてビールにしたりしないの?」

 今まで何度も聞かれた質問。本音を言う瞬間。

「しないでしょ? 飲みたいもの飲もうよ」

 僕がそう言うと、彼女は何かを咀嚼するみたいにゆっくり頷いて、

「ところがね、世間一般はそうじゃないんだよ」

 と呟いた。

「急に話広がるね」

「いいでしょ。私の愚痴は珍しいよ?」

 確かにそうかもしれない。彼女は彼氏でもない人に、愚痴を漏らす人じゃない。

「そっか、うん。じゃ続けて」

「私が一緒に飲んだらさ、みんな無理してでもビール飲もうとするんだ。なんでなんだろうね?」

「合わせたいか、甘いものばっかり飲んでて可愛らしいって綾香に思われたくないからでしょ」

 気持ちはわからなくもない。特に、綾香はモテるから。でもそんなの気にしてたら楽しくないから、好きなものを飲むけど。

「そんなものなのかな。男の人の気持ちわからない」

「そんなもんじゃないの? みんな結構人に合わせて、好きな人の行動に心を動かされてるから」

 自分のことを言っているわけではない。


 そのあとも、ここ一年の話をしたりした。基本的には彼女が話すのを僕が聞くかたちだったけれど、僕も少しだけ最近のことを話した。留年になりそうだったけど前回のテストを頑張って何とか院試を受けられること。彼女が辞めてからのバイト先のこと。

 でもやっぱり、彼女に振られたことは言わなかった。彼女も、僕が何かしら隠していることがあることに気づいていただろうけれど、何も詮索してこなかった。

 というか、僕が話すまでもなく、一年間連絡をしていなかった彼女の話は尽きなかった。他人に遠慮するタイプだから、話したいことが溜まっていたのかもしれない。

 僕たちの話が途切れたのは、店員にラストオーダーの確認をされた時だった。


 会計を済ませて店を出る。

 彼女を駅まで送ろうとして、はっと気づく。

「終電は?」

「もうとっくに終わってるよ」

 彼女は何を分かりきったことを、と笑いながら答える。

「だよね」

「ほら、行くよ」

 彼女が歩を進め始める。

「え、どこに」

 向かっているのは僕のアパートの方。

「飲むよ、まだ」

 彼女はお酒に強かった。

「え、いいの?」

「何が」

「いや……」

 彼女の背中を追いながら色々と言いたいことを整理しているうちに、駅から近い僕の家にすぐにたどり着いてしまう。

「あ、お酒ある?」

「あるけど」

 僕はやけになって答えた。

 エレベーターで五階に上がる。さっきまでは気付かなかったけど、エレベーターのような小さな箱に二人になると流石に気づく。

「嫌じゃないの? 元彼の家に来るなんて」

 部屋に入る頃に、ようやくまとまった気持ちを言葉にする。

「何の心配。ダメなら大和止めたでしょ」

「まあ、来るのはいいけど、それより……」

 付き合ってもいない男女が酔った状態で家に、そういうことを彼女は気にしないのだろうか。

 伝わらないものかな、と思っていたらちゃんと伝わっていたらしい。

「私が襲われるとか? それこそない。大和そんなことできないでしょ」

 言いながら彼女が机の前に座る。あまりにも無関心そうに返すから、笑ってしまう。

 彼女に返すものもあるし、まあいいやと思った。

「いや、それはそれで傷つくんだけど」

 間違ってないけど。流しの下の物置を開き、お酒を探す。確かビールもあったはず……

「はい、ビール」

 冷蔵庫に入れていなかったせいで生ぬるいビールを彼女の目の前に置く。

 僕はそんなにビールが好きではないから、冷蔵庫に常備されていない。冷蔵庫にあるもの言えば、缶チューハイと日本酒くらい。

「ありがとう、うわ、冷たくない」

 手に取った瞬間、綾香が顔を歪める。

「仕方ないだろ、普段飲まないんだから。それで我慢して」

 今出したビールも綾香がこの家によく来ていた時に買ったものだし。わざわざ言わないけど。

 僕は酔いが回っていたので、冷蔵庫から冷えた麦茶のボトルを出し、グラスに注ぐ。

 綾香がプルタブを開け、口をつける。

「これ。置いていったよ」

 忘れないうちに、と思ってパソコンデスクの隣にある引き出しを開ける。ごそごそ中を探り、目的のものを見つけた。

 厚みのある小さな黒色のリング。表面に溝があり、白色で何か文字が書かれてあった。

 綾香と別れて全ての荷物がなくなった後、彼女が使っていた棚の中にポツンと残っていたのだ。泊りにきた時のために着替えを入れていた、三段目の棚。僕があげたものじゃないから突き返されたわけじゃないと分かっていたけれど、別れてすぐだったので連絡するのが気まずくて放置してしまっていたもの。

 見た途端、目が大きく開かれる。

「大和の家にあったのかー」

 教えてくれれば良かったのに、とは言わなかった。連絡しにくいのはお互い様だったから。

「どこに忘れてた?」

「タンスの中」

「ああー、そうかー。三段目? 全部確認したと思ったんだけど……」

「そう、それだけ端に残ってた」

 一段目と二段目は僕が使って、彼女には三段目を開けていた。今は空っぽな三段目。

「ふふっ」

 彼女が笑いながらその指輪をはめる。

 途端、僕の頭の中で何かが刺激されたような気がした。その曖昧なものは、どんどん鮮明になっていって僕の記憶を震わせる。


 彼女と初めて話したあの日、確か彼女はその黒いリングをつけていた。

 ――邪魔じゃない?

 僕は彼女がつけている厚い指輪が、グラスと当たっているのを見て思わず尋ねた。

 ――いいの。気に入ってるの、これ。外したら無くしちゃうし。そういう君は飾り気ないよね?

 ――これ。邪魔になるからさっき取った。

 そういって後ろのポケットから銀の指輪を取り出す。

 ――そんなに? って、それ細いでしょ。そんなに気になる?

 ――グラスに当たってたらこれすぐに冷たくなってくるから。


 自分がはめている指輪を見ていると、

「今は誰か使ってるの? その棚」

 彼女はあえて遠回しに聞いているのだろう。好奇心、とかじゃない。話のきっかけを作ってくれているだけだ。そうじゃないかもしれない。でも、なんとなくそんな気がした。

「ううん、空っぽ」

「そっかー」

 綾香は僕の目を見つめてくる。吸い込まれそうな大きな瞳。彼女はなんとなく分かっている。その上で話しやすい雰囲気を作ってくれている。素直にありがたいと思った。同時に、懐かしいと思った。

 綾香はどうして人のことが分かるんだろう。会った時から。

 これのために一緒に飲んでくれて、僕が話す気になるまで付き合ってくれて。

 どうしてそんな僕のことが分かるのだろう。

 止まる。

 何を考えた、今?

 いま自分の中でぼんやり浮かんだことに、恐ろしくなる。

 別れたの先週だぞ。おかしい。酔っているでは片付けられないこと。

「なに、悩んでるの? 大和」

 急に固まった僕を驚きの目でみていた綾香が、しばらくして穏やかな声を出す。

 出かかった気持ちを無理矢理押さえ込んで、罪悪感を振り切るように話し始める。

「振られたんだ」

 綾香は、やっぱり何かあるんじゃん、とか知ってた、とか何も言わずにただ頷いてくれた。

「急に、言われたんだ」

「理由は?」

 彼女の優しい声。

「他に気になる人できたんだって」

 綾香が変な顔をする。

「僕のペースが分からなくて、一緒にいても楽しくなくなってきたって。合わせるの、苦手でしょって。否定できなかった」

 酔いが回っていたこともあって、この一週間抑えてた気持ちが吹き出して止まらなくなる。

「マイペースすぎるんだよな、自分。それで知らないうちに傷つけて。傷つけたのにも気づかない。最低だよ。そりゃ、他の人に行きたくもなるわな」

 こんなこと、情けなくて人には言えない。綾香はやっぱり人の話を聞くのが上手い。

「やっぱ優しいね、大和は」

「いま僕が最低って話ししてるんだけど」

「まあ、大和のペースが苦手な人もいることは確かだろうけど」

 身に染みて感じている。別れる時に散々言われたから。

「けど、何かと我慢してたことあるんでしょ? 大和も」

 綾香のそのひとの心を読み取る力に救われる。

 わがままと思われそうで、人に言えないような愚痴。人に言うほどでもないと思っていること。それを引き出してくれるような温かみがあった。

「家事とか言っても手伝ってくれないし、それはたしかに僕の家だから手伝ってもらえるの当たり前じゃないって思ってるけど、ちょっと、ね」

 少なくとも、綾香は最低限手伝ってくれていた。でも前の彼女は別の人だから。そんな声が聞こえてきそうで、言わなかった。

 言えば言うほど、振られたショックが和らいでいくように感じた。こんな風に愚痴を聞いてくれる人間と、どうして距離を取ってしまっていたのか今更のように後悔した。

 喧嘩別れではなかったのだから、もっと早く友達として話してればよかった。

 まあ、そんなこと言っても仕方ないんだけれど。

「終わり」

「え、もう?」

「こんなもんでしょ。もう大丈夫。吹っ切れた」

「そっかー」

 しばらく沈黙が続いた後、彼女が何かを決めたような顔をした。

「私ね、好きな人がいるの」

 焦る。さっき、口に出さなくて良かった。

「すごく良い人でさ。いつも優しいし、性格いいんだ。でもさ、やっぱり無理して合わせてくれている感じが抜けないんだよね。だから分かんなくなっちゃった」

 彼女も僕と同じように、抱えてたものがあった。全然分からなかったけど。彼女は一人で抱え込むタイプだったことを、今更思い出す。

 彼女の話は、また途切れなかった。しまいには、彼女は瞳に涙をためながら何か演説していた。僕も彼女も相当に酔いが回っていたのだと思う。

「んあー、なんか話疲れちゃった」

 しばらくして彼女の話が途切れると、大きく伸びをした。

「ちょっと、トイレ借りるね」

「うん」

 説明しようとして、止まる。そんな必要なかった。


 寝てしまっていたらしい。

 気がつけば、空が明るんでいた。

 彼女も隣でスヤスヤと寝息を立てていた。

 彼女を起こさないようにベランダへの扉を静かに開け、外に出る。

 春になりきれていない朝の空気は冷えていて、なんだか澄み渡っていた。

 酔った状態で寝たせいで、頭が痛い。なのに、なんだかスッキリしていて、気分ははれやかだった。

 胸の奥が重くて、あつい。完全な二日酔い。それなのに、ここ一週間で一番いい目覚めだった。

「なんか、きもちいいね」

 気がつけば、彼女も起きて、窓から出てきていた。

「聞いてくれてありがとうね」

 そんなことを言う彼女の顔は、髪もボサボサでメイクもしていなかったけれど、確かに昨日より魅力的に見えた。

「こちらこそ」


 始発の時間をとっくに過ぎていたので、家を出て駅に彼女を送っていく。

 電車は人身事故で遅延していると放送が流れていて、人があふれていた。

 彼女を誘うのはルール違反だと思っていることさえ、勿体無いと思った。


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― 新着の感想 ―
[一言] 理想論ですけど、合わせるよりも合うほうがうまくいくのではないでしょうか。
2019/05/21 17:31 退会済み
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