第捌拾弐巻 典人サイド 心平気和(しんぺいきわ)
第捌拾弐巻 典人サイド 心平気和 (しんぺいきわ)
早朝。
薄い靄の中。
日の光が幾筋か霧を貫き、地面へと届き、朝露で草木の葉が濡れきらきらとした瑞々しい輝きを放ち始める。
やがて薄霧は晴れ、それはまるで幕が上がるかのように自然の日が昇るごと、徐々に色を濃くしていく。
「んっ」
典人は朝の穏やかな陽光に顔をくすぐられて目を覚ました。
突然目に飛び込んできた光の眩しさに軽く右手を挙げて目の前に翳して光を遮る。
「ふぁあああ、朝か? 良く寝た」
それから起き上がり、徐に典人は大きく伸びをした。
清々しい朝だ。
まだぼんやりとした思考で周りをみわたせば、すでに女の子たちは起きてそれぞれに動き始めていた。
実際の所を言えば、冒険者に扮した野盗達の後処理で眠っていなかったというのが本当の所であるが、皆、そのような態度、おくびにも出す様子はなく、典人が気付く由もない。
「おはようございますご主人様」
近くにいて、典人が起きたことに一早く気づいた『小豆洗い』の梓が、そのクリっとした大きな瞳といつものはにかむような笑顔で朝の挨拶を典人に向けてしてくる。
「「おはようございます。典人様」」
「おはよう。みんな早いね」
それに続いて朝から女の子たちの華やかな挨拶の声が、清々しい青空の下、緑の森沿いの道の空き地に響く。
「よく眠れましたか?」
「うん、なんかいつもより深かったみたい。昨日は起きてられなくてスーッと気を失うように眠っちゃったよ。連続で森の中を歩いてたからさすがに疲れが溜まってたかな? それにやっとこの世界の人達にも会えたしね」
「そうかもしれませんね。ぐっすり眠れたのであれば、ようございました」
右手を口に当てて控えめにクスクスと笑う。
梓のそのしぐさの可愛らしさと、自分だけがぐっすりと眠っていたという いろいろな意味からか、典人の顔が少し赤くなり、思わず指で頬を掻く。
典人だってこの異世界に呼ばれる直前、夏休みを利用して歩き旅をしていた。
親切な老夫婦に家に泊めてもらった時は兎も角、何日かは河原や橋の下で野宿も経験している。
だけど、野宿でここまで熟睡はできなかった。
日本はかなり安全な国とはいえ、初めての場所、しかも外で寝袋で寝るのはやはりどこか緊張するものである。
ちなみに普段、 砦では『枕返し』の鞍魔や『布団かぶせ』の布風が快適な寝室を整え、『薬缶吊る』の冶架が寝る前によく眠れるリラックス効果のある薬湯を出してくれ、『石妖』の清瀬がマッサージをして疲れをほぐしてくれるという何とも至れり尽くせりなうらめ……うらやましい環境で日々過ごしていた。
「んっ、あれ? そういえばゼフトさんたちは?」
「何でも先を急ぐとの事で、朝早く起きて一足先に出発されました」
典人がまだ寝起きのボーッとした頭で辺りをキョロキョロと見回していると、『藤原千方』の『金鬼』である千金が傍に寄ってきて、その疑問に答えてくれた。
「そうなんだ。昨日はそんな事言ってなかったのになあ。もう少しこの世界の事教えてほしかったな」
「……そうね。もう少し聞き出しておけばよかったかも」
『覚』の慧理がその言葉に同意する。
「えっ?」
けれど、どこか違うトーンに典人は疑問の表情になった。
「……こちらの話」
「そうそう、何でもない何でもない」
そこへ更に射鳥が入ってくる。
「そうか?」
「「「「「「そうそう」」」」」」
「それより早く起きて朝ごはん食べようよ」
「今、朝餉の用意をいたしますね」
そう、射鳥と梓に促され、にこやかに朝食の準備を始めるべく、典人も動き始めた。
「典人、いい加減しゃっきりしなさいよ。あっ、勘違いしないでよね。あたしが起こしてあげられなかったのが残念だなんて思っているわけじゃないんだからね!」
『磯姫』の姫埜から声が飛ぶ。
「はい、御館様、これで顔を拭いてください」
それを横に聞きながら『藤原千方』の『水鬼』である千水がにこやかに濡れた手ぬぐいを差し出してきた。
「今朝はお粥です」
梓が木のお椀と匙を典人に差し出す。
「皆ありがとう。昨日はゼフトさん達この世界の人、しかも本物の冒険者にあえて興奮して食べすぎちゃったから、ちょうどよかったよ」
典人が受け取り、早速とばかりに木の匙で掬い、フーフーと冷ましてから掻き込む。
「いかがですか典人よぉ? 朝採れたての山菜ですよぉ」
「うん、美味しいよ麗紀さん」
このお粥は『木霊』の麗紀が採取した体に良い草や解毒効果のある草、味の良い山菜などを混ぜた薬草粥である。
胃にやさしいだけでなく、昨夜盛られた睡眠薬の身体への影響も打ち消してくれる効果があった。
典人は全く気づいてはいないようだが。
「今朝はなんだかいつもより調子が良いや」
「それは何より。よく眠れたおかげだね」
『シバカキ』の遥が、同じく粥を啜りながら相槌を打つ。
「それもあるけど、やっとこの世界の人に会って、話が通じると分かったから、安心したおかげで力が抜けたのかな?」
「それもあるかもね」
「もしかして片付けもゼフトさんたちがしてくれちゃったの?」
そうだとしたらさすがに申し訳がないといった表情で典人が尋ねる。
「いえ、後片付けは私たちがしました」
麗紀がのんびりとした口調で答える。
「そうなんだ、ありがとう」
「いえいえ」
「熟睡してて全然気が付かなかった。御免、俺手伝わなくて」
「ノリト、気にしない!」
『キュウモウ狸』のキキが明るく返す。
「森の中ならいざ知らず、街道沿いだから骨や残りはきちんと埋めて処分しておかないと、肉食の動物が出てきちゃうかもしれないからね」
「ふーん、そうなんだ」
遥の話を聞きながら、残りのお粥を掻き込み終える典人(のりと。)
「ああ、忘れるところでした。幾許かの路銀をあの方達からいただきました」
千金が報告する。
嘘は言っていない。
「いただいた」というのが、貰ったという意味ではなく、剥ぎ取ったという意味なだけで。
「ゼフトさん、本当に良い人達だったな」
「……本当に良い人達だった」
「また会えると良いけど」
「……遠い所へ旅だったから無理」
慧理が呟く。
「えっ?」
「……なんでもない」
微妙に噛み合っているようで噛み合っていない会話である。
「さあ、そろそろ支度して行きましょうか」
梓が、なんとも奇妙になった空気を変えて言う。
「う、うん。そうだな。行こうか!」
それに気を取り直した典人が皆に向かって出発の意思を示した。
「「はい!」」
皆が返事を返す。
女の子たちの良い笑顔に促されて、今日を始める典人であった。




