第漆拾壱巻 気にしない
第漆拾壱巻 気にしない
「突撃ぃ~!」
砦内の石造りの長い通路を、『雷獣』のらいちが、雷を全身に纏いながら駆け抜けていく。
「しびびびびっ!」
「あがががががががっ!!」
途中の廊下を歩いていた幾人かの野盗の男たちは突然の後ろからのらいちの不意討ちによる突進に、逃げ場もないまま為す術もなく感電させられていった。
死には至ってはいないものの通路には痙攣した男たちがピクピクと床に転がって跳ねており、さながら陸に打ち上げられた魚を思い起こさせる。
「一丁上がり!」
廊下を駆け抜けたらいちは振り返ると、満面の笑みを浮かべて片手を上げドヤ顔を決めた。
「やれやれ、我の出番がまるでなかったのじゃ」
その後ろからはまるで足元からピコピコという擬音が聞こえてきそうな和装の童女が、倒れている男達を気にした様子もなく歩いてくる。
『山姥』の麻弥刃であった。
「えへへっ、凄いでしょ」
「ふむ、確かにすごいのじゃ。まあ、今回は仕方ないのじゃ。我の出番がなかったが、切り札は温存しておくとするのじゃ」
さして残念そうな様子もなく麻弥刃はそう言うと、らいちの頭を撫でている。
のはよいのだが、傍から見ていれば、見た目中学生くらいのらいちを、見た目小学生中学年程の麻弥刃が背伸びをして懸命に撫でているようにしか見えない光景は何とも心が和む。
「えへへっ」
らいちも嬉しそうだ。
童女が少女を撫でている姿には微笑ましいものがあるが、その前には幾人もの野盗の男達がピクピクと床でのたうち回っているという異様な光景が広がっていた。
さらにそこへ。
「らいちちゃ~ん! まやはちゃ~ん!」
声がかかる。
麻弥刃とらいちが振り向くと、自分たちが来た通路のさらに奥から手を繋いで歩いてくる『木の子』の木の実と『機尋』の千尋の姿が見えた。
笑顔で千尋と手を繋ぎ、もう片方の手をブンブンと勢いよく振っていた木の実だったが、途中から千尋の手を離して走り寄っていく。
「ぐへっ!」
「うぷっ!」
先ほど麻弥刃が野盗の男達にたいして「倒れている男達を気にした様子もなく歩いてくる」と評したが、それでも障害物を避けるくらいの感覚で歩んでいたのに対し、木の実は無邪気に気にせず、男達を踏み越えてきた。
「のがっ!」
「ごへっ!」
次々と倒れている男達が、まるで飛び石を跳ねて楽しむかのように木の実に踏みつけられていく。
「はあああ!」
……一部、奇妙な声も混じっていたが。
「あれっ? 木の実ちゃん、藻美慈さんと一緒に『亀の巣穴』に行ったんじゃなかったの?」
「うんとね、うんとね、ちひろおねえちゃまが、あたらしいおようふくをつくってくれるんだって」
らいちの疑問に、嬉しそうに手を振り回して木の実は答える。
「なんじゃそれは???」
「珠奇さんが木の実ちゃんに頼みたいことがあるそうで呼ばれてまして」
麻弥刃の意味不明だと言わんばかりの表情に、木の実の後ろから歩いてきた千尋が苦笑しながら答えた。
「そうか」
もちろん、倒れている野盗の男達は避けながら。
「それにしても随分と倒しましたね」
「えっへん。わたし、えらい? えらい?」
「ええ、とても」
「えへへっ」
「にしてもなのじゃ、ひい、ふう、みい、よ、いつ、むう、なな、や。8人か。さて、全員運ぶのはちと面倒なのじゃ、何人かこの場で……」
「だいじょうぶだよ! わたちにまかせて。えいっ!」
木の実はそう言うが早いか、『分け身』を使って10人に増えていた。
「じゃが、我なら兎も角、おぬし一人で運ぶのは荷が重いじゃろ? それとも二人で担ぐのか? それならば、まあ……」
「こうするの!」
麻弥刃が施行していると、10人の木の実のうちより2人がてててっと近くに倒れている男に駆け寄ると、それぞれが片足ずつを持ち上げ引きずり出した。
「なるほどね、木の実ちゃんたちペアで5人、わたしたちで一人ずつで、これで8人か」
『『うん!』』
らいちの納得に、そう元気よく返事をすると木の実たちは次々と男達の足をペアで持って引きずり出した。
「あっ、でも珠奇さんの所へ行くには階段が……」
そう千尋が言いかけるが、先頭の木の実のペアは気にした様子もなく階段を上り始めた。
「へいきだもん!」
「のぼれるもん!」
「やっ、やめ、うがっ」
足を持たれ引きずられたままの男はそのままガコンガコンと頭と言わず身体と言わず階段に打ち据えられたまま上の階へと運ばれていく。
それからも次々と後続の木の実ペアが、男達を引きずったまま昇っていった。
「ごげっ! うぎゃっ! ぐへっ!」」「やめっ! ががっ! ぐぎゃっ!」
「はああ! うおおおっ! うっ!」
……一部、奇妙な声も混じっていたが。
残された三人は顔を見合わせ、お互い苦笑いをしてから残った男達を運ぶべく動き出した。
◇
砦内の別の通路。
「待ちやがれ!」
「ちっ、何てすばしっこい小娘だ!」
「兎人族だからな。逃げ足は速えんだろよ」
一方では浴場近くの通路で野盗の男たちが、一人の少女を追って砦の廊下を走っていた。
追われているのは『ケセランパサラン』の世良である。
男達を見るなり、文字通り脱兎の如く背中を見せて逃げ出した少女へと、見つけた野盗の男達は我先に向かって走っていく。
「あの角を左に曲がったぞ!」
「布の下がっている部屋に入ったぞ」
「しめたぜ。これで逃げ場はねえだろ」
「ああ、そうだな」
男達はもう袋のネズミ、いや袋のウサギだと言わんばかりに速度を上げ部屋へと突入する。
「もう逃げ場はねえぞ!」
勝ち誇った表情を浮かべた男達が、次々と入り口に垂れ下がっている変わった紋様の描かれた布を押しのけ室内へと雪崩れ込む。
男達は知る由もなかったが、そこは大浴場であった。
だが、追い詰めたと飛び込んだ先で、先頭の男が目にしたのは兎耳の少女ではなく、しっとりとした椿色、明るい紫がかった赤色の髪を持つ、追いかけていた少女よりは大人びた色白の少女。
「杖術『玉椿』!」
「ぐはっ!」
脱衣所の中にいたのは『古椿の霊』の小椿であった。
小椿は巧みな杖術で次々と入ってきた男達を叩きのめしていく。
「ひっ!」
仲間が次々と打ちのめされていく中、運よく小椿の杖の攻撃範囲から転がり部屋の中に飛びのくことのできた一人の男が咄嗟に浴場の方へと逃げ込んだ。
だが。
男が入ってすぐ目の前に少女が現れた。
それを視界にとらえたと同時に喉の辺りに鋭い痛みが走る。
そして。
「ぐはっ!」
男の喉から下あごに強烈な一撃が咥えられ、男は宙に浮きあがって背中から落ち、石の床へと叩きつけられた。
赤い血溜まりが、石造りの床に広がっていく。
見れば、それは『垢舐め』の亜華奈であり、その彼女が男を蹴り上げていたのである。
太腿も露わに頭よりも高く振り上げられ、艶めかしく伸びた素足の先に鋭く伸びた鉤爪からは赤い鮮血が滴っていた。
その目の前には野盗の男が仰向けに倒れ、切り裂かれた喉からは血を流している。
同じ足技に秀でた『馬の足』の魔埜亜が一撃の蹴りの威力に特化しているのに対し、亜華奈の足技はそのつま先に鋭く伸びたやや鉤爪状の鋭い爪を生かした柔軟な足技で相手を切り裂く戦い方にその特徴がある。
今回は相手の正面に現れると同時に蹴りを横一線、男の喉を切り裂き、次に振りぬいた足を戻し、下から上に蹴り上げるという動作を流れるように行なった。
「おうおう、亜華奈っち、大胆だねえ」
浴場の入り口から入ってきた『ろくろ首』の麓毘が囃し立てるように亜華奈の大胆にも高々と足を振り上げた今の姿を茶化す。
「麓毘さん」
亜華奈は太腿も露わに振り上げていた脚を降ろし、倒れ伏して動かなくなった野盗の男を見やると、いつもの穏やかだけど何処か艶めかしい笑みに戻っていた
「どうやら、大将首は天音っちが取ったみたいだよ」
「そうですか」
「ただ、野盗連中の頭領に木埜葉っちが怪我を負わされて、それに静かに激怒した天音っちが単身で挑んで大分無茶をしたらしくて自分も倒れたみたいだけど」
「面倒見の良い方ですし、仲間意識の強い方ですから、何となくそれは想像できますね」
亜華奈は麓毘の話を聞きながら、血に汚れてしまった足先を水で洗い、脱衣所に戻る。
「世良ちゃん、囮役お疲れさまでした」
「えへへっ、これくらいならお安い御用ですよ」
丁度そこには小椿に頭を撫でられ、屈託のない笑顔で世良がウサ耳をピョコピョコとさせながら喜んでいる姿があった。
「「突けば槍 払えば薙刀 持たば太刀 杖はかくにも 外れざりけり」ですか。広い屋外でも狭い屋内でも対応が利く見事な技ですね」
たまたま、奇襲組を見送ってから砦内を見て回っていた『角盥漱』の湖真知が脱衣所の奥におり、感心したように感想を述べた。
だが、湖真知のその姿はその性質上なのか、盥を抱えているため、この場では見回ってきたというより、湯を浴びに来たと言った方がしっくりきそうである。
「あれもハニートラップと言うのでしょうか?」
その隣りには『洗濯狐』の月世も盥を抱えて立っていた。
こちらは洗濯物で山盛りになっている。
「あれはハニートラップと言うのではなくてバニートラップと言うのではないかと」
更にその隣りでは『油徳利』の由利が、月世の素朴な疑問に答えていた。
「う~ん、蜂使いの小椿さんもいますし、ハニートラップでもいいような気が」
更に更にその隣りでは『瓶長』の芽梨茶が、割とどうでもいい由利のボケに真剣に悩んでいる。
脱衣所の中には 数人の女の子たちがおり、先ほどまで外にいた月世や由利や芽梨茶も『硯の精』の鈴璃の指示通りに応援に来ていた。
「何れにしても使い方が間違っていますね」
隣りの三人の会話を湖真知が総括している。
「ところで、亜華奈さん。素朴な質問なんですけど」
「何ですか?」
左手を身体にピッタリと着け、右手をピッと真上に挙げてする麓毘のいつもと違う口調に亜華奈が首を傾げつつ応じる。
「わざわざ浴場まで誘い込む必要、あったんでしょうか?」
「きっ、気分の問題です」
その茶化す気満々なニヘラとした口調で麓毘に思わぬところを突かれて、赤面しながら答えると、ごまかすように数歩歩み出る。
「さっ、さて、お片付けをしましょう」
亜華奈がパンパンと手を叩いて皆の注目を集めた。
「皆さん、『粗大ゴミのお掃除』が終わったら、今度は『拭き掃除』の時間ですよ。現代日本に生きる垢舐めとしてはルミノール反応が出ない程に綺麗にしておきたいものですね」
見惚れる程の妖艶な笑みを浮かべて亜華奈が皆に告げる。
痕跡を残さない、完全犯罪宣言であった。




