第漆巻 気恥ずかしい
第漆巻 気恥ずかしい
「んんっ」
朝の陽ざしが室内に入ってくる。
室内と言ってもカーテンが有る訳ではないので、典人の顔に容赦なく朝の到来を自己主張をしてくる。
とはいってもここ数日の日本の蒸し暑い猛暑に比べれば格段に過ごしやすく心地の良い朝を迎えたと言える。
どうやら、典人の案内された部屋は東向きに位置していたようだ。
最も、この異世界が元の日本と同じ時間間隔や気候であるかは現段階では典人には分からないのだけど。
「ふわあぁぁぁ」
大きな欠伸を一つ。
左手で日差しを遮るようにしてから薄目を開ける。
それからしばらくして、モゾモゾと寝袋を開き徐に上半身を起こして大きく伸びをする。
「……やっぱり、夢じゃない……か。すこしは夢オチも期待したんだけどな」
室内を見渡して1人呟く。
それから着ていたズボンに財布と手帳があることを確認してから、室内を見回して自分が持っていた凹型リュックを見つけると、それを引き寄せて、大まかだが徐にゴソゴソと中身を確認し始める。
寝袋と虫よけ効果のあるレジャーシートは現在使っているから良いとして、頭の横には手回しとソーラーで充電できるカンテラ型のLEDライトがある。
典人は真っ先にリュックの横に取り付けてあった水筒を手に取り、開けた蓋をコップに水を注いで飲み干す。
水は今のところ日本ならどこの水道水でも安全(何時までもつかは分からないけど)だから、公園ででも汲めばいい。そう典人は考えていた。
こういう処は助かる。良く父親が仕事で海外に出張に行くのだが、大都市でも住んでる人たちは飲み水は別に買っているというし、自分も両親とツアー旅行に行った時、現地のツアーコンダクターの人からホテルの水でも備え付けのポットで沸かした水以外は飲まないようにとの注意があった。曰く、日本人はお腹を壊す可能性が高いとのことだった。
後は湧き水とかあればそれでコーヒーとかスポーツドリンクとか作って飲んでみたい。それもこういう旅の仕方の楽しみ方であろうと典人は期待していた。
実際に、今回の旅で立ち寄った見知らぬ滝つぼで、水を汲ませてもらいスポーツドリンクを作って飲んでみたりもした。
一応、念の為に、海外旅行用に父親が用意していた携帯用濾過器も持って来ているが、あまり必要ないだろうと思っていた。
だが、この異世界なら場合によっては使うかもしれない。
もっともどこまで役に立つかは未知数だろうがとも典人は思っている。
リュックのすぐ出せる場所に折り畳み傘ともしもの時の寒さ対策も兼ねてのビニール製のレインコート・ミニタオルとティッシュ。
その他にはリュックの中に着替えと下着が数着。夏は嵩張らないのが助かった。
あとは、石鹸・ミニボトルのシャンプー・洗顔クリーム・粉洗剤・汗疹対策にベビーパウダー・救急セット・タオル・サバイバルキットに昔、作りが面白くてお爺ちゃんから貰った十徳ナイフ……。
それに、重量軽減と旅費の節約に自炊を擦る為のキャンプ用調理器具や食器類。粉のスポーツドリンクとコーヒー、小袋包装された砂糖・塩・醤油・味噌・ソースなどの調味料、栄養補助食品・お菓子・袋麺・カレールー・缶詰類・米……。
残るは家族や友人へのお土産と言ったところか。
そう言えば、昨夜は結局夕食は何も食べずに眠ったことに改めて気が付く。
一先ず、スティックタイプの栄養補助食品を一つ取り出し、水と一緒に食べる。
そして、食べながら持ち物確認を続けていると扉を三度、ノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
典人は荷物の確認をしていた手を止めて扉の方に視線をやり声を掛ける。
「「「おはようございます」」」
三人の声が揃う。
典人を起こしに来たのだろう。座敷童、小豆洗い、垢舐めが扉を開けて室内に入ってきた。二人は礼儀正しくおしとやかに、もう一人は元気よく愛らしく。
「おはよう」
朝から美少女三人のモーニングコール。典人の顔も自然と緩む。昨夜、自分たちは魑魅魍魎であると明かされていても、そんな事どうでもいいかと思えるくらいのレベルの高さのラインナップである。しかも、多分だが、パッと見た感じでも残りの女の子たちも期待できるのは間違いなさそうだ。
「塩結びですが、何もなくて申し訳ありません」
小豆洗いがはにかむ様にお盆に乗せたおにぎりを三個、典人の前に差し出してくる。
(かっ、可愛い)
「あっ、ありがとう。気にしないで。これ、小豆洗いさんが作ったの?」
お盆の上から塩結びの乗ったお皿を受け取ると、出来たてであろうか一個ホカホカと湯気を立てている塩結びを手に取ってから典人は礼を言う。
「はい。お米のとぎ方から握るまで、ちょっとは自信があるんですよ」
「小豆洗いちゃんのお結びはものすご~く美味しんだよ! わたしはね、小豆飯で握ってくれたのが大好き!」
「そうなんだ」
座敷童の微笑ましい解説に、またも自然と頬が緩む。
朝食を作ってもらえるとは思っていなかった典人はおにぎりでも十分有り難かったのである。
手に取っていたホカホカのおにぎりを口に運び、一口かぶりつく。
「うまい!」
「でしょう。小豆洗いちゃんはすごいのぉ!」
座敷童のその言葉に小豆洗いははにかんで真っ赤になり口元をお盆で隠す。
正直ここまでとは典人は思っていなかった。
テレビで行列の出来るおにぎり専門店の話題が流れてる時も、具とかお米の良し悪しとか言われても今一ピンと来なかったから、「食レポって大袈裟だよなあ」くらいにしか思ってなかったけど、塩結びという一番シンプルな結び方でこれだけふっくらと仕上がっている。いつも食べてるおにぎりだって別に普通に美味しいが、これは更に美味しいと素直に思えた。
「でも、お米なんて異世界にあったの?」
三つともあっという間にペロリと平らげた典人はふと浮かんだ疑問を口にした。
「いいえ、私が妖力で出しました」
「妖力で?」
典人にとってみれば不可思議極まりない回答である。
だが、当の小豆洗いは冗談を言っている様子はない。
それを察した典人はこの言葉を素直に信じることにした。
いや、信じることが出来た。
典人にしてみても昨夜の一件で、今更この子たちが典人に嘘を言う事はしないだろうと疑ってはいなかったからだ。
(なるほど。「信用を得られなければこの先、必ず立ち行かなくなる」、か。小さい事だけど、こういう場面が正にそうなんだろうな)
「はい。どうやら私は穀物の類なら何種類か、妖力で生み出すことが出来るようです」
「へえ、すごいね。んっ? どうやらって、何か言い方が変じゃないか? 自分の妖力でしょ?」
「ええ、そうなんですけど、どうも、日本にいた時と容姿もそうですが性質というか、能力というか、そういったものが異世界に来て大分変化してしまっているみたいなんですよ」
典人は昨夜を思い出す。そして、ある事に気が付く。
「でも良かったのか? 妖力が無くなりかけて消滅一歩手前だったんでしょ? かなり無理したんじゃないのか?」
「ご安心ください。御館様のおかげで妖力が少しずつ戻りつつあります。確かにまだ十分という訳ではありませんが、これはほんのお礼の気持ちと私たちの変化について知ってもらう為です」
そう言われて一安心し、昨夜名乗られた7人について改めて考えてみる。
座敷童、川天狗、雪女、ろくろ首、紅葉の鬼女は元々人間の姿かそれに近いはずだから、変わってはいないのだろう。
小豆洗い、垢舐めは確かに、今まで昔話とか怪談とかで聞かされて典人がイメージしていた姿と明らかに違っていた。
それに今の話からすると姿かたちだけではなく、能力的な物が変質しているという事になるはず。
つまりは元々は違った容姿や能力だったという事である。
(これも何かあるのか? 二人にも聞いてみた方が良さそうだ)
「じゃあ、もしかして二人も?」
「うん。わたしは館のことができるみたい」
座敷童は典人が知る限り、住み着いた家の繁栄を招く妖怪であるはずだ。容姿は恐らく変わっていないだろうが、能力が変わっているのだろう。館の事ができると言っても、ザックリし過ぎているが、何と無く座敷童らしいと典人は感じていた。
「私は垢舐めですので本来は舌でお風呂場などの床の垢を舐めとっていたのですが、どうやら妖力を込めて手を翳すと室内が綺麗にできるようです」
こちらは典人にとってみればとんでも発言である。
典人は垢舐めのその言葉に、今の垢舐めの容姿のまま、その色っぽい舌で床を舐めているという、何とも背徳的な光景を思い浮かべていた。実際の当時の姿は全く別物で性別すらなかったのではあるが、そんな事、典人が知る由も無い。今の垢舐めの姿が現実である。
(なっ、何かエッチっぽい)
典人は朝から妄想の住人となり、想像の世界へと翼を広げ旅立っていく。
「御館様、どうかされましたか?
そんな典人の妄想を知ってか知らずか、垢舐めが穏やかに問いかけてくる。
「いっ、いや、何でもない。とっ、ところで、他のみんなはどうしてるの?
無事、異世界に戻ってきた典人は動揺を抑えつつ誤魔化す様に話題を変えた。
「他の皆は気随気儘、思い思いに好きなように暮らしてましたよ。牢獄核の結界内だけですが……。外で寝ている者もいれば川の中にいる者もおります」
「女の子が外で! って川の中!?」
垢舐めのその言葉に、典人は驚き少し顔を歪める。
「ご心配なさらずに。私たち、基本は魑魅魍魎。妖怪ですから」
典人の驚きの声に、垢舐めは驚くほどのことはないといった素振りで答える。
「ひょっとして部屋が足りてなくて全員に部屋が無いとか?」
「ううん、かなり広い廃砦だから部屋数は十分過ぎる程あるよ」
これは座敷童が答えた。館の事が出来ると言っていた彼女なら、この廃砦の間取りも把握しているのだろう。
「ところで、全員で何人跳ばされてきているの?」
昨夜、何と無く言っていたような気がするが、改めて聞いてみる。
「私たちを含めて丁度100の魑魅魍魎がこの異世界に跳ばされてきています」
すると小豆洗いが、そのクリッとした大きくて愛らしい目を伏せて悲し気に答える。
「それは、見た感じだけでも多いとは思ってたけど……」
その言葉に典人は何事かを考えている様であった。しばらく思考して、再び口を開く。
「それからさ、オレのこと、御館様って言うの変えないか? なんかくすぐったいんだけど」
「駄目ですか?」
困惑した様子で垢舐めが問い返してくる。
「いや、駄目ってわけじゃないけど、全員が全員御館様って言うのはちょっと落ち着かないかも。だからそれぞれ好きに呼んでくれると嬉しいかな」
「うん、わかったよ」
座敷童が真っ先に元気よく反応する。
「じゃあ、典人お兄ちゃん」
「がはっ!」
(なんたる破壊力!)
「では私は典人様で」
垢舐めが色っぽくそれに続く。
「ぐはっ!」
(なんたる悩殺力!)
「……ご、ご主人様」
最後に、小豆洗いがはにかむようにお盆を口元に当てて頬を赤く染めながら呟いた。
「ごはっ!」
(なんたる攻撃力!)
三連コンボ炸裂である。典人はそのまま、寝袋に倒れ込んだ。KOである。
「大丈夫、典人お兄ちゃん? もしかしてダメだった?」
心配そうに座敷童が覗き込む。
「だっ、大丈夫だ。むしろ大丈夫だ!」
意味不明である。
多少困惑気味の三人を残し、復活して跳び起き、テンションが上がっているままに典人は、さっき考えていた中の一つ、自分の能力についても考えてみる。
(これはオレもそんなに詳しい訳じゃないけど、所謂『異世界転移』ってヤツだよな。神様には合えなかったけど)
「分かる! 分かるぜ! オレの中に『七つの緒祝い』の御札の能力の力が漲っているのが!」
(ここは、ネット小説お決まりの名台詞の登場だろう!)
「ステータス!」
典人は自信満々に高らかと声を張り上げた。ついでに右手も高々と突き出している。
シーン
硬直時間、約10秒。
致命的となりかねない硬直。
その間、部屋の中に痛いほどの静寂が立ち込める。
いや、典人にとってみれば実際かなり痛い状況だ。
「あっ、あれ?」




