第肆拾壱巻 気配り
第肆拾壱巻 気配り
典人が、森の奥深く、『コボッチ』の千補に連れられて、牢獄核の結界が張られていた境界のさらに外へと急いで向かうと、森の中、少し開けた場所が見えてきた。
そこにいきつくまでは森が深くなるにつれて、湿った空気が身体に纏わり付くようで、どこか身体の動きを重たくさせていた。
典人はその時は夜の暗がりだったため気が付いていないが、この辺りは10日くらい前に『木の子』の木の実が、この世界の生き物、魔物である羊の皮を被った狼に襲われた辺りである。
「あそこだよ」
千補が走りながら指をさす。
自然、典人の走る速度が上がった。
そして、木々の間を抜け、わずかに開けていた視界が完全に開けた時。
そこに広がる光景は一種異様な光景であった。
たどり着いた典人が見た光景は 周りは自然が破壊されたという訳では無いが、掘り返されたというか、荒らされたというか、それを元に戻したというか、典人には表現しづらかったが、兎に角不自然な風景が目の前に広がっていた。
そして更に地面のそこかしこには、そこにぐったりと横たわっている幾人もの女の子たちがいた。
「なんだよこれは!?」
目にした瞬間、思わず驚愕の声を上げた典人ではあったが、即座に気を取り直して辺りの状況を把握しようと周囲を確認し始める。
そして、典人は即座に一番近くで倒れていた『妙多羅天女』の妙羅を抱き起し、必死に声を掛けた。
「妙羅ちゃん!」 しっかりして! オレの声が聞こえるか!? 返事してくれ!」
「……典……人……様」
微かにに意識はあるようだ。
ほんの僅かだが、典人は安堵の息を漏らす。
ふと典人は誰かの視線に気が付いた。
慌てていたため気付かなかったが、顔を上げてみれば、倒れている女の子たちの中心辺り、ただ一人立ち尽くす少女の姿があった。
その少女の瞳は何処か虚ろで、何事かを見ている様で、またなにおもおをその瞳に移してはいないようでもあった。
その場に立っていた少女は『算盤小僧 改め 算盤小娘』の珠奇である。
典人は抱きかかえている妙羅をそっと地面に寝かし、珠奇の元に駆け寄る。
「珠奇何が起きた!」
典人は珠奇の両肩を掴んで、何物をも見ていないような珠奇の瞳を覗き込みながらゆさゆさと揺する。
「やあ、典人君。ぼくの発案でね。ちょっとした検証実験だよ」
薄く微笑んでいるはずなのに、何処か無感情な声で珠奇が口を開く。
「検証実験って」
「牢獄核の結界があった場所から外と中の違いさ。木の実ちゃんの一件で、牢獄核の結界の境界の外では僕たちは妖力の補充が出来ないんじゃないかと思ってね」
表情無く淡々と説明するその珠奇の態度に典人は苛立ちを覚え、無意識に珠奇を睨み付けていた。
「何皆にやらせてるんだよ珠奇! 皆ボロボロじゃないか!」
典人は周囲を見て珠奇に向き戻り、珠奇の華奢な両肩を掴んでいた手に力を込めて揺する。
「牢獄核の外に出るためには仕方がないことだったのさ。僕たちが日本に還るためには必要な検証だよ。ここまでしないと確証が持てないからね」
尚も淡々とした口調で言い放つ珠奇。
「仕方がないことって……お前!」
典人が、思わずいい加減にしろとばかりに大声を上げようとする、その時だった。
典人の足首を掴む者がいた。
典人がハッとして掴まれた足元を咄嗟に見ると、そこには『つらら女』の雪良が、ここまで這ってきたのか、着物を泥だらけにしながら典人を見上げていた。
「珠奇ちゃんを……責めないで。……わたしたちも……納得しているの……です……から」
雪良がその綺麗な顔を泥で汚し、息も絶え絶えといった声で典人に訴えかける。
「なんだよ。何なんだよ!」
行き場を失くした怒りが典人の心の中をぐるぐると駆け巡る。
「どうやら予想は正しかったようだね」
珠奇がフッと軽く微笑む。
「珠奇!」
その笑みに、消えかけていた怒りが再び吹き上がってくる。その時だった。
それまで平然とした顔で立っていた珠奇がゆらりと揺れその場に崩れ落ちる。
「珠奇!」
典人は慌てて珠奇を抱きとめた。
「おい! 珠奇! 珠奇!」
見れば珠奇は意識が朦朧としている様子だった。
「ようやく皆と同じ位かな? ははっ」
「同じって、一体?」
典人は珠奇を抱きかかえたまま問いかける。
「皆をずっと見ていたからね」
珠奇は検証実験に賛同してくれた皆の妖力の変化を捉えるため、砦を出る前から常に珠奇の能力である『目分量』の能力を発動し続け、モニタリングを行なっていたのである。
『目分量』の能力は相手の能力をある程度数値化する事の出来る類の能力で、典人が異世界転生モノの主人公の定番の能力と思っている『ステータス』に類似する能力だ。
現在では典人も似たような能力を持っているが、典人の能力は牢獄核に囚われた100人の女の子のデータを見る事しか出来ない。しかも現在の所、極簡単な項目しか表示されてはいなかった。
これに対して、珠奇の能力はその対象は砦の女の子や砦内に限らない。木になっている木の実の数や空を飛んでいる鳥の群れの数などから、対象のある程度の力まで幅が広い。
ただ、そこまで便利な能力でもなく、集中しなければ持続時間が短いうえ、対象も通常は一項目に限定される。
これらを拡大するためには妖力を無理矢理余分に使う必要がある。
それは酷く効率の悪い、所謂コストパフォーマンスの悪い使い方であった。
大きな妖力を一気に振るうことのできる子たちと比べれば負担は少なそうに見えるが、これを珠奇は数日間、複数の子たちに向かって休まず発動し続けていたのである。
「僕の能力は短時間なら消費が少なくて済むんだけど、どうやら長時間や複数の個々の数値を見ることになると効率が悪くなるらしいんだ。でも、皆の一度での大技ほどじゃない」
「どうしてそこまでして……?」
「日本に還るために決まっているじゃないか」
「だからって、いきなりこんな無茶を……」
「皆にだけ……負わせるわけにはいかないしね……不思議なもんだね……僕たちは個々に自由気ままな生き方をしていたのに、誰かの為というのも、案外、悪くないもんだ……」
典人の言葉に重ねて、珠奇が辛そうに先を続け、言い終わると静かに目を閉じて、深く胸で呼吸をした。
その辛そうな声と、先程の珠奇の崩れ落ちる姿を思い出して、典人の脳裏に、先日の木の実の倒れていた姿が重なる。
(またかよ! また、オレ、あの時と同じで何もできないのかよ!)
典人が奥歯をギリリと噛みしめた。
やりきれない、言いようのない感情が心の中に溢れてくる。
その時だった。
突然、目の前が暗くなる。
次の瞬間。
気が付けば、典人は真っ暗な空間に立っていた。
不思議な事に、何故か真っ暗なのに空間だと自覚できている。
(なんだ!?)
突然のことに動揺する典人の目の前に、突如、二枚の緒札が淡く薄紫色の光を帯びながら現れた。
(ここはひょっとして……以前、確か……俺の心の中なのか?)
その緒札を見て、典人は気付く。
見れば、現れたのは七つの緒札の内の二枚、『経凛々の高望み』と『傘差し狸の抑止力』の緒札であった。
(『経凛々の高望み』? 『傘差し狸の抑止力』? 何故、このタイミングで?)
まるで自分を使えと自己主張するかのように、典人の心の中で宙に浮かび存在感を放ち続ける緒札に問いかける。
「今使えってことかよ。これを使えば皆を助ける事が出来るんだな」
典人が問いかけても、当然、答えなど帰ってくるはずもない。
その代わりに、典人には二枚の緒札の薄紫色の輝きが僅かだが増したように感じられた。
そして次の瞬間には意識が目の前に抱きかかえている珠奇へと戻っていた。
(そうか……そうだよな。オレだけじゃなく、皆、日本に還りたいんだよな……)
ここ一ヶ月の間、誰も必要以上に口にすることはなかったが、当たり前のことだ。
典人自身、男の子の意地と言うべきか、言葉には出さなかったが日本へ還りたい思いは強い。
そのためには恐らく牢獄核の結界があった場所より外、この異世界に帰還の手掛かりを求めて踏み出さなければならない事も薄々気付いていた。
「……」
典人は一度静かに目を伏せてから、ゆっくり目を開くと、そっと珠奇をその場に横たえて、静かに立ち上がった。
それからあちらこちらで倒れている女の子たちを見渡してから、自然体の構えで目を閉じる。
(皆を助けたい。『経凛々の高望み』、『傘差し狸の抑止力』、オレに力を貸してくれ!)
典人は心の中にある緒札に触れるようなイメージを浮かべる。
心の中の緒札に触れるようにイメージした瞬間。
身体の奥底から何かが吹き上がって来るような感覚がした。
「うおおおおっ!!!」
カッと目を開き、典人は万感の思いを込めるように、そしてその感情を一気に解き放ったかのように声を上げた。
と、典人の身体が淡い薄紫色の光を帯びる。
すると、それと同時に、典人の身体から頭上に向かって薄紫の光が伸びていく。
薄紫の光はある程度の高さまで来ると、その頂点を基点としてその光が傘状に広がっていった。
その広がりは半径数十メートルに及び、周囲に倒れていた女の子たちを覆っていく。
薄紫の光は徐々に強くなり、回りにいた女の子たちを包み込むかのように照らしていた。
やがて、
「……御主人様」
「……あったかい」
「典人様」
「……あれ? 何だか楽になってきた」
「……あっ、妖力が、少しずつだけど、戻って来るのを感じる」
苦しそうにしていた子たちも徐々に穏やかな表情になっていく。
その光は砦で状況を聞いた女の子たちが、典人たちの元へ駆け付けるまで続いた。
「……典人君、やっぱり、君は」
光の傘の下、地面に横たわりながら珠奇は周りが薄紫色に淡く発光する典人を見つめながら呟いていた。




