第参拾捌巻 やる気が出る
第参拾捌巻 やる気が出る
典人がここ最近の心の葛藤に一応の区切りをつけて気を取り直し、これからせめて皆の足手まといにならないくらいには強くなろうと鍛えていこうと奮起し、訓練場の一廓に走って行くと、模擬試合とは別に思い思いに訓練に励んでいる女の子たちの姿があった。
まず一番最初に典人の目に飛び込んできたのは『化け蟹』のはにかが、手だけ蟹のはさみ化させて、素振りをしている光景だった。
というか、
「はにか、その服装は?」
「紫雲が作ってくれた」
どう見てもテニスウェアだった。
紫雲がデザインしただけの事はあって、赤いテニスウェアはスカート丈はかなり際どく、素振りをすればチラチラと白いアンダースコートが顔を覗かせている。胸元も視線を誘うカットになっており、合わせて動く度に、いろいろな揺れに釘付けになりそうな作りだ。
格好と動きからして、テニスラケットの素振りをしているようにしか見えなかったが、振っているのは人を一撃で殴り殺せるほどの伝説の蟹バサミである。
それを見た目の華奢な体つきからは想像もつかないようなギュンギュンという唸りを上げて振り抜いているのである。
物騒この上ない。
真剣による模擬試合を見た後では今更な話ではあるが、訓練である以上、当然のことでもあるし。
「どうされましたか御館様」
「あっ、典人様です!」
『川天狗』の天音が『木の葉天狗』の木埜葉に手ほどきをしていたのか、その手を休め、長い棒を片手に歩み寄ってくる。そのうしろでは典人を見つけた木埜葉がシッポをブンブンと揺らしていた。
「実はこれからオレもこの森で生きて行くためには身体を鍛えなければいけないかなと思って……いろいろ教えてもらえないかな?」
はにかのアンダースコートに見とれそうになりながらも、流石に今回ばかりは天音に向き直り姿勢を正す典人。
「良い心がけです。その気になっていただけたこと、嬉しく思います」
天音がやる気になってくれた典人を見て、心底嬉しそうに言う。
「それでしたら、わたしが見てさしあげますわ」
日陰で見ていた『雪女』の淡雪がやってくる。
「何を言う! 安心と実績の我に任せるのじゃ!」
『山姥』の麻弥刃もピコピコという幻聴の聞こえそうな足取りでトコトコと近寄ってきた。
「わたしが先ですわ」
(そういえば、さっき愛刃さんが、この二人は元々仲が悪いって言ってたっけ。今は張り合っている程度ってことらしいけど)
「ふん、一人前の男を育てるならば、我が適役なのじゃ。さすれば、熊とも組み合えるほどの男に育てて見せようぞ!」
麻弥刃が自慢げに無い胸を反らして語る。
「熊! いっ、いや、いきなりそこまでは」
熊と聞いてちょっと怖気づく典人。仕方がない、最近、熊大の異世界生物に追い回されたばかりなのである。
「何を言うのじゃ、男ならば、志は高く持たねばならぬぞ!」
それを叱咤する麻弥刃。
「志 見れば士 下心」
素振りを終えていたはにかが淡々とした口調で言う。
「えっと、前に天音さんと淡雪ちゃんに誘われてたから、今回は淡雪ちゃんにお願いするよ。麻弥刃ちゃんはまた今度頼むな」
「そうですよ。皆で鍛えて行けばよろしいのではありませんか?」
天音が穏やかな口調で提案する。
「うむ、皆で典人を一人前の男に育てるのか……面白そうじゃの。分かったのじゃ」
一応の結論が出たようで、麻弥刃も淡雪に譲ることを了承した。
ただし、典人の思いとは別の方向で
「……お手柔らかに」
典人の引き攣った笑顔はお構いなしに。
「でしたらまずは基礎訓練からですわ。力を付けましょう」
淡雪が、典人の前にズイッと進み出る。
「と、言う訳で、お姫様抱っこを所望しますわ!」
典人が持っていた雨傘を参考に造られた白い日傘をさしつつ、淡雪が典人に要求する。
「はい?」
典人は意味が解らず、おもわず呆けた声をあげてしまった。
「だから、お姫様抱っこを所望しますわ!」
「いや、聞こえてるよ。ただ、基礎訓練とお姫様抱っこがつながらないだけで」
「わたしたち雪女は抱えて耐えきった男性に力を授ける能力があるのですわ」
淡雪が得意げに説明する。
「聞いた事があるような、ないような……
実際の伝承は雪女の抱えている赤子を代わりに持つことになる話が多いのだが、その事はおくびにも出さないすまし顔で、淡雪は話を進める。
「論より証拠、早速始めますわよ」
◇
「ぐぬぬっ! いつまで耐えればいいの淡雪ちゃん?」
「あの砂時計型の雪像が解けきるまでですわ」
淡雪がお姫様抱っこをされたまま顔だけ巡らす。
見れば、いつの間にやら近くの石の上に、雪を固めて作られたと思われる雪だるまをモチーフにした見事な砂時計型の雪像が置かれてあった。
典人が淡雪をお姫様抱っこする前にはすでにそこに作られていたのだろう。
それは強い陽の光に曝されて少しずつ解け始めていた。
「砂時計ならぬ『雪解け時計』ですわ」
淡雪が自慢げに言う。
この世界の季節の移り変わりやこの土地の気候は典人にはまだ良く分からないが、初夏を思わせる位には暑い連日の天気の中に雪だるまは微妙な感じがしていた。
「雪だるま型にする意味あるの、あれ?」
「趣味ですわ」
きっぱり言い切る淡雪。
確かに完成直後の造形に対するこだわりは、その細かいディテールからも伺えた。
「そうなんだ……ぬぐぐっ!」
典人が気を逸らそうと話している間にも徐々に重くなっていく。
「おっ、おお~も~い~!」
「女の子に向かって重いとは失礼な殿方ですわね」
「こういうのの領分は、子泣きじ……」
「な・に・か?」
目が据わるというか鋭くなる。
「いっ、いやこな……こんなの楽勝だよ。あはははは」
「そうですか。頼もしい殿方はモテますわよ」
クール系美少女のこういう視線で全身がゾクゾクする貴兄もいる様だが、幸か不幸か典人はそういう指向では無かったようで背中にゾクゾクではなくゾクリと冷たい物を感じていた。
ついでに言うと、手足も重さでやはりゾクゾクではなく、腕はプルプル、足はガタガタであった。
その視線を送った当人はお姫様抱っこをされ内心ご満悦である。
「いいなあ。あたちも負ぶさっていいかな」
『赤殿中』の灯狸が、指を咥えながら羨ましそうに呟く。
「ボクは肩車がいいかな。御姫様抱っこなら、おんぶと肩車は重ならないよね」
『古籠火』の呼炉が無邪気に苛烈な提案を口にする。
「じゃあ、あたちたちがいっしょにのってもだいじょうぶ?」
灯狸が邪気の無い表情で呼炉の顔を見やり問う。
「鬼ですか。武士の情けです。止めて上げましょうね二人とも」
傍で聞いていた、本来鬼であるはずの『方相氏』の練が引き留めようとしている。
だが、話している自分たちの後ろを見れば、『清姫』の祈世女や『橋姫』の姫刃をはじめとする女の子たちが列を作って順番待ちをし始めていた。
「旦那様の御姫様抱っこ券のためなら、私42.195kmを裸足でフルマラソンしてでも駆けつけます!」
「私なんか、21日前から徹夜で並んで見せます!」
如何にも執着の強い、らしいと言えばらしい二人の言動である。
他にも思い思いに楽しそうに話しながら順番待ちをしており、しかも少しずつ列が増えて言っているように見える。
「そこ、並ばない!」
練がピッっと指をさして注意していた。
「うぐっ……勘弁……してくれよ……一人で……手一杯なのに!」
典人はそんな様子をギリギリ耐えている状態で、聞こえてくる会話に悲鳴にも似た声を上げる。
「良かったですわね。こ~んな可愛い女の子たちをとっかえひっかえ合法的にスキンシップしまくりで、お触りしまくりのお姫様抱っこできるんですもの」
「間違えては、ぬぐぐっ、いないけど、ふぐっ、自分で、ぐぬっ、言うなよな! ぐおおおっ」
「ほら、あと少しですわ、」
「うおおおおっ、帰宅部の体力の無さ舐めんな!」
ペロリ。
「のわあああ!」
急に首筋にぬめっとした感覚が走り、典人はゾワッと背中に電気が走ると共に腰砕けとなり、淡雪を抱えたまま背後へと倒れ込む。
「ぐえっ!」
その拍子に典人の腹の上に座り込む形となった淡雪にお尻で押し潰され、典人は蛙が潰されたような声を上げた。
「本当に失礼な殿方ですわね。美少女のお尻で潰されたのですから、喜んで欲しい物ですわ」
「オレにはそういう特殊な趣味はねえ!」
真偽の程は保留として、一先ず否定して抗議する典人。
「仕方が有りませんわね。今日はこのくらいにいたしましょう」
淡雪はふうっと息を吐くと妖力を解いたのか、典人に掛かっていた重みが急速になくなっていった。
ようやっと重さから開放された典人は大きく深呼吸をして青空を見上げる。
すると。
「大丈夫ですか? 典人様」
見上げれば、『垢舐め』の亜華奈が口元に手をやりアラアラと言った表情で、典人を見下ろしていた。
それよりもである。
現在の典人の体勢ではミニスカメイド服の亜華奈を下から超ローアングルで見上げる形となっているため、目の覚めるような光景が典人の目の前に天界されている。
(赤と白のストライプ)
筋肉トレーニングで健康的に体力を使ったおかげか、ここ最近のモヤモヤした気分は今は多少すっきりしており、目の覚めるような暫しの絶景に視線が釘付けとなる。
典人はそれを食い入るように見ている。健康的な高校生の典人が拒否する理由は何もない! 断言しよう。断じて何も無い!
ただ別のモヤモヤが発生しているだけだ。
(取り敢えずこれは今日のウイニングショットだな)
そして、この素晴らしい光景はしっかりと心のアルバムに加えることを忘れなかった典人であった。ついでに先程のはにかのパンチラ光景もしっかりと心のアルバムに加えることを忘れなかった典人であった。
「ところで祈世女ちゃん」
並んでいた『おしら様』の白葉が祈世女に話しかける。
「何ですか白葉さん?」
「ご主人様に迫ってる他の女の子たちはいいの?」
現在の淡雪と亜華奈の状態を見ただけでも、祈世女が嫉妬しそうな気がする白葉から見れば、今の状態で祈世女が平然としている光景は不思議に思えた。
「わたしが一目惚れした殿方ですよ。モテない訳が無いじゃないですか。正室のわたし以外に側室が多数至って当然の事です。なんの問題もありません。仮にここにいるすべての子を側室にしたらぶっちぎりで日本史上ナンバーワンですよ。素敵じゃありませんか!」
何の迷いも無く、祈世女はキッパリと言い切る。
「……そういう指向なんだ」
白葉が呆気にとられた表情で呟く。
「言い切りましたね」
「チャッカリ正室主張してるし」
『油徳利』の由利と『鐙口』の愛実が白葉に同意を示すような感想を漏らす。
「ですが」
そこで少し祈世女の雰囲気が変わる。
「「「んっ、?」」」
皆が黙って祈世女に注目する。
「もし私から逃げるようなことが有れば、司宇さんと真宇さんにはお騒がせして申し訳ありませんが、地獄の果てまで追いかけまわして、た~っぷりとお灸をすえさせていただきますわ。ふっふっふっ」
「「「心が広いんだか狭いんだか分からない娘ね」」」




