第参拾伍巻 気息奄々 (きそくえんえん)
第参拾伍巻 気息奄々 (きそくえんえん)
「いた! 木の実ちゃん!」
典人が木の実を見つけた直後、二人いた木の実のうちの一人が羊の様な動物、羊の皮を被った狼に噛み付かれて爆ぜるように消え去る光景が目に飛び込んできた。
もう一人の木の実は地面に倒れ込んで、動く気配がない。
典人が知る由もないが、木の実の能力である『分け身』による10人の木の実に別れる力は発動することができず、いよいよ最後の一人となっており、後が無くなっている。
それどころか、木の実にはもう起き上がる事さえできないくらいに殆ど妖力が残っていない。
「木の実ちゃん!!!」
羊の皮を被った狼に噛み付かれ消え去る木の実の姿を見て典人は目を見開き叫ぶ。
だが、その声にも反応する様子はなくピクリともしない。
一見すれば、羊の皮を被った狼は典人が日本で見た事のある羊の様に大人しそうな外見をしている。
だが、典人は数日前、兎のような外見に角の生えた大型の生き物に襲われたことがあったばかりだ。
そして少し見れば、今は羊の皮を被った狼もその攻撃的な本性を表すかのように獰猛な牙を剥き出しにし、木の実を取り囲み唸り声を上げている。
典人も無害な生き物などという間違いをすることはなかった。
一応、典人は木の実が『分け身』という分身体を作り出すことが出来ることを知っている。
面接の差異、実際に執務室で木の実がやって見せてくれたのを見ていたからだ。
その後は想像通りというか、10人に別れた木の実が一斉に典人に向かって纏わりついてきた。
あの時の10人の木の実に群がられ身動きが取れなくなって、引き剥がすのが大変だったことは記憶に新しい。
「木の実ちゃん!!」
だが、今は噛み付かれ消え去る光景を見せられては冷静でいられるはずもない。
同時に典人の頭の中は真っ白になっていた。
けれど、典人の目に映る光景は何故か鮮明で、ゆっくりと流れて行き、羊のような動物、羊の皮を被った狼がその見た目に反して凶悪な牙を最後の一人の木の実に向けようとしている姿が映し出されていた。
心臓が早鐘の用に鳴り響く。
ドクン ドクン ドクン
木の実のあどけなく無邪気な笑顔が目の前にちらつく。
ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン
『のりとおにいちゃま』
木の実の可愛らしく舌っ足らずな声が耳朶を撃った。
ドクンドクンドクンドクンドクンドクン!
「うおおおっ!」
典人は叫びながら羊の様な動物の群れの中へと飛び込み、木の実のもとへ走り寄っていった。
典人の叫び声に一瞬怯んだのか、羊の様な生き物はわずかに動きを止め、声の方に振り向く。
典人は拳を振りかぶり羊の皮を被った狼に向かって殴り掛かっていった。
だが、いくら背後を突かれたとはいえ、野生の生物である。
たかだか人間の少年が向かってきたところで、避けることなど簡単なことだった。
典人に向かって来られた直線上にいる数匹の羊の皮を被った狼たちは軽く身を躱すだけで、難なく走り込んでくる典人の攻撃を避けてしまう。
けれど、典人にはそんな事どうでもいい事だ。
木の実にこいつらを近づけさせなければそれでいい。
羊の皮を被った狼が木の実から気を逸らし、動きを鈍らせたその間に典人は木の実のもとに走り込み、木の実をしっかりと覆うように抱え込んでいた。
「木の実ちゃん!」
「のりと……おにい……ちゃま……」
典人の腕の中でぐったりとする木の実。
幸い怪我はしていない。
恐らくは妖力の使い過ぎなのだろう。
「木の実ちゃん、もう大丈夫だから! しっかりして」
「のりと……おにいちゃま、あったかいな……」
かすかに微笑もうとする木の実。
けれども、その表情はうまく行っておらず、典人に悲壮感を募らせた。
「木の実ちゃん! このままじゃ」
このままこうしていても木の実が元気になるとは典人には思えなかった。
ならば一刻も早く安全な場所、砦へ帰って安静にさせた方が良い。
ガルルルルル!
だが、その背後で僅かな時間動きを止めていた羊の皮を被った狼の群れが新たに登場した獲物に食らいつかんと周りを囲み始めていた。
「畜生!」
典人はギュッと木の実の身体を抱え込み、羊の皮を被った狼から木の実を庇おうとする。
ガルルウッ!
じりじりと間合いを詰めてくる羊の皮を被った狼達。
右の一匹が近付いたかと思えば、死角になるような位置の左の一匹が近付いて来る。
少しずつ、だが確実に典人たちを包囲する囲みを狭めてきた。
ガルルウッ!
典人は右が近付けば右に注意を祓い、左が唸り声を上げれば左に気を回しというように、包囲網を抜けることも出来ず、ただただ木の実を庇って抱きかかえていることしかできなかった。
(なにが「もう大丈夫だから」だよ! 俺、何も出来ないじゃないか!)
自分の無力さを思い知らされ、悔しさに唇をかみしめる。
ガウ!
グルルルッ!
囲んでいる群れの中の2匹が典人たちに向かって飛びかかる。
「くっ」
典人は目をギュッと瞑り、身を堅くし、せめて木の実の身体だけでも庇おうと、木の実を抱きかかえる腕に一層の力を籠める。
そして訪れる痛みに備えた瞬間。
「跳弾『一石二鳥』!」
「ギャンッ!」
「キャイーン!」
典人たちに飛びかかろうとした2匹の羊の皮を被った狼は突然横合いから飛んできた石に連続して身体を打ち付けられ、横へと吹っ飛び痛みに悶える。
その異変に気付き、典人が恐る恐る目を開け声の下方向を見れば『シバカキ』の遥が右手を翳して立っている姿が見えた。
「遥ちゃん!」
「大丈夫ですか典人様?」
とは言っても、まだ羊の皮を被った狼の群れがいなくなったわけではない。
そこに。
「木の実ちゃんをいじめるな~!」
遥の横合いから、叫びながら『旧鼠』の優希が駆け込んでくる。
そしてその素早い身のこなしで、典人たちに襲いかからんとしていた一匹の羊の皮を被った狼の喉元に食らいついた。
ギャイン!
そのまま羊の皮を被った狼を力任せに振り飛ばすと優希は典人たちと羊の皮を被った狼達との間に割って入って両手を広げて立ちはだかる。
それでも他の羊の皮を被った狼達は怯んだ様子も無く、新たに飛び込んできた獲物事仕留めんと襲いかかろうとする。
「『茨の壁』」
『木霊』の麗紀が地面に手を突き、地中に干渉し地下から典人たちの前に茨を生やし、守るように囲い壁を作る。
「行きなさい蜂たちよ、ご主人さまたちを守るのです『蜂房水渦』!」
『古椿の霊』の小椿が命令を下すと、蜂たちは植物の壁の前に水流のように渦を巻いて集まり蜂の巣を守るかのように、向かってきた羊の皮を被った狼達に対して威嚇行動を取る。
「敵を穿て『三刺衰命』!」
続けざまに小椿が命令を下すと、群れの中から三匹の紋雀蜂が飛び出して、一匹の羊の皮を被った狼に向かって突撃して行った。
ギャギャギャン!
三匹すべての紋雀蜂の特攻を受けた羊の皮を被った狼はその場に崩れ落ち動かなくなる。実はこの紋雀蜂、ヨーロッパでは「3度刺されると死ぬ」という謂れが古くからある蜂である。また、日本で一般には蜂に二度刺されると身体が免疫による拒絶反応を起こし死に至る可能性があるアナフィラキシーショックが知られており、小さいながらも危険な生物である。
小椿が再度命令を下す。
だが、それからは羊の様な毛に阻まれてか、なかなか倒れず数が減らない。
そして当然、典人たちを護ることに注意しているため、自分たちの防御が疎かになっている遥や麗紀、小椿の方へも襲いかかって来る。
典人たちの防御に妖力を使っている麗紀に対して、一匹の羊の皮を被った狼が飛びかかっていった。
「杖術『玉椿』!」
ギャイン!
そのわき腹をいつの間にか手に持った杖の様なもので突きを放つ小椿。
「お二方は私が守ります。ですから御主人様たちの援護を!」
「分かりました」
「うん」
二人が返事をする間にも次々と襲いかかって来る。
「杖術『列列椿』!」
ギャン!
キャイーン!
小椿はそこに連撃を加え、飛びかかって来る羊の皮を被った狼を悉く薙ぎ払う。
「切りがありませんね」
だが、一体何匹いるのか?
見た目に反して、そこそこ素早くそれなりに攻撃性もある生物が群れを成している。
個々を倒すだけなら、さして大した事ではなさそうだが、如何せん数が多い。
おまけに相手は群れで連携して襲いかかって来る。
自分達は致命傷を受けないようにジリジリと、個々のフェイントや連携を使ってくる分厄介であった。
今は時間を掛けたくない。
その場にいた皆がそう思い、焦りを覚える。
そこに。
「とっつげきー!」
ドガーン!
轟音と共に羊の皮を被った狼の群れの真ん中に雷を纏った塊が突っ込んできた。
ギャギャギャギャギャギャン!
キャキャキャイーン!
何匹もの羊の皮を被った狼が巻き込まれ感電して倒れた。
だが、土煙を立て地面に激突したその影は、何事も無かったかのように立ち上がる。
すぐに晴れた土煙の中から現れたのは、中学生くらいの艶のある灰色の髪をした猫耳の少女。
『雷獣』のらいちであった。
これは小椿から知らせを受けた『古籠火』の呼炉が高い木の上に上り、ランタンで空を飛んで森の上から捜索していた妖たちに知らせていたからである。
「妾に背を向けているとは……この世界の生き物は物好きよのう。ならば、これでも喰らうが良い」
微笑みながら『馬魔』の瑠宇魔が玉虫色の馬に跨り矛を頭上で振るう。
次の瞬間には赤い電撃を内包した小型の竜巻の様なものが一直線に羊の皮を被った狼に向かって飛んでいき、何匹かを感電させながら吹き飛ばしていった。
「どーれ、お尻から串刺しにでもしてやろうかのう」
そのあどけなくも妖しい微笑に羊の皮を被った狼たちの毛が逆立ち、怯んだように見えた。
「我が配下の狼たちよ。我らに仇なす愚かな獣を一掃せよ! 『11匹の狼たち・全員攻撃』!」
その隙を突いてか、タイミング良く『妙多羅天女』の妙羅の号令とともに11匹の狼たちが一斉に、怯んだ羊の皮を被った狼達へと駆け出し襲いかかっていく。ちなみに、余談ではあるが、この技名を着けたのは『衣蛸』のこころである。
「ガルルルルルッ!」
「ギャイン!」
あちらこちらで日本の狼と異世界の狼? が戦いを繰り広げる中、二人の人影が典人たちの頭上より、羊の皮を被った狼を切り裂いて降り立った。
「お待たせしました」
「ました」
それは『川天狗』の天音と『木の葉天狗』の木埜葉であった。
「御館様、ご無事ですか?」
いつもの穏やかな笑顔で天音が典人に言う。
「俺は大丈夫だけど、木の実ちゃんが」
「ああっ! 木の実ちゃん!」
木の実の様子を見て、木埜葉がシッポを左右に振り声を上げて慌てだす。
「これは、一刻も早く砦に連れ帰った方がよさそうですね。木埜葉、落ち着きなさい。まずは事態を収拾しましょう。敵を蹴散らしますよ」
「はい、お姉さま! いっくよお~! ワオォオ~ン!」
木埜葉が喉の奥からの雄たけびを上げると羊の皮を被った狼達は怯んだように動きが鈍りだす。
そこへ、天音と木埜葉も参戦していき、やがて戦いは終わり、周囲には幾つもの羊の皮を被った狼の死骸が転がっていくこととなった。
◇
「私がおぶりましょうか?」
麗紀が申し出る。
「それよりも私が飛んで連れ帰った方が早いと思いますが」
天音も提案する。
「……のりと……おにいちゃまが……いい」
それに対して、か細いがしっかりと木の実が答えを返す。
「木の実ちゃん、大丈夫ですか?」
木埜葉が心配そうに木の実を覗き込んだ。
「大丈夫、眠っちゃったみたい」
妖力の残りが少なかったのか、木の実はすぐに穏やかな寝息を立て始めている。
「このままオレがおぶって帰るよ」
木の実の言葉に一応大丈夫そうだとホッとしたのか典人が胸を撫で下ろす。
「僕が先に砦に戻って皆に知らせてきます」
「疲れているところをすみませんが、お願いできますか木埜葉」
天音が優し気に木埜葉に頼む。
「はい、お姉さま!」
木埜葉は嬉しそうに返事をすると、妖力を使い印を組んで漆黒の翼を具現化し、砦の方へと飛んでいった。
「典人様もお疲れでは? やはり私が」
「いや、いいよ。何となく、こうした方がいいような気がするんだ」
「解りました、ではお願いいたしますね。ですが疲れたら遠慮なく言ってください」
「有難う天音さん。その時は頼むよ」
その言葉に典人はわずかに苦笑しつつ例を返す。
「それじゃあ、帰ろうか。俺たちの家へ」
「「はい」」
ドン! ドン! ドン!
しばらくして、木埜葉が砦に木の実が見つかった事を知らせたのだろう。遠く、砦の方から『虚空太鼓』の空が打ち鳴らす太鼓の音が聞こえてくる。
皆に号令をかけ歩き出したものの、典人の心は酷く沈んでいた。
やっぱりここでは自分が一番弱い。
この先守られてばかりで本当にいいのだろうか?
そう考える足取りは少し重く、背中に眠ってしまった木の実の体温を感じながら砦へと戻って行った。
- 第壱鬼 百鬼繚乱編 完 -




