第参拾巻 和気藹々 (わきあいあい)
第参拾巻 和気藹々 (わきあいあい)
昼食時。
「跨羽の言う通り、典人様の膝の上は最高だね。今にも空を飛びそうだよ」
「コラッ、妙羅ちゃん。だから食事の時に人の膝の上で丸まろうとするな」
『化け猫』の跨羽と同じ猫人族の『妙多羅天女』の妙羅が、典人の膝の上で丸まり寛いでいた。
『妙多羅天女』は新潟の各地に少しずつ違った話が伝わっており、いくつかの説で、ある女性が猫のように変化し空を飛び回ったり、後に鬼と化したものが子や旅人を食い殺すようになった。その鬼女を退治し、後に祭って悪霊退散や縁結びの神としている。猫にちなんだ名の由来であるが、狼の群れを従えている伝承が多い。
◇
その頃の結界の境界のあった辺りを抜けた森の中。
10人の少女が楽し気にあちらこちらの木々の間を駆けまわり、石の上を飛び跳ね、草むらに寝転がり遊んでいた。
いや、10人ではない。
すべて同じ独りの女の子。
『木の子』の木の実であった。
メェエェエェ
「ねえねえ、あそこになにかいるよ」
「ほんとうだ、なんだろうね」
「ヒツジさんみたいだよ」
「モコモコだね」
「フカフカだよきっと」
「いってみようか」
「それがいいね」
「きょうそうしようか」
「そうしよう」
「よーい、ドン!」
『『わーい!!』』
10人の木の実は一斉に早緑色の髪を靡かせ羊の様な白いフワフワの毛に覆われた動物の群れへと駆け出して行った。
◇
昼食後。
典人は一旦執務室に戻り少しやるべきことを済ませてから、砦内を見て回るつもりで、再び昼食の片づけが一段落して人気のなくなった大食堂に来ていた。
普段あまり立ち入ることのない調理場をゆっくり見て見ようと思ったからである。
大食堂を通り抜け、調理場に入ると、竈の前でペタンと女の子座りをしている猫耳少女が真っ先に目に入ってきた。
そのメイド服のお尻のあたりからは二本のしっぽが出ているのが何とも目を引く。
彼女は『五徳猫』のことねと言い、『五徳猫』は囲炉裏の前で火を起こす二本のしっぽを持つ猫の妖として描かれている。
どうやら、今は竈の火を起こすのに気が取られていて、典人が入ってきたのには気が付いていないようだ。
「やあ、ことねちゃん、精が出るね」
「あっ、ご主人様!」
典人に呼び掛けられて火吹き竹を持ったまま振り向いたことねの頭の上には、何故かホワイトブリムの代わりに五徳の様な形をしたティアラがチョコンと載っている。その横からは愛らしい猫耳がピョコンと跳び出ていた。
「夕ご飯まではまだ少しありますよ。お昼少なかったですか? お腹すいちゃいましたか?」
「いやいや違う違う、砦の中を見て回っているだけだよ」
「そうでしたか」
「あの、御主人様、芽梨茶さんを見ませんでしたか?」
ことねが納得していると、同じ調理場にいた黒髪ロングストレートで切れ長の睫毛の清楚な女の子『ぶらり火』の佐友理が訪ねてきた。
『ぶらり火』は富山城主の妾であった早百合という女性が、そのあまりの美しさのせいで周りから嫉妬を買い、不義密通の讒言を受け、城主に斬り殺された後、木に吊るされバラバラにされ、その親族18名も処刑されたという話がある。それ以降、その地では夜な夜な女の生首や複数の怪火が飛ぶ怪現象がしばしば起こったという。また、似た怪の話で、火の鳥の姿で描かれている事が多く、死後に供養をされずにいた霊が彷徨ってなったものという説がある。
「いや、オレは見てないけど」
「そうですか。瞑魔ちゃんたちが蔵でお味噌が出来たって持って来てくれたので、お味噌汁作るのに美味しいお水を出してもらおうと思ってたのですが」
「味噌って、ここの蔵で作ってたの!? オレはてっきり妖力で作り出してたんだと思ってた」
「中にはそういう物もあるようですが、典人様が元の世界から持って来てくれた調味料などは菌などを妖力で育てて蔵で製造し始めていますよ。その方が後々良いからだそうです」
「へー、流石それぞれの分野のエキスパート。仕事が早い」
「一度蔵の方へも足を運んでみてはいかがですか? 調味料関係は梓さんと瞑魔ちゃんが、石鹸などは亜華奈さんや亜鳥さんや由利ちゃんが、鍛治はいほらさんが中心になって作っていますよ」
「そうだなあ」
「蔵は幾つかあるので全体の管理は小補玖ちゃんが行なっていますので小補玖ちゃんに案内してもらうと良いと思います」
「とりあえず、砦内を見て回るつもりだから、芽梨茶ちゃんを見つけたら声を掛けておくよ」
「よろしくお願いします」
佐友理がペコリとお辞儀をし、典人はそれに軽く手を上げて請け負う。
「御館様はこれからどちらをご覧になりに行かれるおつもりですか?」
『川天狗』の天音がお皿を片付けながら問いかけてくる。
「そうだなあ、この建物内もまだ一通り見れてないけど、敷地内の倉庫もいくつかあるんだよね。どうしようかなあと思ってる。
(何気に漆黒の鳥の翼を生やした美少女メイドさんってグッとくるものがあるな)
何をとは聞かないでおいて上げると幸いだが、典人が腕を組み考え込んでいると、
「ご主人さまあ~! お姉さまあ~!」
元気のいい声とともに白い狼耳の中学生くらいの少女『木の葉天狗』の木埜葉が調理場に入って来るなり、典人たちのもとへと駆け寄ってきた。
その背には以前『木霊』の麗紀が作ってくれた大きな籠を背負っている。
「見てくださいご主人さまお姉さま! こんなにお魚が捕れました!」
木埜葉は籠の中を見せるように身体を捻り、自慢げに声を弾ませる。
典人たちがその籠の中身を覗き込めば、その籠の中には沢山の川魚が入っており、活きの良さを示す様に跳ねている物もあった。
「おおっ、大漁じゃん」
「良く取れましたね木埜葉」
天音が優しく木埜葉の頭を撫でる。
「はい、天音お姉さま! お姉さまの教えて頂いた通りにやりました。僕頑張りました!」
「そうですか。よく出来ましたね」
木埜葉は天音に褒められたのがよっぽど嬉しかったのか、顔を赤らめ白いシッポをブンブンとふって感情を表現している。
「折角活きが良いのですから、氷で冷やしておきましょう」
近くにいた『雪女』の淡雪と瓜二つの容姿をしているが、若干こちらの方が髪の色と肌に透明感のある『つらら女』の雪良が、歩み寄ってきて、木埜葉から籠を受け取り、三角錐状の氷を妖力で出し冷やしていく。
「私も手伝いますね」
天音も雪良を手伝い始める。
「私も手伝いますわ」
何かを磨り潰す作業をしていた『古椿の霊』の小椿も、持っていたすりこ木を片付け二人を手伝い始めた。
「木埜葉ちゃんって本当に健気ですよね。」
少し離れた所で典人と話をしている木埜葉を見ながら雪良が感心したように言う。
「木の葉天狗って、他の天狗の遊興費のために、薪をこさえて売ったり、山道で荷物持ちをしたりしてお金を稼いでいるらしいじゃないですか。何とも、涙を誘うお話ですわよねえ、よよよ」
小椿がそれに合わせてわざとらしくちょっと毒っぽいことを言いながらメイド服のエプロンドレスの橋で目元を拭う仕草をする。
「私はそんな事させてませんからね」
それが分かっているのか、天音が少し頬を膨らませて応えた。
その後三人は同時に噴き出し笑顔で作業を続ける。
「あれ全部、一人で取ったの?」
少し離れた所で雪良たちの姦しい様子を眺めながら典人が木埜葉に問いかける。
「いえ、小雨さんたちと一緒に取りました。……そう言えば、入れ違いで紫雲さんと鈴姫さんが来て「皆の水着を作ったから試着して見て」って話してましたね」
~ ~ ~
この砦付近には川が通っていた。
なので魚系統はこの川で調達することができる。
木埜葉は川で魚を捕まえていた。
近くでは『足長手長』の双子姉妹が、同じく魚を取っている姿があった。
その方法は姉である芦那が妹である薙那を背負い、妖力で足を延ばし、川を覗き込む体制となり、見つけた魚を薙那が同じく妖力で腕を伸ばして取るという手法である。
他にも水中の妖である『河童』の津渦波や九州地方で河童に類する『ガラッパ』の嘉良波、何百年と経た魚が美しい女性の姿に化け男を川へ引きずり込み喰らうと言われる『こさめ小女郎』の小雨、『衣蛸』のこころ等が思い思いの場所で魚を捕まえていた。
「血抜きなら任せてよね。あっ、勘違いしないでよね。典人のためにしてるわけじゃないんだから」
いかにもツンデレキャラといった感じの地面まで届きそうな長い黒髪ツインテール少女の『磯姫』の姫埜が作業をしながら言う。
『磯姫』は九州地方の浜辺に現れ、髪の毛から血を吸い死に至らしめると言われる妖怪とされる。
「活き良く跳ねているのを持って行くのも良いですね」
『藤原千方の鬼』であるうちが一人、水鬼の千水が皆が取ってきた魚を分けながら話す。
「何匹かはそうしましょうか?」
『七人みさき』の七つ子姉妹の二女ポジションのみさらがそう提案する。
「そうだねえ。あと、干物や燻製なんかも作っておきたいから、それ用にも分けておきたいねえ」
ちょっと様子を見がてら遊びに来ていた『豆狸』の瞑魔が籠を覗き込みながら話している。
何気ない和気藹々(わきあいあい)とした穏やかな一時の光景。
だが、この様な光景が見られるようになったのも、実はごく最近になってからのことである。
それまでは各々ごく一部の仲間内でしかともに行動をしようとせず、意見の交換もあまり行われてはいなかった。
『七人みさき』や『藤原千方の鬼』などが分かり易いだろう。
なまじ集団だったため、個々に動くことがなく、常に固まって行動していた。
それぞれが知らない土地に放り込まれ、自分達の居場所を確保するのに必死で、神経を尖らせていたことも理由の一つだった。
そのピリピリとした空気が、この十日間あまりで当の本人たちも驚く程に和らいできている。
今までの小集団の枠を超え、それぞれが得意な分野だったり、作業の内容だったり、性格の合うものだったりと、協力したり打ち解けたりし始めて来たのである。
これも典人の中にある七つの緒札の一つ『ぬらりひょんの七光り』の効果なのであろう。
当の典人は微妙にこの能力に後ろめたい物を感じているようではあるが、確実に砦内の「和」が形成されつつあった。
「沢山捕れました!」
太陽の下、満面の笑顔をして木埜葉が歓声を上げる。
皆それなりに手慣れたものであっという間にそれぞれの作業を熟していた。
「鮮度が落ちないうちに調理場へ持って行きますね」
木埜葉が籠いっぱいになった魚を持って行くべく担ぎ上げ、砦へ向かおうとすると、その砦の方から『絡新婦』の紫雲と『鈴彦姫』の鈴姫がこちらに向かって歩いてくる姿がみえた。
だが、その二人の恰好は何時ものそれでは無かった。
いや、まあ、鈴姫に関してはいつもとあまり変わりがないと言えば変わりがないのではあるが、いつもより更に露出度が激しく過激になっているのである。
下着姿……いや、水着である。
ぶっちゃけ紐……マイクロビキニと言った方が分かり易い白の水着を身に着け、これでもかと言わんばかりの色香を振り撒きつつまるでモデルのように歩いている。
その隣では、鈴姫のようなダイナマイトボディーと称されるような迫力ではないにしろ、可愛い顔立ちながらもむしろバランスがとれたプロポーションに黒と黄色のレースアップビキニ水着による所々生地の欠落している部分からみえる素肌の妙に色っぽい紫雲が蠱惑的な微笑とフェロモンを振り撒く様に歩み寄って来ていた。
正直、典人以外全員女の子であるこの砦では過剰なアピールであろう。
しかも、典人はここにはいない。
ともすれば、女の子同士の間では逆に反感や嫉妬を買いかねない行動にも拘わらず、二人は気にした様子は微塵もない。
「どうしたんですかその恰好は?」
幸いなのかこちらも妖のせいか、もしくは惑わすという妖の有り方を互いに受け入れているせいか、みさらたちも気にした様子も無く問いかける。
「晴れたら皆で水遊びをしようと思っててね。雨の間いろいろ服を作るついでに水着も作っておいたのよ」
「皆さんの分もありますわよ」
鈴姫が持っていた袋を広げると、中からは色とりどりで様々な形の水着が現われた。
わーっと皆が歓声を上げ作業を終えて集まってくる。
「わあ、きれいですね。あっ、僕、このお魚をはやく持って行かないと」
水着に見とれそうになっていた木埜葉が、調理場に向かう途中だったことを思い出して歩き始めようとする。
「ちょっと待って木埜葉。天音たちへ伝言のお使い頼まれてくれるかな?」
それを紫雲が呼び止める。
「はい、いいですよ」
「実はね、森の……あと、この事は典人には……」
「分かりました。すぐに伝えてきます!」
紫雲から話を聞いた木埜葉は急ぎ砦へと駆け出した。
~ ~ ~
「なんだって!!!」
突然の典人の気配の代わりように、木埜葉は反射的に耳としっぽを立てて直立していた
(砦内を見て回ろうと思ってたけど、予定変更!)
「よしっ! 外の川を見に行こう!」
「はい!? はああ?」
呆けた返事を返した木埜葉を尻目に、踵を返した典人は足早に調理場を後にするのだった。




