第弐拾伍巻 気を揉んだ……結果
第弐拾伍巻 気を揉んだ……結果
牢獄核によって作られたであろう結界の境界を見るために森の中に入った典人たちだったが、境界付近で一つ角の大型兎に襲われる。
獲物認定されロックオン状態になった典人は一つ角の大型兎から逃げるため、坂を下って走っていたのだが、勢いが付き過ぎて止まれなくなってしまった。
走り込む先には見ることはできないが牢獄核の結界の境界があり、先に『油取り』の亜鳥が妖力で作り出した大きな串を投げて見せた際、結界に触れると同時に消滅してしまったところから、衝突すればただの人間である典人では一溜まりも無く消滅してしまうであろうことが予想できる。
それを助けるため、決死の覚悟で『藤原千方の四鬼』の『金鬼』である千金が飛び込んでいき、典人を確保するが、典人が足を滑らせ千金共々坂の下、結界の境界へと滑り落ちていってしまった。
二人は結界に触れ動かなくなり、皆慌てたが、しばらくして二人が起き上がるのが見えたことにより胸を撫でおろす。
それから、皆が典人たちのもとへ一斉に駆け降りていった。
「旦那様、ご無事ですか!」
『清姫』の祈世女が典人たちの元へ真っ先に駆け寄ってくる。
「危ないだろ! 何やってるのさ典人は。亜鳥の投げた槍がどうなったのか見ていただろ! て、あれ? 典人、怪我してるじゃないか! 鼻から血が出てるのか!? 大丈夫か!? 止血しないと!」
続いて駆けつけて来てから怒っていた『血塊』の覇里亜だったが、典人が鼻から血を流しているのを見た途端、斜に構えて冷たい印象のある覇里亜が予想外に心配して動揺してオロオロしている。
「大丈夫だから、ちょっとぶつけただけで大したことないから。何か詰めておけばそのうち止まるって」
「油取り紙なら持っているのですけど」
「止血に使えそうな植物を探してきましょうか?」
『油取り』の亜鳥と『木霊』の麗紀も心配している。
「傷口、舐メル?」
「七帆、お主、それは……おぬしが舐めて大丈夫なのか?」
『七歩蛇』の七帆と『妖狐』の璃菜も心配している?
「皆心配し過ぎだから。ポケットティッシュ持ってるから大丈夫だよ」
そういうと典人は取り出したポケットティッシュをヒラヒラと振って見せた。
「申し訳ありません。私が『金剛装気』の防御膜を張っていたせいで、抱え込んだ際、私の胸に思いっきり打ち付けてしまいました」
適当に言えばいいのに、忍を束ねる役回りのせいか生真面目なところのある千金は事実をありのままに皆に話した。
「そうでしたか。ですが、典人様をお守りするためでしたし」
「それはお主のせいではなかろう。致し方のない事だしな」
麗紀と璃菜が、千金を気遣って言う。
「ああ、なるほどな。あたいはてっきり典人が、千金の胸に興奮したのかと」
覇里亜は最初は一番慌てていたにもかかわらず、事情を理解した今は思いっきりわざとらしいニタニタ顔で典人をからかい始める。
「誤解だ! つうか、分かってて言ってるだろ覇里亜」
「旦那様! そんな鼻血を吹き出すほど千金さんの胸がお好きなんですか!? ……わたしなら、言ってくださればいつでも……こうなったら何とか、天音さんたちを躱して夜這いを……早速、今夜にでも……」
初めに駆けつけてから、覇里亜の隣で黙っていた祈世女だったが、やがて何やらブツブツと危ない思考を漏らし始める。
「だから、今の千金さんの話聞いてたよね。(半分)誤解だから!」
(確かに途中から千金さんの胸で窒息しそうになって、そこから逃れるために、千金さんの胸を思いっきり掴んだかもしれないけど。それはあくまで脱出の為だし、淡雪ちゃんも納得の完全な不可抗力だよな……って、ひっ!)
『覚』の慧理がこの場にいたら、典人の心を読んですかさず突っ込みを入れていたであろう。
完全な誤解? と声を上げる典人ではあったが、祈世女のその漏れ出した危険なオーラに背筋を寒くし慌てて別の話題を振ろうと頭を巡らす。
「そっ、そう言えば千金さん。さっき、ここは結界の外って言ってたよね。一体どういう事?」
「「!」」
それを聞いた他のメンバーもはっとなる。
「恐らく、結界が完全に消失しています」
「「えっ」」
流石にこの言葉には皆が一斉に驚きの声を上げた。
「そんな!? まさか! 確かに、いくらまとまりがなかったとは言えど、あれだけの妖が挑んで無駄だったんだぞ! そんな簡単に解けてたまるか!」
璃菜が白い狐耳をピンッと立て、周囲を探り始める。
祈世女や覇里亜も、それぞれに辺りに意識を向けている。
「結界の境界がたまたま広がっただけとは考えられませんか?」
麗紀が疑問を呈する。
「でしたら、また私が試して見ましょう。広がったにしてもどのくらい広がったか一応測れるでしょうし」
「そうだな。論より証拠。その方が早い師、試してみようか」
皆で結界の境界があったであろう場所まで戻り、亜鳥が大きな串を具現化させ、今度は充分な助走をつけ力一杯投擲する。
先ほどの投擲よりもさらに勢いの付いた大きな串が、先程よりも力強いギュンッという轟音と共に飛んでいき、今度は空中で結界に当たり消滅することなく、遠く、遠く、森の彼方へと消えて行った。
「「おおっ!」」
その場にいた全員から驚きの声が上がった。
亜鳥は再度試しにとばかりに大きな串を妖力で生み出しては結界の境界のあったところよりも外側に何本か投擲している。
だが、やはり先程と違い途中で遮られる事も無く、そのすべてが青空に一直線に飛んでいき、その後綺麗な放物線を描きながら遥か遠くの森の中へと消えて行った。
「これはやはり、結界が消失したと考えてよいのではないでしょうか」
その様子を眺めながら亜鳥がしみじみと呟く。だが、その表情は嬉しそうで、興奮しているのか力一杯何度も投げたせいか多少息が上がり頬が上気し、その頬に張り付いた飴色の髪と流れた一筋のきらめく汗が何か清々しい色気を感じさせた。
「私と御館様が結界に衝突した際、確かに結界は発動していました。
千金はその時の間隔を背中に思い出す。
「ああ、妾たちの所からも結界に接触した時に生じていた波紋は見て取れた」
璃菜の返事に他の女の子達も頷く。
結界に接触した時に生じていた波紋。
これまで牢獄核の砦に跳ばされてきた魑魅魍魎の中で、妖術にたけた者たちがいろいろな方法で牢獄核の結界の解除、あるいは突破を図ってきた。
しかし、その度にことごとく結界に阻まれ、妖力を吸収され、傷付いてきている。
幸い、消滅に至った者はいなかったが、妖力を無駄にそして大量に消耗する結果となり、中には千金のように瀕死にまで陥った者までいた。
その際に幾度と無く目にすることになった忌々しい波紋。
「その時私は、何かガラスが砕けるような感覚を覚えたのです。
それが砕けた。
「なんだって! 典人、お主はどうだ? 何か心当たりは有るか?」
信じられないと言わんばかりに、目を見開き璃菜が典人に詰め寄る。
「いやあ、全然覚えがないよ」
典人はその時、千金の胸に強打され鼻血を出し、千金の胸に押し付けられ窒息し掛け、それどころではなかったのだ。決して典人は悪くない! 繰り返そう! 決して典人は悪くない!
「……そうか」
「これは私の勝手な推測なのですが、もしかしたら御館様が結界に触れたことによって、結界が解除されたのではないでしょうか?」
「どうですか旦那様?」
期待に満ちた声で、祈世女がいつの間にかピタリと寄り添って典人を見上げながら訪ねてくる。
「えっ、オレ? そう言われてもなあ、オレなんかにそんな事出来る訳ないじゃん」
再度繰り返そう! 典人はその時、千金の胸に強打され鼻血を出し、千金の胸に押し付けられ窒息し掛け、それどころではなかったのだ。決して典人は悪くない! 再度再度繰り返そう! 決して典人は悪くない!
「そうか! 典人はあたいたちが召喚したその日に牢獄核の一部を身体に取り込んでいたよね」
何かに気付いたといわんばかりに覇里亜がはっとなって声を上げた。
「確かに、旦那様と牢獄核の欠片が一つになっていましたね……うらやましい」
祈世女がその事に頷く。最後の方が何かおかしなコメントだが、それは一先ず脇に置いておくとしよう。
「なるほどな。いうなれば、典人は牢獄核の牢獄の檻を開く鍵と言うわけか」
璃菜も覇里亜の言わんとするところを理解したようで、例えるように自分の見解を述べてみせた。
「オレが鍵? だからオレなんかがそんな大した……」
典人が謙遜気味に言葉を続けようとしたその時、典人に異変が起こった。
一瞬、心ここにあらずという目になる典人。
「どうなさいました旦那様?」
典人の異変にいち早く気が付いた祈世女が問いかける。
「……レベル3って事か」
「旦那様?」
その呟きに、祈世女が訝しんで典人に尋ねる。
「……どうやら、正解らしい。オレの中にある七枚の緒札の中の一枚『青行燈の呼び声』が反応してオレの心の中にある蝋燭の1本……3本目が消えた」
「本当ですか?」
麗紀が確認する。
「ああ、間違いないよ」
それを聞いて周りの女の子たちも喜びの声を上げた。
森の中に黄色い声が響き渡る。
「一歩前進?」
七帆が、典人に聞いてくる。
「ああ、その通りだよ」
思わず典人は七帆の頭を撫でていた。
どうやら、典人の思わぬ珍事により、結界が焼失したらしい。
「文字通り『怪我の功名』だな」
典人は鼻にティッシュを詰めたまま良い笑顔を見せる。
「典人、お主は少しは危なかった自覚をもて」
璃菜が呆れたと言わんばかりの顔で典人を見る。
「そうです旦那様! もし旦那様に万が一の事が有ったら、わたし冥府の果てまで追いかけて行くところだったんですから!」
涙目になりながら祈世女がしがみ付いてくる。
かなり重たい言葉だ。
いつもなら、そんな祈世女の言葉に冷や汗をかきつつ何とか話を逸らそうとあたふたする典人なのだが、祈世女の真剣な顔を見てしまっては、次に出て来る言葉はこれしかなかった。
「ごっ、ごめん……それから心配してくれてありがとう」
前進した事は嬉しい事には違いないが、一歩間違えていれば命を落としていた可能性すらあった。
今更ながらに典人の背中に冷たい物が走る。
流石に、能天気な典人もみんなの心配の言葉に素直に謝り、そしてお礼を言った。
「千金さん、改めてありがとう。もしかしたらオレも千金さんも、あの槍みたいに消滅していたかも知れないのに助けに飛び込んできてくれて」
典人は改めて千金の前に立ち深々と頭を下げた。
「いえ、頭をお上げください御館様。忍は主の為に生き、主の為に死ぬのが定めですから」
「それは……」
典人は続く言葉を失った。
何より、その言葉が嘘偽りのない言葉であるからだ。
たった今、身をもって体験し、身をもって証明して見せた言葉。
現代日本の一介の高校生として何気ない平和な日常に生きる典人にとってみれば、この言葉はある意味、祈世女の思いより重たい言葉かもしれない。




