第弐拾壱巻 気持ちの良い目覚め!
第弐拾壱巻 気持ちの良い目覚め!
朝。
意識がゆっくりと浮上してくる。
ふんわりと心地の良い甘く柔らかい香りが鼻孔を擽る。
(もう、朝……だよ、な?)
うっすらと目を開ける。が、視界が薄暗い
典人はボンヤリとした頭で手を顔の前に持ってこようとする。
ムニュリ
「?」
だが、何か柔らかいものに手が阻まれ失敗する。
「いやん」
「?」
もう一度トライする。
ムニュリ
「あんっ!」
「?? これは一体?」
「お目覚めですか御主人様?」
典人が疑問に思っていると頭上から声が掛かった。
そして、陰になっている物体のさらに上から反対向きで覗き込む様な感じで女の子が典人を見て柔らかく微笑んできた。
「あれ? 鞍魔ちゃん」
覗き込んでいたのは『枕返し』の鞍魔であった。
(それじゃあ、この間に有る物は?)
もう一度、ボーッとする意識で手をのばして典人と鞍魔の顔の間にある『モノ』を掴む。
ムニュリ
「あんっ! そんな、朝から」
「……」
ムニムニと柔らかい感触。
ムニュリ
「……」
程よく温かい感覚。
ムニュリ
「……」
徐々にハッキリとしていく意識。
「まっ!!!」
典人は状況を理解し、慌てて手を放し起き上がろうとする。
が、
ボフッ!
ムニュリ!
「むぐっ!」
目の前の『モノ』に阻まれ起き上がれずまた元の状態に戻る。
ノックダウン。
マット? に沈む典人。
典人が自覚した今の状態。
それは、鞍魔の柔らかく温かい温もりの太腿の上に頭を載せている状態。
典人はいつの間にか鞍魔に膝枕をされていたことになる。
そしてこの典人と鞍魔の間にある掴んだり、ノックダウンさせられたりした『モノ』は鞍魔の豊か過ぎる胸で間違いない様だ。
(これは! 大! 迫! 力!)
眼前に広がる山々の偉大なる絶景に暫し圧倒されつつ、それでもゆっくりと身体をずらして今度こそ起き上がり、鼻を摩る典人。
鼻血が噴出していたらドクターストップがかかったであろう。
そういう意味ではテクニカルノックアウトであろうか?
(それにしても、もう少し前かがみになられてたら、下乳で窒息死していたな)
その時は間違いなく天国行きであろう。
典人は映画やアニメの暗殺モノで見た、寝ているところに忍び込んだ刺客が寝ているターゲットに枕を押し付け殺害するシーンを思い浮かべていた。
反射的に大きく背伸びを一つ。
(『鞍魔連峰』とでも命名しようかな?)
まだ寝惚けた頭で思考がまとまらず、下らない事をあれこれ考えている典人。
それでも徐々に目が覚めてきた。
「えーっと、鞍魔ちゃん、何時の間に枕と入れ替わったんだ?」
「つい先程ですよ」
豊か過ぎる胸を張って得意げに言う鞍魔。
その際、右手で軽く胸を叩くが、ポフッという音が聞こえてきそうであった。
如何にも「わたしの本領発揮ですよ」と言わんばかりの仕草である。
「わたし、枕返しですから、相手に気付かせずに枕を入れ替えたりひっくり返したりするのは得意なんですよ」
と、長い黒髪を揺らし、悪戯っぽく笑う。
実際見事な悪戯だ。
(膝枕も枕のうちね)
流石に一週間ほど経つと徐々にいろいろと遠慮が亡くなって来たのか、昨日のお風呂といい、皆それぞれの妖の特徴が出始めてきた。
昨日と言えば、寝る前にも『布団かぶせ』の布風が突然に、
「布団を被せにきました!」
と言って典人の部屋に訪れてそのまま添い寝しようとした為、慌てて背中を押して部屋から出したという一幕もあった。
『布団かぶせ』は愛知県の民間伝承にある何処からともなく飛んできて人の顔にかぶさり窒息させる妖で、長く使われた布団の付喪神ともみられている。
典人としては確かに嬉しいシチュエーションではあったのだが、これから皆で力を合わせてこの異世界から地球の日本に還らなければならないのに、特定の女の子とだけ仲良くなり過ぎて、和が乱れる事になってしまうのはマズいと思い、一線は引こうと考えていた。
この辺は典人が来る前はまとまりが無かった事を聞いたのが影響している。
まあ、同時に、ラッキースケベくらいは勘弁してほしいと正直に心に思う典人ではある。
ただ、昨日の晩のお風呂での垢舐めの言葉が思い浮かべられる。
~ ~ ~
「からかわないでくださいよ亜華奈さん。オレも健全な男子高校生なんですよ。砦内にこれだけの可愛い子がいるんですから我慢できなくなるかもしれないじゃないですか」
「大丈夫ですよ。万が一の事が有ったら責任を取ってもらって憑りつかれるだけですから」
「なにそれ! 世間一般の責任の取り方より怖いんですけど」
~ ~ ~
などと言うやり取りをしていたため、その後はちょっと腰が引けていたのもあった。
ただ、持ち前の能天気さですぐにもったいない事をしたとえらく後悔していたのもまた事実である。
まあ今は違う意味で腰が引けている典人。
これに関しては取りあえず典人は朝のせいという事にして起きることにした。
ほどなくして、ドアを叩く音と共にメイド服に身を包んだ布風が、しなやかな身のこなしで長い黒髪をたなびかせスッと部屋に入ってくる。
「おはようございます、御主人様」
昨晩の一見は何処吹く風といわんばかりに、爽やかな笑顔を向けてくるスレンダー美少女。
「おはよう、布風さん」
起き上がった典人と入れ替わり、鞍魔と共にベットメイキングを始めた。
言い忘れていたが、典人は召喚された初日こそ持って来ていた自分の寝袋で寝たが、次の日以降は砦内に宛がわれた自分の部屋にあるベットを使っている。
鞍魔と布風は枕と布団という妖だけあって寝具の取り扱いはお手の物で、砦ではベットメイキングを一手に担っていた。
それから少し遅れて、長い黒髪の知的和風美少女、『角盥漱』の湖真知が洗面道具を携えて部屋に入ってきた。
『角盥漱』は 角盥という宮中の女性などの間で使用されていた漆塗りの洗面道具の妖で、能の『七小町』の『草子洗小町』に準えているとの説もある。
「おはよう湖真知さん」
「おはようございます、我が背の君」
「背の君? ってオレのこと?」
「はい、勿論です」
『背の君』とは、古く女性が男性(夫や恋人)に用いていた呼称である。
(同じくらいの年齢の子に背の君って言われても物凄い違和感が……)
典人は微妙な反応をしながら、湖真知の持って来てくれた盥で顔を洗う。
「我が背の君、梓さんが「朝食の用意が出来ていますので食堂にお越しください」と言っていました」
「あっ、ありがとう湖真知さん」
上げ膳据え膳、至れり尽くせり。
この砦に召喚されてから、一流ホテル並みの待遇に最初は居心地の悪さを感じていた典人ではあったが、一週間もすると流石になれた様で、すんなりと受け入れて部屋を出て大食堂へと向かう。
その途中、歩きながら先程の手の感触を思い出し右手を眺める典人。
思わず右手がワキワキしている。
(あの眺めは朝一取れたてのウイニングショットだな)
何か朝一もぎたての果物のような言いようだが、先ほどの素晴らしい光景はしっかりと心のアルバムに加えることを忘れなかった典人であった。
だが、同時にこうも思う。
「それにしても、正に蛇の生殺しだよなあ」
典人にしてみれば、これだけの可愛い子が揃っていて、尚且つ自分を慕っていてくれる、正に選り取り見取りの状態なのに、状況が状況だけにおいそれと手を出すことが出来ない。
まあ、今日は朝から違う意味でいきなり思いっきり手を出していたのだが。
「呼ンダ?」
「どわっ!」
後ろからいきなり声を掛けられて慌てて典人は振り返る。
そこには赤い髪に前髪が一房だけ金色を湛え即頭部からそれぞれ2本の金色の角を生やし耳の尖ったやや無表情気味の12歳くらいの少女が立っていた。
いつの間にか近付いていた『七歩蛇』の七帆である。
『七歩蛇』は京都府東山に伝わる蛇の怪で四足を持つ小さな赤い龍に似た姿をした蛇とされ、この蛇に噛まれた者は七歩と歩かないうちに死んでしまうと言われる。
「いっ、いや、七帆のことを言った訳じゃないから」
(ああ、そうか元は蛇の妖だったもんな)
「ソウ」
七帆は表情の変化の乏しい口調で典人に答える。
「食堂へ行くのか?」
「ソウ」
二つの「ソウ」の違いが微妙に分かり難いなと思いながら典人は会話を続ける。
「一緒に行くか?」
「ウン」
典人は七帆と共に大食堂に向かって歩き始めた。
「七帆は何が好きなんだ?」
「生卵、丸飲ミ」
七帆は表情が乏しいながらも、アーモンド形の目に金色の瞳を若干輝かせ答えた。
「ああ、やっぱり元は蛇の妖だから食の好みもそうなるのか」
今でも本質は変わっていないが、典人にはそうは写っていないのだろう。現在は何とも言えない雰囲気を纏った不思議系美幼女であり、典人にはそれが七帆なのである。
「最近、食ベテナイ」
「そうか米とか魚とか、結構そろっていると思ったけど、そう言えば肉や卵は出てこなかったっけ」
小豆洗いの梓たちの工夫を凝らした料理の数々のせいかあまり気にしていなかったが、ここ一週間以上、雨が降り続いているため、まともに外に出ることが出来なかったせいで狩りもできていない事は聞いていた。そのため、肉や卵の類は食卓に上がってはいなかったが、それ以外の食材で毎食違ったメニューが並んでいたので飽きの来ることがなかったのである。
魚に関しては水中の妖たちには雨はあまり関係ないようで、『河童』の津渦波や九州地方で河童に類する『ガラッパ』の嘉良波、何百年と経た魚が美しい女性の姿に化け男を川へ引きずり込み喰らうと言われる『こさめ小女郎』の小雨、『衣蛸』のこころ等が取ってきてくれていた。
もっとも、引き籠りっぽいこころに関しては小雨に川に引きずり込まれていったようだったが。
~ ~ ~
「何皆でいく流れを」
「これのどこにあなただけ行かない流れがあるんですか?」
「これはうちはお留守番の流れでしょ」
「百食分からの食料調達何ですよ! タコの手も借りたいんですから文句を言わずにさっさと来る!」
「それを言うならネコの手なのぉ。猫なら跨羽やことねや妙羅、らいちの手でも借りると良いのぉ。らいちなら、雨でも大喜びするのぉ。そんでもって、うちの座右の銘は『座食逸飽』なのぉ」
ちなみに、跨羽は『化け猫』、ことねは『五徳猫』、妙羅は『妙多羅天女』、らいちは『雷獣』と呼ばれるいずれも猫の妖とされている。
『五徳猫』は囲炉裏の前で五徳を頭に被り火吹き竹で火を起こす二本の尾を持つ猫の妖で、『妙多羅天女』は人が猫のように変化し、後に鬼化しやがて神として祭られるなど多くの逸話が残っている妖である。
「このタコ! ふざけた事言ってないで自分の足で歩きなさい! 津渦波さん、嘉良波さん、手伝ってくださいな」
「は~い、おまかせあれ!」
「分かった。フンフン♪ヒョウヒョウ♪」
「うち、引っ張り蛸なのぉ」
「……いっその事、八つ裂きにして差し上げましょうか? 鉈なら沢山持ってますよ」
「小雨ちゃん、それ八つ裂きじゃなくて」
「蛸のぶつ切り♪ フンフン♪ ヒョウヒョウ♪」
「嘉良波ちゃん、何で楽しそうなのぉ」
~ ~ ~
などというやり取りを繰り広げながら、ズルズルと小雨に引きずられて、こころは砦の敷地内を通る川へと消えていった。
そんな事を思い出しながら、ふと、典人は廊下にある窓から外を見た。
「おお、晴れてる」
今まで気が付かなかったが、外は晴れ渡り、久しぶりの陽ざしを大地にもたらしていた。
降り注ぐ陽の光が森の木々を照らし、今まで降り続いていた雨で葉に貯まった露に反射してかキラキラと輝いている。
この世界に召喚された次の日に見た時も思ったが、異世界でも空の色は変わらない。
正直これには安堵していた。もし、空の色がSF映画とかSFアニメとかのように赤や緑や紫で、それを毎日見続けることになったら精神的にやっていけないだろうなと考えていた。いや、もしかしたら慣れるのかもしれないけど、実際には不安しか浮かんでこないのであまり考えたくない事である。
それはさておき、
晴れである。
10日ぶりの晴れである。
待ちに待った、ようやくの晴れだ。
「ようやく外に出られるな」
「生卵、食ベレル?」
「見つかるといいな」
「ウン」
「……探してみるか」
典人はそうつぶやき七帆とともに大食堂へと向かった。




