第弐拾巻 気になる湯けむりの向こう側
第弐拾巻 気になる湯けむりの向こう側
チャポーン
湯気の為少しだけ霞がかっているせいか、天井から水滴が落ち湯船にでも当たったようで、小気味の良い水音が大浴場内に微かに響く。
「はあ、やっぱり日本人はお風呂だよなあ」
典人は身体を洗った後、銭湯や温泉ほどに大きな浴槽に浸かり、貸し切り気分を満喫するように伸び伸びと手足を伸ばしながら呟いた。
今、軽い気分転換をして事務室に戻り、女の子たちの役割分担とシフト分けの仕事を終え、今日も一日の疲れを取るため、典人は砦内にある大浴場に来ている。
チャポーン
(異世界だからあまり期待できなかったけど、こうやって浴槽に浸かれるのは素直に安らぐ)
典人としてはまだこの世界の他の人?と会っていないからこの世界の文明レベルが解らないので、この砦の建物の感じから勝手に中性ヨーロッパ風と判断していた。
その為、お風呂も浴槽の様な物に入れるとは思わず、せいぜい桶にお湯を汲んで布で身体を拭くだけくらいの感覚でいた。
ところが、『座敷童』のさきらに聞いてみると、この砦内には大きな浴場が存在しており、その中には何人もが一緒に入れる程の広々とした浴槽もちゃんとあるという事が分かった。
あと、典人が驚いたのは手拭いだけでなく、浴場に石鹸が置かれるようになり、更にはシャンプーまで用意されるようになったという事である。
これは異世界に来て次の日、典人は皆に今後の方針を話した時、その後で典人が持っていた物で参考に出来る者は無いかと持ち物を皆に見せてみると、幾つかの物が作り出すことが出来そうだという事になり、早速試してもらったのだが、流石その道の妖と言うべきか、見事に再現して見せてくれた。
典人としては今までそういった事をやってこなかったのかと思わなくも無いが、それぞれの柵が有り、皆バラバラにやっており、一部の仲の良い者同士でしか交流がなかった為、折角優れた能力を有しているにも関わらず、お互いの得意分野を持ち寄り協調しようとはせず、皆で協力し知恵を出し合って何かをするという事が無かったそうだ。
唯一全員で行なったと言えるのが、典人を召喚するための儀式『かもめ』であったという。
それも自らの消滅の危機が迫ってやっとの事であった。
そして典人を召喚したことにより、典人の中にある七枚の緒札の一枚『ぬらりひょんの七光り』の効果によるものか、今まで自由気ままに好き勝手やっていた皆が典人の意向に沿ってまとまろうと動き出したのである。
協調性の芽生えとでも言うべき事であろうか。
その変化は劇的で、歴史上や伝承上対立関係にあった筈の者同士が一応は同じ目的を持って行動し始めたのである。まだ蟠りはあるようではあるが、表立って争いなどの問題は起きていない。
それどころか更なる工夫を凝らしてくれたものも有る。
代表的な例が石鹸やシャンプーであった。
これは『油徳利』の由利や『木霊』の麗紀が中心となって2・3日で再現して見せてくれた。
『油徳利』はある農家で生活に必要な油を5年間出し続けたとされる徳利の妖である。
「品質保証期限は5年ですのでご注意ください」
潤いのある豊かな黒髪ストレートロングが目に付く15歳くらいの少女が胸を張って応えていたのが典人には印象的だった。
キューティクルも艶やかで、妖怪ではあるが見事な天使の輪を湛えていた。
どうやらこの娘、由利も『小豆洗い』の梓と同様、同系統の物、この場合は油に関係する製品を解析し、妖力で創造する事が出来るようだ。
典人が持っていた旅行用の石鹸を皆で協力して再現しただけではなく、幾つかの植物による香りのバリエーションまで作り出していた。
「ようやく一段落付いたかな?」
典人は浴槽に肩までつかり広い浴室を見渡していた。
恐らく大規模の砦の為、広い浴室が用意されていたのだろう。
「果たしてこの世界、本当に、人みたいな生き物がいるんだろうか」
元の世界、地球の中世ヨーロッパ風の廃砦に跳ばされた為、この世界も西洋風ファンタジー世界みたいな所じゃないかと思い込んでしまったが、一週間経っても、雨のせいもあるが、未だ森はおろか砦の周囲すら見れてはいない。
その間、他所からの来客は無い。
当然、仲間の女の子たち以外、人らしきものにも出会ってはいない典人であったが、一段落付けたと思えるようになったことにより、不意に胸中に不安が過って来た。
もし文明と呼べるようなものを持っている生き物がいない世界だとしたら?
もし文明があったとしてもすでに滅んで、この廃砦のように誰もいなくなっていたとしたら?
そうだとしたら、元の世界、地球の日本に還る手がかりなんて見つけられないかもしれない。
今までは女の子たちの面接や役割分担やシフト分けに追われ忙しかったため、あまり考えずに住んでいたという側面もあった。
集団で生活していく基本を作るため、仕方がなかったとは言え、まだ何も分かってはいない。
……そう言えば、それ以前にこの森から出られないってさきらちゃんたちが言っていたっけ
心が少し沈んでくる。
チャポーン
「あっ、のりとおにいちゃまだ! わ~い!」
沈んだ心に波紋を落とすように、声と共に立ち込める湯煙の中から、小さな人影が飛び出て来る。
「!!!」
飛びだして来た影の正体は『木の子』と呼ばれる森の妖の木の実であった。
典人は不意に既視感に襲われていた。
(また、このパターンか!)
それはこの砦に召喚された次の日の事。
魑魅魍魎たちの名付けを申し出た際、一番に女の子の輪の中から飛び出して来た子。
しかもその時は胸と股間に葉っぱを付けただけを普段着と言う姿に慌てた。
が、今回は葉っぱはおろか何一つ身に着けていない。
まあ、風呂場なので当たり前と言えば当たり前なのだが。
今回は自分自身も夏服はおろか何一つ身に付けてはいない。
咄嗟に自分の周囲に目を走らせる。
リュックから持ってきたバスタオルは脱衣所に置いて来ている。
あったのはせいぜい横に置いている自分のフェイスタオルぐらいだが、いくら小さい木の実の身体でもこれで覆えるのは上だけか下だけかのどちらかであろう。
(流石にここに千尋さんとかはいないしなあ。いたらいたでそれはそれでヤバいか? いや、うれしいだけか)
前回は機織りの妖である『機尋』の千尋の機転により、反物を巻き付ける事で隠すことが出来たが、今回はそれは望めない。
どうしようかと考えていると、
「なんじゃ、御館様も入っておったのじゃな」
「一番風呂は御館様だよ」
「わたしたちの大黒柱だもん」
「それもそうじゃな」
「!!!」
更なる追撃がやってきた。
『山姥』の麻弥刃と『座敷童』のさきら、そしてさきらとよく似ているが地面まで届きそうな長い黒髪をした少女『蔵ぼっこ』の小補玖が続いて入ってきた。
『蔵ぼっこ』は岩手県に伝わる座敷童の類の妖とされ、また、蔵を守り、防火の神としても伝えられている。
典人はこの世界に来て最初に『座敷童』のさきらと会った時も思ったし、ここ一週間、いろいろな場面で感じている事だが、小さい女の子の扱いはあまり慣れてはいない。せいぜい、年に1・2回田舎の爺ちゃんの家で親戚一同が介した時に会う従妹のちびっ子たちの相手をするくらいしか機会がなかった。それも翻弄されているうちに時が過ぎて終わるといった程度のものだ。
だが、更に更にそれだけではとどまらず、まだまだ続く。
「わあい、典人お兄さんもいっしょです!」
「あたち、せなかながしてあげる!」
「ボクもボクも背中流すよ!」
『ケセランパサラン』の世良と『赤殿中』の灯狸、『コボッチ』の千補が元気よく駆け寄ってくる。
「……妄想シャワーシーンならぬ、リアル入浴シーン」
止めとばかりに、いつぞやの典人の言葉の切り返しなのか、『覚』の慧理も姿を現した。
見事に、多分見た目お子様組の子たちが続々と入ってきた。
子供だし、銭湯とか温泉とかなら有りなのか? と思う典人ではあるが、中には見た目の年齢にそぐわないものを持っている子もいる。
(木の実ちゃん、麻弥刃ちゃん、さきらちゃん、小補玖ちゃんはまあお子様の範囲だろう。世良ちゃんと慧理はギリギリか? でも、射鳥ちゃん、灯狸ちゃんの狸っ子と千補ちゃんは小さいのに反則だろ!)
人間の『偏見』と言う尺度で物を見ると勘違いしがちだが、冷静に考えれば、ここにいる魑魅魍魎は皆、数世紀の単位の年月を経ているため、典人より遥かに年上、所謂『合法ロリ』である。
しかも、合法も合法、法の訴求も及ばない、法を作った者達よりもはるかに昔より存在する敬うべきものたちばかりであった。
ただ、見た目の在り方とそれに引き摺られた性格や行動が、人間の見た目の歳それ相応なだけであって……。
「ストォーップ!」
典人が声を上げ両手を前に突き出して制止する。
「床が滑るからお風呂場で走ってはいけません。あと、浴槽に入る前に身体をちゃんと洗って来る事」
小さくても女の子が裸で入って来たので動揺するかと思ったが、これだけ一度に入って来ると逆に冷静になれた。
「「は~い!」」
ちびっ子たちの元気な返事と共に皆洗い場の方へと移動していく。
お風呂場だという事もあってか、女の子一人として意識しなければちびっ子たちのお風呂の引率的な感覚で案外平静に対応できそうだ。
「うふふ、さきらちゃんが名付けの時に行っていましたけど、なんだかお父さんみたいですね」
「!!!」
左を振り向くと、気が付かないうちに隣には『垢舐め』の亜華奈が湯に浸かっていた。
「何故、亜華奈さんまでいるんですか!」
子供はまあ兎も角、亜華奈は見た目典人と同じくらいの年齢の容姿をしている。しかも服の上からでもしっかり分かるくらいの巨乳だ。それが一糸纏わぬ姿で典人の隣でいつの間にか湯に浸かっているのである。いや、まあ一応、バスタオルのような布? を巻いてはいるのだが。
(浮いてる! 何か、二つ浮いてる!)
典人は湯船に浮かぶ二つのUMAを食い入るように見ている。健康的な高校生の典人が拒否する理由は何もない! 断言しよう。断じて何も無い!
「このお風呂場は私のテリトリーですから」
典人の視線を知ってか知らずか亜華奈が自慢げに胸を張る。
「にっ、にしたって、一緒に入らなくても」
「人数が多いですから。それに皆、気にしてませんし。何せ、幕末より以前はもっと性に対しておおらかでしたね。寛政の改革より前に至っては湯屋では意外と混浴も平然とまかり通っていましたし」
(何っその桃源郷!)
典人は心の叫びを抑えつつ冷静さを装う。
「えっと、俺は一番風呂じゃなくても良いですから、今後は人数が多くて回すのが大変なら気にせず飛ばしてください」
と言うか、毎回一番風呂って実は身体にあまり良くないと典人は聞いたことがある。
新の湯は皮膚に対する刺激が強いのだそうで、保湿成分である油分や栄養成分を失わせ身体に負担を掛けてしまうらしい。
本来は複数人なら適当に順繰り回していくのが良いそうだ。
つまり昔風の「一家の長たるお父さんが一番風呂」というのは実は……。
(そう考えると、何か微妙に怖い話みたいだな)
「お気を使わなくても、正確には一番ではない時も有りましたよ。確かにお湯を沸かしてからですと一番でしたけど、熱いお湯より水の方が合っている妖もおりますので」
「そうなの?」
「はい、雪女である淡雪さんとつらら女である雪良さんはお湯が苦手ですので、沸かす前に水風呂に入っていますね。特に雪良さんは極端に熱に弱いのでサウナみたいな蒸気に当たるだけでもトロけてしまいますし」
典人は思わず艶やかに乱れている雪良の艶姿を想像してしまっていた。
「多分、典人様の想像とは違うと思いますよ」
典人の表情を見て、亜華奈が耳元で囁く。
その際、亜華奈はチロリと典人の耳の穴を舐めた。
何とも言えぬ感覚が典人の脊髄を駆け巡る。
「うわあ! 何するんですか、亜華奈さんいきなり!」
「私、『垢舐め』ですから」
艶っぽい亜華奈の笑みに、思わずドキリとしてしまう典人。
「お望みとあれば、全身くまなく舐めて差し上げますよ。ふふっ」
唇に右手を当てて口元を隠す様に上品に微笑む亜華奈。
だが、ちゃんと隠せていない口元からチロリと見える舌が余計に艶めかしさを増す結果となっていた。
思わずゴクリと息を飲む典人。
「いいの?」
そのままフラフラと吸い寄せられ流されそうになる。
「ええ、勿論ですわ。それが私の本分ですもの」
だがその瞬間。
チャポーン
「典人お兄ちゃん、背中流してあげっる!」
「は! オッ、オレは一体何をしようと!?」
洗い場の方からかけられたさきらの言葉にハッと我に返る典人。
「ふふ、ちょっと残念ですわね」
悪戯がバレたと言わんばかりの表情で、亜華奈がチロリと舌を出す。
「からかわないでくださいよ亜華奈さん。オレも健全な男子高校生なんですよ。砦内にこれだけの可愛い子がいるんですから我慢できなくなるかもしれないじゃないですか」
「大丈夫ですよ。万が一の事が有ったら責任を取ってもらって憑りつかれるだけですから」
「なにそれ! 世間一般の責任の取り方より怖いんですけど」
典人は横に置いてあった自分のタオルを手に取る。
「気が向きましたら何時でもおっしゃって下さいましね」
タオルを巻き、その言葉を背にちびっ子たちが待つ洗い場に向かう典人だった。
「……」
「これでも気を使っているんだから」
「……そんな事は分かっているの」
慧理は典人には聞こえないくらいの小さな声でポツリと呟いた。
「お待ちしてました旦那様、お背中を流させていただきます」
「あ~! あたちがさきぃ~!」
「きっ、祈世女ちゃんも入ってたんだ」
「当然です! 旦那様のお風呂の世話は妻として外せません!」
「そっ、そうなんだ……」
「それじゃあ、皆で典人様のこと洗っちゃおう!」
小補玖が無邪気に提案する。
「「さんせ~い!」なのじゃ」
「えっ、ちょっ、待……、お手柔らかに~!」
それから典人は泡まみれ幼女まみ……妖女まみれになりつつ洗われていくのであった。
風呂上がり後。
「今日のウイニングショットだな」
そして、先ほどの数々の素晴らしい光景はしっかりと心のアルバムに加えることを忘れなかった典人であった。
(……本当にウイニングショットにしていいのかなあ?)
多少の疑問を残しつつ。




