第弐巻 気が付けば
第弐巻 気が付けば
典人は目の前で自分に笑顔を向けてくる、赤い着物を着た色白黒髪でおかっぱ頭の可愛らしい少女をマジマジと見ている。
今でも充分可愛らしいが、あと数年このまま順調に育てば、現在では少なくなってきている素朴な感じのする美少女になるだろうなと、典人は瞬間的に確信めいた想像してしまっていた。勝手な高校生男子の健全な妄想である。
年の頃は10歳位だろうか? 小学校低学年と言う程でもないが中学生という感じでもない。
だが、小柄なのでどちらかと言えば小学校低学年よりな気がするかなという印象だ。
膝が見え、太腿の半分くらいまでの丈の赤い飾り気や模様のない着物を着て、足元には同じく赤い鼻緒の草履を履いている。
今から夏祭りにでも行くのだろうかと、今の状況には明らかに場違いな感想を頭の中に浮かべる典人だったが、自分の不可思議な状況から考えて、それは無いだろうと思い直して一先ず話掛けてみることにした。
「オレは天神 典人っていうんだけど、キミの名前は何て言うのかな?」
「わたしは座敷童だよ、御館様、よろしくね!」
屈託のない満面の笑みを浮かべて答えを返してくる赤い着物の少女。実に可愛らしい。可愛らしいのだが。
「座敷童?」
思わず、典人の頭の上に疑問符が浮かぶ。
いや、『座敷童』を知らないわけじゃない。
ただ単に自分の質問に対する答えが、自分が想定していた『名前』とずれていたため、一瞬思考が追い付かなかっただけである。
(座敷童って、おいおい。『ごっこ』かなんかか? やっぱりお祭りとか、コスプレ大会とかか?)
「えっと、お祭り用の衣装かな? とっても似合ってて可愛いけど、そうじゃなくって名前の方なんだけど、教えてくれるかな?」
子供がからかってきているのかとも思うが、一先ずこういう時は根気よく話を聞いて行くのが子供と話す時のコツだと典人は考え話を続けて行くことにした。
「んっ? 座敷童は座敷童だよ。変な御館様」
一瞬、キョトンとした様子で答えるおかっぱ頭の少女。
だが、それもすぐに元に戻り、ニコニコ笑顔になる。
「御館様って……俺のこと?」
典人は若干顔を引きつらせながら自分を指さして尋ねる。
(何だよ『御館様』って。戦国時代かよ!)
心の中だけで突っ込みを入れるのに留めておく典人。
「そうだよ。御館様は御館様だよ。変な御館様」
相変わらずニコニコと満面の笑顔を浮かべながらこちらを真っ直ぐ見つめて答えてくる少女。
「……」
(かっ、会話が噛み合わない。と言うか、もしかしなくてもオレ、警戒されてる?)
口元が更にひくつきそうになるのを必死に抑えつつ話を進めようと言葉を考える典人。
典人は一人っ子である。ゆえに当然弟や妹はいない。そう言う訳でこういう時の小学生への上手な会話の持って行き方にあまり慣れていない。
なので一旦名前を聞くのはあきらめて話題を変えることにする。
「ここは何処だか分かるかな?」
割と切り替えは速い典人であった。
「あのね、あのね。大きな石造りの館の中?」
(何故疑問形? 地元の子じゃないのか)
「森の中の?」
「……えっとね、うんとね、森の中は森の中なんだけど、よく分からない森の中なの!」
「えっと、よく分からない森の中って、もしかして、キミも迷子になったのかな?」
「キミじゃなくて、わたしは座敷童なの。そじゃないの。えっと、えっとね、森が何時もの森じゃないの! 出られないの! このままじゃみんな消えちゃうの!」
両手を広げ必死に全身を使ってワタワタと説明しようとする座敷童と名乗る少女。
愛らしさ全開なのだが、典人としては今はそういう感情に浸ってほだされている時と場合でもない。
「え~と……出られない? 消えちゃう? 森から?」
典人は小さい子との会話の難しさを改めて感じた気がした。
小さい子は一生懸命「伝えたい」「話したい」という気持ちは伝わって来るのであるが、場合によってそれが話そう話そうという気持ちが先走りし過ぎて要領を得ないことがままあるのである。
これはどうしたものかと、典人は途方に暮れそうになった。
状況が分からないのもそうだが、もう一つ気付いてしまった事がある。
それは、この自分のことを座敷童と名乗る少女も、もしかしたら迷子かもしれないという事である。
だとすると、まともに名乗ろうとしないのはやはり典人を警戒しているからなのかもしれない。
それならまあ仕方がないかと、典人は納得していた。
どれだけ気を失っていたのかは分からないけど、恐らく外はもう日が沈んで真っ暗の筈である。
迷子になっている最中、倒れていたとは言え、典人は至極健全な高校生男子で、この子は多感な時期に入りつつある女の子である。警戒されて当然であろう。
意識してなのか? それとも無意識なのか? それは分からないが自分の身体の自己防衛本能が発揮されていても無理からぬことである。
それでもこの子はきっと、そのまま野ざらしにはできないと思って、見つけた典人をここまで運んできてくれたのであろう。感謝すべきことであった。
「んっ?」
ふと、典人は小さな疑問に気付く。
(それにしても、こんな華奢な子がオレと荷物を一緒じゃないにしろ運べるのか? 服を見ても引きずられた様子も無いし)
自分の服を見やり、服に引きずった時にできるような汚れや擦れたような跡が無い事を確認する典人。
そんな事を考えていると、いきなり横合いから声が掛けられた。
「御館様、ここはどうやら私たちが知っている日本の森の中ではないようなのです」
「うおっ!」
目線を自分の足元に向け意識が逸れていたため、不意を突かれた感じで声を掛けられた形となった典人は、思わず顔を上げ声の下方向に身体を向けると同時に後ろへ一歩下がっていた。
典人が視線を向けた先には、大きなクリッとした瞳が印象的で可愛い、歳の頃なら自分と同じくらいの少女がこちらをその瞳で見つめ穏やかに微笑んで立っていたからだ。
(あれ? この部屋の中にはオレと自称座敷童の女の子しかいなかった気がするけど。勘違いだったかな? それにしても、この子もオレの事を御館様って呼ぶのかよ)
「あっ、ゴメン。避けたわけじゃないんだ。ただ気にしてなかったところから突然声を掛けられたもんでビックリしてさ。オレは天神 典人。よろしくね」
典人はさりげなく右手を差し出す。
「こちらこそ。驚かす気は無かったんですよ。御免なさいね。私は小豆洗いです」
小豆洗いと名乗った少女も気にした様子も無く右手を出してニッコリと微笑んで典人と握手をする。
「『小豆洗い』?」
(この子もかあ! オレ、そんなに警戒される程、怪しいヤツに見えるのかな? そりゃ、こんだけ可愛けりゃお近づきになりたいとか、連絡先はとか、スリーサイズとか知りたいとは思うけどさあ……それにしてもすべすべで柔らかくて綺麗な手だなあ)
若干落ち込みつつ、それでも目の前の美少女の手の柔らかさに感激しつつ物思いにふけっていると、ふと典人を見つめているくりっとした大きな瞳と目が合う。
「どうかしましたか?」
「いや、手がすごく綺麗……じゃなくて、日本の森じゃないって、どういう事?」
誤魔化す様に自分ではさりげなく話題を振れたと思っている典人。
まあ実際、この女の子の言い回しに引っ掛かりを覚え得たのは間違いない事ではある。
「はい。まず、この石造りの場所ですが、座敷童は『館』と申しておりましたが、どうも、正確には西洋の中世頃の廃砦の様な造りをしているのです」
それを気にした様でも無く話を続ける小豆洗いと名乗った少女。
「廃砦? どこかの倉庫じゃなくて?」
「はい。今は夜で暗いですが、明るくなって見て見れば矢を射かける所や見張り塔などが有りましたので間違いないと思いますよ」
「どういう事? 訳が分からないんだけど」
日本風の城と言うならまだしも、西洋風の砦というのは日本では聞いたことが無い。典人が知らないだけかもしれないが。それにこの子が言っている事が本当ならという前提も付く。
「つまり、端的に言うと、ここは異世界で、私たちが御館様をお呼びしましたと言う事です」
「はい? 異世界? 呼んだ? うおっ!」
声のした方向を振り向くと、そこにはまたも気付かないうちに後ろに女の子が一人立っていた。
光の量の関係で少し分かり難いが、二人の子に比べて多少だが顔が赤味がかっている気がする。髪も同じくかなり赤くそれを後ろで束ねている。年齢は典人や小豆洗いと同じくらいなのだろうが、光の具合かも知れないが口元が妙に色っぽく、少し見えた舌が艶っぽい。美少女であるが、どちらかと言うと美女と言う表現の方が合いそうな感じの子だ。それも、妖艶と言った系統の。つまり、砕いて言ってしまえばエッチっぽい。
「驚かせてすみません、垢舐めと言います。以後、よろしくお願いいたします。御館様」
謝ってはいるものの、悪戯が成功したと言う感じでチロリと舌をだす垢舐めと名乗った少女。
「よっ、よろしく」
典人はその姿に多少ドギマギしてしまう。同世代ではあろうが艶っぽい雰囲気と茶目っ気のある仕草とのギャップが何とも言えない魅力を醸し出している。
それとは別にすでに三度目である。まともに名乗ってくれないのも自分の事を『御館様』と呼ぶのもすでに気にしない、というか諦め気分な典人であった。
「それにしたって、一体どうやれば伊勢志摩から甲府までの歩き旅で異世界にご案内になるんだよ?」
「そうですね。どう話したらよいものか?」
それにしても、異世界とは唐突過ぎる話だ。
典人もネットで異世界小説を読むことがあるから、ある程度は知っている。
とは言っても、それ程数を読んでいるわけでもないので、あまり詳しい訳では無いのだが、何となく異世界に行くにはトラックにひかれそうな女の子を助けるために自分がトラックに引かれるとか、いきなり通り魔に刺されてとかそういう『方法』で『逝く』ものだと漠然と考えていた。後は教室にいたら光り輝いてクラスメイト全員でとかか。
少なくとも一人旅でのどかな道を歩いていたら異世界ですというような認識は無い。
「甲府。ああ、甲斐の国ですか。伊勢志摩から甲斐の国への歩き旅をされていたのですね、御館様は。いいですね。藤垈の滝には行ってみましたか? 良い所ですよ。水が綺麗で砥ぐのに適しているんですよ」
どこか懐かしそうに小豆洗いと名乗った少女がクリッとした大きな目を細めて話す。
「寄ってみようかと思っていた途中だったんだけど。甲斐の国? ああ、戦国時代とかの言い方ね。……んっ! 待てよ。三重県の伊勢志摩から山梨県の甲府へ → 伊勢志摩から甲斐の国へ → 伊勢から甲斐へ →イセカイへ → 異世界へ! って、駄洒落かい!」
典人が誰にともなく突っ込みを入れて絶叫する。
「駄洒落じゃなくて恐らく一種の言霊です、御館様」
「まあ、正確には音霊と言うべきかもしれないけどね」
「それと私たちの術式が偶然に偶然を重ねた結果、御館様をお招きすることに成功したのでしょう」
「どわっ!!!」
今この場にいる3人以外の所からの一斉の声かけに驚く典人。
気が付いて振り返ると、更に3人。典人の周りを囲むように立っていた。