第拾玖巻 気転を効かせて快適生活作り
第拾玖巻 気転を効かせて快適生活作り
ここ一週間以上、ずっと雨が続いている。
豪雨と言う訳ではないが、一日中弱い雨が降っているというなんとも気の滅入る天気が続いている為、足元がぬかるんでいたりして、外を調べ歩くには不向きな状況であった。
なので、典人は算盤小僧改め算盤小娘の珠奇の勧めもあって、事務仕事の気分転換も兼ね、現在、砦内を歩き回っている最中だ。
典人自身、外に出られず閉塞感が募っていたのも確かである。
流石は砦と言うだけあって内部はとても広いし、部屋数も多いので探検を兼ねて歩き回るには最適である。
典人は、まるで旅行に行った時の旅行先のホテルや旅館を探検したがる子供のような気持ちで、砦内を歩き回っていた。
そう、砦である。
男の子なら、冒険心がムクムクと頭を擡げてきても何ら無理からぬシチュエーションであろう。
大体の部屋は何の変哲もない普通の部屋ではあるのだが、知らない所に足を踏み入れるワクワク感はいつでも新鮮な気持ちを少年に与えてくれていた。
そう、少年の心に……。
「ふ~んふんふっふん♪ おっ!」
典人が廊下を鼻歌交じりで歩いていると、ふと見た廊下の向こう側に洗濯籠に洗濯物を山のように積み上げ、それを一生懸命な感じで抱えて運び歩いてこちらに向かって来る少女の姿を見つけた。
メイド服に身を包みキツネ色の長髪を後ろで一まとめにした15歳くらいの少女、『洗濯狐』の月世であった。
『洗濯狐』は静岡県の伝承で夜中に洗濯の音を立てるという妖である。
典人は早速声を掛けてみる事にした。
「フンフンフン♪ フンフンフン♪ お洗濯♪ お洗濯♪」
大変そうだなと近付いてみたのだが、典人が思っている程そうではない様で、距離が近付くにつれ軽やかで楽しそうな鼻歌が聞こえてくる。
「やあ、月世ちゃんお疲れ様。重そうだね、手伝おうか?」
ホワイトブリムの横からピコピコと飛び出て揺れているキツネ耳とメイド服の後ろから飛び出ているキツネのモフモフしっぽがユラユラと左右に振っている動きがとてもキュートだ。
典人としてはどちらも甲乙付け難く、思わず両方ともに思う存分先端から根元まで余す所無くモフりたくなる衝動に駆られるパーツである。
「あっ、ご主人様。いえ、大丈夫ですよ。これは洗濯狐としてのわたしの存在理由ですし、それにこの砦はご主人様以外は全員女の子なので女の子用の下着が多いですから」
月世がやんわりと断ろうとする。
「是非手伝おうか!」
が、典人が間髪入れず喰い気味に迫ってきた。
「え~っと」
多少引き攣った笑顔で月世が困った表情を浮かべ一歩後ろに下がり気味になっていると、さらに典人の後ろから声が掛かった。
「御館様、お戯れが過ぎますよ」
「千金さん」
月世が目線を向けたそこには藤原線方の四鬼、実際には六鬼の一人である金鬼の千金がいつのまにやら静かな面持ちで佇んでいた。
「月世殿、私が手伝いましょう」
典人の横をすり抜け、月世に歩み寄る千金。その所作は流石忍びのルーツとも言われるものか、只歩いているだけなのに、流麗で隙が無い。
「有難うございます、千金さん」
月世は典人の心底残念な表情は見なかったことにしつつ、千金に洗濯籠をお願いして額の汗を拭い、ふうっと一息ついた。その際にフサフサの耳がピョコンと反応するのが愛らしい。
「いっ、いつも洗濯ありがとうな。今日みたいな雨の日は大変だろ?」
残念そうにしていた典人が多少持ち直し、月世にねぎらいの言葉を掛けながら三人で廊下を歩き出す。
割と切り替えは速い典人であった。
「そうですね。こう、雨の日が続くと、なかなか乾きにくくって。お洗濯ものは速く乾かすのが生乾き防止の一つのポイントなんですよ」
月世が廊下の窓の外を見やり呟く。心なしかキツネ耳がペタンとしている。
外は相変わらずの灰色の空でシトシトと雨を降らせていた。
砦の壁の向こう側に見える森は雨で煙り、深い緑がかすんで広がっている。
こちらの世界の気候はまだ良く分からないが、現在は雨期なのだろうか、ここ一週間近く雨が降り続いているため、当然外干しは出来ないでいる。
「でも、洗ってくれた洗濯物って、良い匂いがし……」
典人が思いやりのフォローも込めて事実を述べようとした時、窓の外を見つめていた月世が急にクルリと典人の方を向き直った。
「でも大丈夫です! 千火ちゃんと千風ちゃんが手伝ってくれることになったので生乾き対策はバッチリです!」
手を胸の前で掲げて、妙に力のこもった声で答える月世。どうやら洗濯物を乾かすことに何らかのこだわりがあるようである。ギュッと握りしめた拳は砦内の洗濯物をほぼ一手に引き受けているにも関わらずとてもスベスベしていそうで手荒れなどは見受けられず細く綺麗な手をしていた。思わず握り締めたくなる。
「へえ、どうやって?」
興味がわいたのか典人が月世に尋ねる。
「あちらをご覧ください!」
月世の指さす方向に目をやり、典人は思わず目を大きく見開いていた。
「レースにフリルにリボンにひも……ひもっ! おおっ! カラフルな下着が縦横無尽に! 色とりどりの花畑の間を、まるで命の息吹を謳歌するかの様に飛び回る調たちの群れが、見る者を祝福しているかの如く歓迎のアーチを作り出している。ここはパラダイスか!」
丁度、洗濯物を干している部屋へと付いた典人達の目に飛び込んできたものは、教室の倍はありそうな広い部屋に、所狭しと張り巡らされた洗濯紐に吊るされた下着の群れであった。
そこには正に、満艦飾と呼ぶにふさわしい光景が広がっている。
その素晴らしい光景に対する溢れんばかりの心の内を典人は情熱的な表現を持って一気に言葉へと紡ぎ出していった。
「何で御主人様はこういう時の表現力だけは何かの品評会みたいに妙に豊かになるんですか!? そっちじゃありません。あっちを見て下さい! それとそっちには目線を向けないようにしていただけると嬉しいのですが」
やや、いや、かなり呆れ気味に月世が典人を諭す。
「オレは向けてた方が目が嬉しいのだけど」
「はあ」
典人の正直すぎる感想に月世が盛大に溜め息をついた。
「何なら、目隠し代わりに土壁でも作って置こうか?」
部屋の入り口付近にいた土鬼の千土が月世たちに提案してくる。
「千土さん、お願いできます?」
割と本気の表情で月世が千土にお願いする。
「構わないよ。お安い御用さ」
「わっ、わっ、分かったから、もったいないじゃなくて、風通しが悪くなるから止めておこうな」
大慌てで止めに入る典人。
「はあ、仕方ありません。ちゃんとあちらをご覧くださいね」
月世はまた溜め息を一つ付き、洗濯物が干してある所とは反対の方を指差す。
典人は残念そうに、本当、心底残念そうに首を月世が指差している方へと向けた。
そこには大きな火の玉を作り出し、それを維持している『火鬼』の千火と、その横で風を操り洗濯物の方へと温風を送っている『風鬼』の千風の姿があった。
「……あれは?」
「合体忍法・温風乾燥機」
いつの間にやら隣に現れた『隠形鬼』の千隠が解説してくれた。
現われると言っても以前見た『やんぼし』の夜星のように影からせり上がって来るというイメージでは無く、音も無く一瞬のうちに現われて隣にいたという漢字である。
正直、典人は少し焦った。
「御館様の命も有りますし、連携と制御の鍛錬にもなります故、月世殿に協力させて頂いている次第です」
千隠の言葉に千金が補足の説明を付け加える。
典人は集団生活の形を作って行く上で役割分担をする際、洗濯や掃除、料理といった生活系や服飾や鍛治などといった生産系の様に、それぞれの得意な分野を専門に割り当てる様にしていった。
これが普通の人の間であれば、シフト作りの際、公平性の関係で揉めたりもしそうだが、もともとがその物事についての執着などから妖となったものからすれば、はまりさえすれば正に天職であるのだろう。
加えて典人のうちにある七つの緒札の一枚『ぬらりひょんの七光り』の効果もあって、皆快く引き受けてくれた。
そんな中、魑魅魍魎の中には生活向きではない者も多くいた。
『藤原千方の四鬼』、実は六鬼も、その類であった。
もともと忍びの元とも言われ、その中でも戦働きを得手としている彼女たちである。
晴れれば、食料調達に狩りをしてもらうことになるだろうが、現在は雨が降り続いているため、他の担当の子たちのサポートに回ってもらっている。
「初めは千火ちゃん、火力が強すぎて危うく洗濯物を燃やしかけて着る物なくなるところだったもんね」
風を操りながら千風がにこやかに笑う。
「それを言うなら、千風ちゃんもそれに乗じて火災旋風起こそうとしなかった?」
それに千火も応じる。
「あの時は千水ちゃんのおかげで助かったよ」
「一歩間違えば水蒸気爆発だったかもでしたけどね。あはは」
もしもの時の消火役なのだろう『水鬼』の千水が千火と千風の隣に控えながら照れ笑いをしている。
笑顔で笑いながら話している美少女たち。
洗濯の話で家庭的で男心を大変擽る光景ではあるのだが、内容が微妙に物騒なのが誠に残念だ。
「……火の元には十分気を付けてね」
洗濯の話だったよな? と典人は疑問を浮かべつつその部屋を後にするのだった。
廊下に出ると、12・3才くらいのボーイッシュな短めの髪の元気の良さそうな子が、通路のところどころに取り付けてある燭台に明かりを灯しながら走り回っている姿が目に入ってきた。
『古籠火』の呼炉である。
『古籠火』は灯篭の火の妖とされ、口から火を吹き、石の灯篭に座っている姿で描かれている。
日中とは言え、雨空で曇っているため、割と薄暗い。加えて、そろそろ日も落ち始める頃である。
完全に暗くなる前に砦内に明かりを付けて回るのが、古籠火の呼炉の役割であった。
妖怪達は比較的夜目が効く者が多いが、それでも灯りはあった方が良いし、何より典人にとっては無いと困る物。
燭台の高さまで飛びあがって口から火を吐き明かりを付けたり、下から火を吹きかけたりと廊下のあちこちにある燭台にチョコマカと動き回って明かりを付けている姿がとても微笑ましい。
「それにしてもあの服装」
と、典人は思う。
(どう見ても上は白のTシャツ、下は濃紺のレギンス、足元はスポーツシューズらしきものを履いているよな。しかもあれ、ハイカットのバッシュじゃないか?)
パッと見、女子中学生の放課後の部活の時間といった感じだ。
(一体この短期間でどうやって作ったんだ? と言うか、良く作れたな。そもそもメイド服といい、下着のバリエーションの豊富さといい……誰が主導してデザインを考えてるんだ?)
そう考えると、燭台の高さまで飛びあがって火の玉を口から吐いている様子はダンクシュートを決めているようにも見えて来なくもない。
ただ、小さい女の子が口から火を吐いて燭台に明かりを灯していく光景は意外とシュールな光景ではあるのだが。
不思議な事に燭台には蝋燭とか油と言ったものが有る訳ではない。
典人が呼炉に聞いたところによると、灯りとして出している炎は妖力で出した鬼火なのだそうで、熱を持たせたり色を替えたりと、ある程度コントロールが効くそうだ。
ちなみに、今現在は明るさ重視で熱はほどほどと安全性に配慮したものにしていると自慢げに典人に話していた。
「魔法の光のようなものか」
原理が良く分からないので、化学的な物とは少し違うのだろうなと、典人はそう結論付ける事にした。
「あっ、典人様!」
典人を見つけて呼炉がダッシュで駆け寄ってくる。
「お疲れ呼炉」
典人は駆け寄って来た呼炉の頭を撫で労をねぎらう。
「エヘヘッ」
ニコニコと嬉しそうに目を細めて表情をとろけさせる呼炉。
その表情に、典人はしばらく呼炉の頭を撫で続けていた。
「そんなに妖力つかって大丈夫なのか?」
「平気平気! 典人様のおかげでこのくらいなら何ともないよ!」
「そっか、でも無理はするなよ」
「はーい。あっ、そうだ! 亜華奈さんが典人様を見つけたら「お風呂沸いたからお先にどうぞ」って伝えてって」
「ああ、ありがとうな。事務室に戻って残りを片付けたらすぐ入るよ」
もう一度、呼炉の頭を撫でてからお礼を言って、事務室へと向かう典人。
「それにしても、あれは今日のウイニングショットだな」
そして、先ほどの洗濯物の素晴らしい光景はしっかりと心のアルバムに加えることを忘れなかった典人であった。




