第拾捌巻 気が付かなかったよ!
第拾捌巻 気が付かなかったよ!
異世界へ召喚されてから、9日目。
ここ一週間以上降り続ける雨に典人は多少気が滅入るのを感じていた。
「はあ」
小さな溜め息を吐き、軽く伸びをする。
典人が座っている椅子から首だけを巡らし、見える窓の外では『雷獣』のらいちがひとり、嬉しそうに中庭を走り回っている。
「わーい、雨よ~、もっと降れ~♪ 風よ~、もっと吹け~♪」
『雷獣』は激しい雨の日に雲に乗り天を駆ける猫のような妖といわれ、時折雷を纏い地上へと突撃し被害を出すと言われている。
(この雨なのに元気だなあ。っていうかそろそろ雨、止んでくれないかなあ)
「はあ」
典人はボンヤリと、らいちが元気に走り回る姿を眺めながら、また一つため息を付く。
「御主人様、どうぞ」
『宗旦狐』の爽がメイド服姿で見事な所作をもって典人の前にお茶を差し出す。
「あっ、ありがとう爽さん」
それを受け取り、こちらは所作とか良く分からないので、普通にお茶を飲む典人。
「うん、美味しい」
所作は分からなくても、そのお茶のクセになりそうな、何杯でもお替りしたくなるような美味しさはよく分かった。
「恐れ入ります」
今現在典人は砦の事務的な事を行うべく、座敷童のさきらに聞いてそれらしい部屋を教えてもらい、そこを事務室として使用している。
この建物が砦であるならば、指令室とか作戦室とか会議室とかいうのがあるだろうと思っていたが、案の定、おあつらえ向きの部屋が複数存在していた。
典人の部屋として使っている部屋も入ってすぐの部屋が会社の執務室とか応接室みたいな感じになっていたからそこでやっても良かったが、何と無く自分の部屋で勉強をするのとは感覚が違い、仕事みたいなものの空間と私的な空間は分けた方がいいのではないかと思い座敷童のさきらに聞いて丁度良さそうな部屋を教えてもらった。
流石は砦と言うべきか、執務に適した部屋や会議に適した部屋以外にも、多様な部屋が整っていた。
今、典人が使用している部屋は典人の感覚からすれば生徒会室と言った方がしっくりくるかもしれない。
が、全く違うのは。
自分の席の横に経って穏やかに微笑み、甲斐甲斐しく世話をしてくれているメイドさんがいる事である。
しかも見た目典人と同じくらいの年齢の女の子である。
まさか自分に、メイドカフェでもないのにメイドさんに世話をしてもらえるようになる日が来るとは夢にも思ってもいなかった典人である訳だが、もちろん悪い気はしない。する筈がない。
「それにしても、一体どれだけ広いんだこの砦は?」
お茶をすすりながら典人は考える。
典人の感覚で、人が多くいて、大きな建物で馴染みのあり基準になるのはやはり学校であるが、そこから考えても数倍の規模は軽くありそうである。
百人いる女の子達も所定の位置以外で会うのはちらほらで、人数のわりに建物が広すぎるせいか、思った以上に閑散としているように感じられる。
典人も時間が有る時にいろいろ回ってみてはいるのだが、まだ半分も見れていないと思う。
(今度時間を見つけて砦内をゆっくり探検してみよう)
そう再度、心に決める典人であった。
で、その見れていない理由とは。
現在、典人は魑魅魍魎の女の子たちの役割分担とシフト表を作っているからである。
ちなみに、紙は硯の精の鈴璃と画霊の麗華が妖力で出してくれる為助かっている。
筆記用具は今のところ自前のボールペンやシャープペン、サインペンなどがあるので当面はもつだろう。
「はあ」
典人はまた軽く嘆息して椅子に背中を預け窓の外に視線をやる。外は相変わらずの雨が降り続いている。土砂降りでないだけましなのだろうが、止みそうで止まないというのは何とも歯がゆく感じるものである。
灰色の空を眺めながら改めて考える。
自分が言い出した事とは言え、自分のスケジュールも碌すっぽ管理なんかしていないのに、いきなり百人のスケジュール管理をしてシフトを作らねばならない。
特異な分野を聞き、昼夜どちら向きかを考え、無理強いはせず、バランスを考える。
典人が見る限り、まとめ役に向いていそうな子が何人かいるのではあるのだが、何故か典人がやらないともめるのである。
どうやらいろいろと複雑な魑魅魍魎関係が有り、それこそ、典人が呼ばれる前の様に消滅の危機でもない限り他の妖には従わない為らしい。
「これも、ぬらりひょんの緒札の効果かね?」
「はあ」
典人はまた大きく溜め息をついた。
始めたばかりであるが、アルバイト先のシフト担当の社員さんが毎回頭を悩ませている苦労が少し解った気がした典人であった。
妖怪なので性質に合っている役割であればあまり交代とか気にしなくても良いと言われたが、女の子をずっと働かせっぱなしにしている様な気分になり、典人の精神がいたたまれなくなりそうなので一応のシフトと言うか役割分担を考えることにしたのだが、これが思った以上に難しいことに今更ながらに気が付いた。
妖力の供給が出来ているので、睡眠や食事はあまり必要としていない。
食べれば食べるし、寝ようと思えば眠れるという事だ。
これだけ聞くと意外と楽そうに見えるが、それ相応の仕事の為にアルバイト募集で集まって来た訳では無いのだから、どうしても偏りは起こってしまう。
「はあ」
「どうしたんだい? さっきから考え込んだりして溜め息ばかりついて」
「いや、名前付けをして面接が終わったと思えば役割分担とシフトを考えてって、結構大変だなあと思ってさ」
「まあ、一から始めるわけだからね。仕方がないよ」
流石に何度も溜め息を付いている典人を見かねてなのか、横合いから声が掛かる。
声のした方を見れば、典人の机の斜め左前に、横向きに配置された机の席に座って、書く手を止めて中性的な美貌で典人の方に微笑みかけている子がいた。
これからの集団生活の為、まずは生徒会的な中心組織を作ろうと考えた典人が、サポートをお願いしたうちの一人、珠奇である。
この珠奇、妖怪名を『算盤小僧』という。だが、この算盤小僧、実は……。
~ ~ ~
「じゃあ、次の人どうぞ」
「算盤小僧だよ。僕は算術が得意なんだ。よろしくね典人君」
サラサラヘアに中性的な美貌を湛え典人の前に立つ算盤小僧。
算盤小僧は京都府の神社や寺の前の木の下で、夜な夜な盛んに算盤を引いている妖である。
(女の子の姿の妖怪ばかりかと思ってたけど、男の子もいたのか。まあ、女の子と見間違うほどの美少年キャラだけど。うん、何だ、この敗北感)
典人も決して見た目が悪いという訳では無い。むしろ、かなり良い部類だ。
だが、この算盤小僧、身長は典人より10cm程度低いが、見た目は男役トップスターという印象である。うちの学園にいたらさぞかしキャーキャー言われてもてていただろうなと思う典人であった。
それはともあれ、
「いやあ、女の子ばかりで肩身が狭いかもと思ってたところなんだ。ほんと、助かったよ。正直アウェイ感があってさ。男同士仲良くやろうな」
気安い態度で肩をポンポンと叩く典人。
典人としては異世界に来て初めての同年代の同性である。仲良くしたいと考えるのはごく自然なことであろう。
(周り全員女の子ばかりだと思ってたからなあ。『婆』が付いてもロリだしさ)
「ああ、勘違いしてそうだから言っておくけど、僕は元々女の子だからね」
ところがである。当の算盤小僧から思わぬカミングアウトを受けてしまった。
「算盤小僧じゃなくて、算盤小娘かよ」
典人は叫んでからガックリと肩を落とす。
無理も無いだろう。異世界で恐らく今は唯一の同世代の同性の友人が現われたかと思えば、その子も女の子なのだから。いや、女の子なのががっかりという訳では決してないのだが。そう、むしろないのだが、これから見知らぬ異世界で生活していくことになるのである。相談できる同年代の同性が一人くらいいてほしいとは思ってしまうのは仕方のない事。たとえそれが見た目だけであるにしろ。
「何なら証拠も見せようか? まあ僕のじゃ見ても面白味はないと思うけど」
「ほんとか!」
落胆の表情になりかけていた典人が急に元気になった。
ボーイッシュ美少女からのこの様な申し出、健康的な高校生の典人が拒否する理由は何もない! 断言しよう。断じて何も無い! それに比べれば同年代の同性でなかった事などほんの些細な事である。
「くっ、食い付き良いね。冗談のつもりだったんだけど」
典人のそのあまりの食い付きの良さに圧倒されて引き攣った笑みを浮かべて身体をのけ反らせる算盤小僧改め算盤小娘。が、確かに、それでも二つの膨らみは見て取ることが出来なかった。
~ ~ ~
「でも何でそんなボーイッシュな恰好をしているんだ?」
「ああ、これね。昔はさ、女子が学問を学ぶのはとても難しかった時代なんだよ。だからね。男の子の恰好、しかも今は少し髪を伸ばしてるけど当時は小坊主の恰好をしてお寺にもぐりこんで勉強をしていたんだよ。幸い僕は外見が男の子っぽかったしね」
「ふ~ん、そこまでして勉強をしたいもんかねえ?」
「したいからこその一念があるから妖怪になってるんだよ。典人君は、いや現代の子供たちはどれだけ恵まれた環境にいるのか自覚すべきだね。何に役に立つのか解らないと言っている計算式も、覚えても意味ないんじゃないかと思っている歴史も、何気ない日常生活の中で知らないうちに使っているんだよ。例えば遊びに行って割り勘する時だって何気なく頭割りの計算を暗算でしてるし、名所旧跡に観光に行った時だって『歴史』や『政治の仕組み』を知っていればより楽しめるしね。知らなければ損をしている、得が出来ない、その事にすら気付けないんだよ。ネットが発達して手軽に検索できるようになった元の世界でも、まずは自分の頭の中に予備知識が無ければうまく引き出す事すらできないんだからね」
どうやら、珠奇のスイッチを入れてしまったらしく、一気にまくし立ててきた。
「分かった分かったから。日本に戻れたらもうちょっと真剣に勉強するから」
「それが良いね。おっと失礼。話が逸れたね」
「それにしてもよくバレなかったな。それこそ昔のお寺とかだと女人禁制とか厳格な決まりが有る所もあって、見つかると厳しく罰せられたりとかしたんじゃないか?」
「その辺は名付けの時にも話したと思うけど、僕は外見が男の子っぽかったからね。胸も目立たなかったし、意外とバレないもんで、結構上手くやれてたと思うよ」
「そうなのか? 目立たないって」
「尺貫法で良いなら教えてあげても良いけど、バスト一尺八寸二分とか言ってもピンと来ないでしょ? それとも、典人君に分かりやすい様にメートル法で教えて上げようか?」
珠奇は両肘を机の上につき、手を組み顎を載せていたづらっぽく笑みを浮かべながら典人を見て言う。
「バスト68.796cmか。おまけして69cm……確かにツルペタだな」
「けっ、計算、速いね。しかも着物の寸法は鯨尺(一尺37.8cm)で曲尺(一尺30.3cm)とは違うのに。あと、一応、学ぶために男装はしたけど、僕も女の子だからスレンダーボディーって言ってくれないかな。それもおまけまでされて、泣きそうだよ」
若干涙目になっている珠奇。それお見て先程の意趣返しが出来たと多少のSっ気を見せる典人がしてやったりの軽い笑みを浮かべる。
「気にしなくても、供給すれば需要も生まれると思うぞ。ちなみに、オレはウェルカムだ」
「セイの法則だね。供給過多だと崩壊するよ」
「お金が絡まなければ大丈夫じゃないか?」
「お金が絡むと違う問題が発生しそうだけどね……ところで、僕達何の話をしてるんだろう?
「ミクロ経済学?」
「ミクロ言うな! まったく、他の人が聞いたらケインズ氏以外にも批判が飛んできそうだけど。それにしても典人君、何処でそんな事覚えて来たの? 高校生じゃあまり馴染みが無いでしょ?」
「ああ、父さんが世界中飛び回っていてね。経済関連の話とかよく聞かされてて、所謂『門前の小僧』ってヤツだよ」
「え~っと……それにしても良かったじゃないか。典人君以外、全員女の子だよ。ハーレムだよ。ハーレム。男の子なら一度や二度や十度やお百度参りをしてでも夢に出るハーレムなんだからさ」
「言い回しがかなりおかしいな」
「あっ、お百度参りの正しい作法が知りたいなら『橋姫』の姫刃に聞くと良いよ」
「いっ、いやそれは、また今度の機会でいいかな」
(『お百度参り』の橋姫って確か『丑の刻参り』のアレだよな……)
「そうかい。それは残念」
(何が残念なんだ?)
「それはそうと、あまり根を詰めても能率は上がらないよ。気分転換に砦内でも探検して来たらどうだい?」
「そうさせてもらうよ」
典人は立ち上がり、部屋の入口へと歩いていく。
「行ってらっしゃいませ、ご主人様」
声を掛けられた典人はピクンッと肩を震わせ振り返る。
珠奇の声ではない。
その視界には頭を深々と下げて見送るメイド服を纏った爽の姿があった。
今まで典人の後ろに経ってまるで空気の様にずっと黙って控えていたのである。
「えっ、ああ、いっ、行ってきます爽さん」
何故か冷や汗をかく典人。そのまま部屋を後にした。
(お茶まで注いでもらっていたのに、途中から気づかなかった! プッ、プロのメイドだ! プロのメイドがここにいる!)
単に妖は気配を消すことに長けているだけなのだが、その事に気付く事のない典人であった。




