第拾参巻 気を付けよう
第拾参巻 気を付けよう
典人は少し呆気に取られて列になった女の子たちを眺めていた。
『木の子』という山の妖怪で典人が『木の実』と名付けた幼女の行動により、なし崩し的に魑魅魍魎たちの名前付けが始まってしまった感じになったからだ。
日本の妖怪たちも日本人気質よろしく整然と一列に並んで行儀よく大人しく待っているため、この状況で今更改めてとは言いずらくなっていた典人は覚悟を決め一気に名前付けを行ってしまおうと気合を入れなおす。
恐らくは全員並んでいるのだろう。
少なくともこの地下空間の『牢獄核の間』の出入り口から出て行った子はいないように見えた。
妖怪名が名前みたいなもんじゃない? と思いがちだが、どうやら当の妖怪たちからしてみればそうではなかったらしい。
そして今、四人目の子、座敷童を目の前にしている。
「さっきも言ったけど、オレのことも御館様(御館様)じゃなくてもっと気楽に呼んでくれても良いからさ。みんなも呼びやすいように呼んでくれな」
再度改めて、周りを見渡す様に話しかける典人。その言葉に周りの女の子たちはまだ若干困惑気味の様子だ。
「うん、分かったよ。典人お兄ちゃん!」
「ああ、それでいいよ」
それでも典人の意を汲んだのか、典人と最初に話した座敷童と名乗る少女が呼び方を変えてくれていた。「お兄ちゃん」と呼んでくるのはこのくらいの年齢の少女ならまあ妥当なところだろう。典人は柔らかく微笑んでその答えに返す。
(急ぐ必要は無いさ。この辺は他の女の子もおいおい慣れて行ってもらえればいい)
典人はそう考え、名前付けに集中すべく座敷童を見る。
座敷童は最初にあった時の様にニコニコとして立っている。
(勢いで言ってみたものの、自分にそんなネーミングセンスなんてないし、でもそれなりの名前を付けてあげないとな)
名付けをしようと思った切っ掛けの子である。気合は充分であった。
「『ざしきわらし』と言う事だから……そうだなあ、『さ』と『き』と『ら』を取って『さきら』なんてどうかな?」
でもやはり典人のネーミングセンスでは咄嗟にはこれが限界であったようだ。
「『さきら』かあ。えへ、『さきら』『さきら』」
それでも喜んでもらえたようで座敷童の少女は、自分の名前をとても嬉しそうに噛みしめるように繰り返していた。
「有難う! 典人お兄ちゃん!」
「どっ、どういたしまして。これも名付け親って事になるのかな? ははっ」
照れくさそうに鼻の頭を掻く典人。
「親? お父さん?」
「お父さんはちょっと。ボクはまだ高二だよ」
「こおに? 小鬼!? ……御館様は人間でしょ?」
「ああ、『コオニ』じゃなくて『コウニ』ね。高校二年生。学生だよ。分かるかな?」
「な~んだ。そうだったのかぁ。えへへ、わたし勘違いしちゃったよ」
屈託のない満面の笑みで白い歯を見せる座敷童(ざしきわらし改め、さきら。
つられて典人も笑顔になる。
「……次は私」
さきらの後ろから覚が歩み寄ってくる。
そして、典人の前に立ち止まる。
「……エッチ」
「あのお~、もしもし、まだ何も言ってないんだけど」
立ち止まっての第一声がこの上なく理不尽な言われ様に口の端をひくつかせる典人。もしかして先程の典人の部屋の前での出会いがしらの衝突未遂による抱きしめの一件が引っかかっているのだろうか?
「……ここで典人の頭の中で、私の妄想着替えシーンが流れる予定」
「ねえよ、そんな予定。どんな予定だよ!」
どうやら関係ないらしい。
「……違うの?」
「違ってな……じゃなくて、他に言う事は無いのかよ」
覚はその言葉に可愛らしく小首を傾げる。
「それから、どうせ見るなら妄想着替えシーンじゃなくて、妄想シャワーシーンだ!」
典人は両腰に両手を当て胸を張って断言する。
「……正直者?」
「心が読めるのに、無駄に嘘ついてもしょうがないからな」
「!」
覚はその言葉に素直に驚いた様な表情を浮かべた。
「脱線しちまった。名前を付けるんだったな。そうだなあ……」
「……♪」
(それじゃあ、「覚」は「さとりちゃんで)
「……安直過ぎ、もっと考えた名前を希望する」
「まだ何も言ってないんだけど……心を読んだのか? 勘弁してくれよ。ここにいる100妖? 100鬼? ああもう、100人でいいや! その100人に名前を付けるんだぞ。とてもじゃないけど、考え着かないし、考えられても覚えきれないし一致しなくなる。分かり易いのが一番だ」
「……なら、せめて漢字を当てて」
「そのこだわりは?」
「……平仮名だと只の読み仮名になってしまうから」
「何だよソレ。……はあ、分かったよ。それ位なら考えるよ。なぁ、他の子も漢字じゃなきゃダメか?」
「……それは、その子たちが考えると思う」
(助かったぁ。正直そんなに漢字詳しくないぞ。姓名判断とか画数判断とかさっぱり知らないし)
典人はほっと胸を撫で下ろしていた。名前を付けるからにはちゃんとした名前を付けては上げたいが、ゲームクリエイターじゃないんだから、そんなにホイホイとぴったり合った名前が思い付く訳もなく、できれば今後の為にも速く覚える為に名前と特徴を一致させておきたい。となれば、シンプル・イズ・ベストである。
「じゃあ『理に慧いで『慧理』でどうかな?」
「……慧理……うん♪」
慧理は感情は見えにくいが喜んでいる様ではあった。
(はあ、自分で言って何だが、まだあと95人のこってるんだな)
典人は心の中で大きく溜め息をつくのであった。
「……頑張れ、お父さん……将来、子供を作った時の名づけの練習になる」
「おまっ! 何言ってるんだよ。って言うか、また人の心を読んでるだろ」
「……あっ、まんざらでもないんだ。相手はこの中だと……」
「おわあ。ちょっと、慧理! いや、慧理様! それ以上は止めようか」
典人は慌てて慧理の口を塞ごうとするが、慧理は難なくその手を躱す。
「……仕方がない。先に進まなくなるし」
「はあ、分かってるなら、勘弁してくれよなあ」
「……♪」
何かいきなりドッと疲れた様子の典人に対し、慧理の方はというと、とても機嫌が良い様子に見える。
「つっ、次、の人」
「我は山婆じゃ。我に良き名を付けるのじゃ」
トテトテという擬音が聞こえてきそうな足取りで近づいてきた少女、もとい幼女が時代掛かった口調で話掛けてきた。多分サンダルを履いていたらピコピコという音がするに違いないと典人はその音を幻聴していた。
(これが、鬼婆!? ロリBBAの間違いだろ? しかも「のじゃロリ」じゃねぇか)
「……典人、それは妖怪に失礼。妖怪の存在理由を否定しかねない」
「だってさあ、鬼婆なのにこの外見だぞ! ってあのぉ、慧理ちゃん」
「……なあに? 典人♪」
「隣に張り付いて、オレの考えを読むのは止めにしませんか?」
「……ダメぇ?」
天人は上目遣いで見上げてくる慧理に思わずドキリとしてしまう。
実にあざとい。
完全に遊ばれている。
手玉に取られている
心が読める美少女である。小悪魔どころの騒ぎではない。
多分、全くもって勝ち目がない。勝てる気がしない。
「ああ、御館様よ。間違えんで欲しいんのじゃが、我は鬼婆ではなく山婆なのじゃ」
「へっ?」
正直、典人は言われた違いが分からなかった。
「そうじゃのう。歌舞伎や能で演じられているのが鬼婆で、我は昔話の「三枚のお札」の方なのじゃ」
何となく分かったような分からないような典人であった。
「ゴホン。それで、我の名の事なのじゃが」
「おおっ、済まない。そうだな、それじゃあ……」
(『やまんば』だろ。『や』と『ま』と『は』を使って『や』と『ま』を入れ替えて……漢字は、ロリBBA聞いた後だと『ま』は麻婆豆腐しか出てこないし……)
「『麻弥刃』なんてどうだ?」
「麻弥刃か……うん、良い名なのじゃ。気に入ったのじゃ! 礼を言うのじゃ」
満面の笑みを浮かべた麻弥刃のあどけない笑顔を見ると、安直な名前の付け方に、少し罪悪感が芽生える気がするが本人が気に入ってくれたなら良しとしようと典人は頭を切り替えることにした。
「……開き直った」
「切り替えたと言ってくれ!」
麻弥刃のピコピコと幻聴の聞こえてきそうなトテトテという歩きの後姿を眺めながら典人は慧理に答えていた。
「次の子、どうぞ!」
典人は列の先頭に向かって声を掛けた。
「は~い!」
今度はオーバーオールのスカートに赤い靴を履いた白のハイソックスという姿の元気の良さそうな女の子が走ってきた。
「兎人? 比較的現代風だな」
典人の前で軽くジャンプしてピョンと停止した女の子は、クリッとした赤い瞳にショウトカットの髪の毛の上の方からピョコンと飛び出した二つの白くて長い耳が特徴的だ。年のころは11~12歳くらいだろうか。
典人は兎の妖怪って何だろうと考える。が、意外と思い当たらない。昔話とかでは結構出てくるのになあとは思うのだが、妖怪の類となると浮かんでこない。
「ケセランパサランです。よろしくお願いします典人お兄さん」
そう言うとケセランパサランと名乗った少女はぺこりと可愛らしくお辞儀をしてきた。
長い兎の両耳がピコピコと動き、実に愛らしい。
「ケセランパサランって、あのぉ、フワフワした毛玉で持っていると幸運になるって言う、あれ? だよね」
典人は自信なさげに問いかけた。確か田舎で御爺ちゃんからそんな話を聞いたような気がする程度のうろ覚えだったからだ。
その当時はちょっとしたブームにもなったようだが、典人の生まれる遥か昔の話である。
「はい! よくご存じですね」
「小さい頃に田舎で、空から雪が降ってきたのに喜んではしゃいでいた俺に、爺ちゃんが話してくれたことがあったんだよ」
「何だかうれしいなあ、えへへ」
はにかんだ様に照れ笑いをする少女。
(まったくもって面影がないなあ)
昔聞いたイメージからそう思いつつ、名前を考え始める典人。
(ケセランパサランって長いから、ここはシンプルに)
「それじゃあ、世良ってどうかな?」
「はい! 有難うございます典人お兄さん!」
一回軽く跳ねて喜ぶ世良。
「あっ、そう言えばケセランパサランって、確かおしろいが好きだったよね。ベビーパウダーで良ければ持っているけど、それでも大丈夫?」
「本当ですか!!! わーい、嬉しいなあ! でも何で典人お兄さんはそんな物持ち歩いていたんですか?」
「何日もの歩きでの旅だと、炎天下で何時間も汗だくで歩くから、汗疹対策で持ってたんだよ。いやあ、リュックサックを背負ってる肩の部分とかにできると擦れて痛いんだよね。これが」
頭の後ろに手をやりながら典人が照れたように笑って答えた。
「できれば無香料無着色のものだと嬉しいのですが」
「ああ、それは大丈夫」
「では、少しでいいですから分けて下さい」
「いいよいいよ。全部上げるよ」
「いえ、あまり多くても良くないので、もし良ければ少しずつご褒美として下さい」
「分かった」
謙虚な子だなあと思いつつ典人は世良の頭を軽く撫でた。ついでにそのフワフワで柔らかそうな長い耳もしっかりと撫でていた。
「でも何で外見が兎人? ケセランパサランって、白い毛玉ってイメージしか浮かばないんだけど」
典人はひとしきり世良のフワフワの耳の感触を楽しむとその手を世良の頭から離し、ふと思い浮かんだことを口にした。
「ちゃんと毛玉ですよ。ほら」
そう言うと世良は、徐に後ろをくるりと跳ねて向き直り、いきなりスカートをたくし上げお尻を丸出しにした。
「なっ! 何やってるんだよ世良」
「何って? これですよ。これ。ちゃんと見てください典人お兄さん」
そういうと可愛らしいパンツの上からちょこんと出ているふわふわの毛玉を指さして顔だけ笑顔で典人の方を振り返っている。
よく見ると(ガン見と言う意味で)、可愛らしいお尻を包んでいる薄いピンク色のパンツの上に、確かに典人のイメージするケセランパサランの毛玉の形をしているフワフワの物体がその存在を主張していた。俗に言う、兎のシッポである。
「って、本体それかよ!」
突っ込みを入れながらも視線はまくり上げているお尻にロックオンして離さない。
典人はそれを食い入るように見ている。健康的な高校生の典人が拒否する理由は何もない! 断言しよう。断じて何も無い!
「典人様」
隣にいた『木霊』の麗紀が、たしなめるように声を掛ける。
「えっと、世良ちゃん、いいかい。女の子なんだからもっと恥じらいを持ってだね。まあ、無邪気なのは可愛いけど、恥じらいというのは大切で、チラリズムという様式美も捨て難くてだな」
しっかりガン見しておいて、今更説得力の欠片も無い事を言う典人。
「……典人、諭す方向が間違ってる」
慧理が的確に突っ込みを入れてくる。典人も内心では慣れないことはするもんじゃないなと分かってはいたのだが。
「はじらい?」
言われた世良は何の事と言わんばかりにキョトンとしてしまっている。
「典人様、もともと人や動物の形を取っていなかった者達に、そう言った類の事を求めるのは難しいかと」
自身も元は人由来ではなかった木の霊である麗紀が説明する。ただ麗紀は樹齢が長い上、元の日本でも人の姿を取ることが出来ていたため多少は人間の機微の理解はあるようだ。
典人は一つ咳払いをしてから、真面目な顔を装って世良に言った。
「ゴホン。とっ、兎に角だ。他の人の前でやってはいけませんからね」
「はーい」
元気の良い返事が、世良から返ってきた。
(今日のウイニングショットだな)
そして、先ほどの素晴らしい光景はしっかりと心のアルバムに加えることを忘れなかった典人であった。
「次の人、どうぞ」
典人は次の女の子に声を掛ける。
「はい!」
列の先頭に並んでいた12~13歳くらいの女の子が走り寄ってくる。長い癖のない綺麗な黒髪で前髪は真ん中から三角に額が見える様に分けている。所謂日本の昔のおてんば姫といった感じの少女であった。
「わあ、近くで見ると一層好みの顔のタイプ!」
妙に体を密着させてくる。
「私、清姫と言います。よろしくお願いしますね典人さま。良い名前を付けて下さいな」
「えっと、『清姫』ってすでに名前がちゃんとあるよね。だから、付け直す必要ないんじゃないかな?」
「そんなあ! これは禊なのですから、典人さまに名前を付けてほしいです」
「禊って……でもさあ」
「一目ぼれなんです。ぽっ」
「えっと、名前を付けるんだったよね」
典人は慌てて話題を変えた。いや、元に戻した。
(え~っと「きよひめ」をそのまま使って、禊っていってたし、あとは合いそうな漢字を当てて……)
「『世を祈る女の子」で『祈世女(きよめ』)って言うのはどうかな?」
「『嫁』ですかあ! そんなあ、典人さまあ」
(しまった! 引っかかったのそこ!? こりゃあ、名付けに失敗したか!)
「それならいっその事『嫁希望』で『希嫁』でも構いませんよ!」
「いっ、いや、禊の意味もあるんでしょ? 祈世女でいこうね」
「そうですかあ。典人さまがそう言われるのでしたら、私何でも従います! ポッ」
「うっ、うん。そうしてくれると俺も嬉しいなあ、ははっ」
「はい! 不束者ですが末永くよろしくお願いいたします、旦那様! あっ、不束者と言っても太くもゴツゴツもしていませんよ。何でしたらご覧になりますか、旦那様?」
祈世女はちゃっかりどさくさに紛れて『典人さま』から『旦那様』に変えている。
好きに呼んで言いと言った手前、よほど変な呼び方で無ければ気にしないつもりであった典人ではあるが、この呼び方は想定していなかった。何故か背中に冷たいものが流れる様な感覚がしている。
「いっ、いや、ともかく、よっ、よろしくね、祈世女ちゃん」
「はい、そちらの方は残念ですがまたの機会に。嫁が旦那様の御仕事を妨げてはいけませんね。それでは何時でもお待ちしております、だ・ん・な・さ・ま」
(物凄く可愛いのだけども何かこの子ヤバい気がする。逃げねばという本能が働くのだけど逃げるとさらにヤバい事になりそうなそんな漠然とした不安が止まらない)
この勘は正しい。
清姫は古典芸能などの説話で『安珍清姫』として登場している。
旅の僧侶として立ち寄った美男子の安珍に一目惚れした清姫が安珍に置いて行かれたことに激怒し蛇の姿となって追いかけ、最後は寺の鐘の中に隠れた安珍を火を吐いて焼き殺したという伝説がある。
この時、典人は生まれて初めて『男の勘』と言う物が確かにあると思えていた。
『女の勘』ではない『男の勘』である。それは一種の緊急警報に他ならないのかもしれない。




