第壱巻 気の迷い
第壱巻 気の迷い
ミンミンゼミとアブラゼミが激しく合唱する中を、一人の少年が山道を黙々と歩いている。
いや、正確には雌へのアピールタイムなのだから、ミンミンゼミとアブラゼミにとってみれば合唱では無く独唱の自己主張合戦なのだろう。
だがしかし、兎にも角にも
「暑い」
今日何度目かも分からない一言を発し、高校生くらいに見える少年は額の汗を左手で拭った。
最近の日本の気象は何かおかしい。テレビで頻繁に言われているが、そんなに長く生きている訳でもない少年から見てもそう思う。
少年が生きてきた十数年程度でさえそう思えるのだから、長く研究している学者などから見れば結構な大事なのだろう。
「何か次元でも歪んでいるのかね」
冗談交じりに呟く。実際、アスファルトの部分は陽炎の様に揺らいでまるで空間が歪んできているかのように見えるくらいではあるが。
「それにしても暑い」
少年は今日何度目プラス一回になる言葉を吐き出した。
少年の名前は天神 典人という。
一事の気の迷いだろうか?
典人も高2の夏休みにふと何かをやってみたくなり、大きめのリュックサックを背中に担ぎ、徒歩での旅を決行した。
スタート地点は三重県伊勢市。
ゴールは山梨県甲府市。(信玄公の銅像前)
道中少し足を延ばして折角伊勢志摩まで来たのだから、いろいろ神社仏閣を見て回ろうとあちこち寄り道もした。
お土産屋を除いた時、岩に刺さった剣に龍が巻き付いている鈴付きのデザインのキーホルダーを見つけ妙に気に入って即購入して大型リュックに付けておいた。チリンという鈴の音が心地よい。その時、こちらも持った時妙に手に馴染み重さのバランスの良い木刀があったのだが、こちらは流石に持ち歩いてフラフラしていると、旅の途中お巡りさんに職務質問されそうだったので後ろ髪を引かれる思いだったが泣く泣く断念した。
途中で滝を見つけ水を飲んだ時、少し気付きにくい所に祠があったので、この旅の無事を祈ってお供え物をした。
まあ、自分用の食糧しか持ち合わせていなかったので、自分のお気に入りの練乳たっぷりコーヒー飲料と同じくお気に入りの栄養補助ウェハースをお供えしていたのはご愛敬であろう。
二拝二拍手一拝。立ち寄った神社の中では八度拝八開手と言う物もあると聞いたがこれは本職の神主さんが行う作法らしいので、これで良しとすることにした。
「無事に甲府市までたどり着けますように」
ほかに旅先で知り合ったお爺さんとお婆さんの家に泊めて貰ったりもした。
典人が道端で休んでいると、一輪車ではあったが自分と同じく夏休みに何か成し遂げて見たくなり、日本一周を断行していると言う同じ年の少女とそれぞれの地域限定のお菓子を交換したりもした。この時連絡先を交換しようと言う話になったのだが、典人は自力旅行だと一切の機器を持って来ていなかったことを少し後悔した。まあ、手帳にはしっかり書き留めていたのだが。
そんなこんなではあったが、楽しくも順調な旅を続け甲府市に入り、もうゴールは見えて来たかと少し気が緩んできていたところだった。
そこはちょっと本道とは外れた森の中の道。
「そう言えば今お盆か」
黄昏時。
夕暮れ近くになり、少し物悲しい景色の中。
日暮の音が聞こえ始めることによりその物悲しい感じが一層拍車をかける頃。
少し迷い気味ではあったがもう毎度の事に典人はこれも歩き旅の醍醐味、どうせどこかに繋がっているとお気楽な気持ちで歩いていた。
『か~ご~め~ か~ご~め~♪』
何処からともなく子供たちが歌う声が聞こえてくる。
『か~ごのな~かの と~りぃは~♪』
(へえ、なつかしいな)
『い~つ~ い~つ~ で~やぁる~♪』
森の中の空き地ででも遊んでいるのか、姿が見えないのが残念ではあるが、典人の顔には思わず微笑ましいと言わんばかりに笑みがこぼれる。
『よ~あ~け~の~ ば~ん~に~♪』
(童歌で遊ぶ子たちなんて、町中じゃ見たことないし。そもそも街中じゃこういう遊びをしている子供たちを見ることも少ないし、公園とかも遊具が危険とかで使えなくなっていって遊びに行ってもつまらなくなってきているからな。自分だってまだ17歳だけど、10年前に比べると近くに外で思いっきり遊べる場所って大分減ったと思う)
『つ~ると か~めが す~べった~♪』
自分も田舎の爺ちゃん婆ちゃんから小さい頃に教わったくらいでしか知らないけど、その時は随分とはしゃいでいたと、典人は小さい頃の記憶を思い出していた。
『うしろの しょう~めん だぁ~れ?♪』
やれ遊具が危ないだとか、やれ公園で遊んでいる子の声がうるさいだとか、段々外で遊び難くなってきている気がする。
『とお~りゃんせ とおりゃんせ♪』
街中の生活で心の育っていない大人ばかりの環境では、子供の心が健全に育つ条件何て作り難いんだろうなと、世の中の大人たちに嫌悪に似た感情を抱いたりするのは、反抗期にある子供特有の感情なのかもしれない。
『こ~こはど~このほそみちじゃ~♪』
まあ、あながち間違ってもいないのかもしれないが。
『てんじん~さまのほそみちじゃ~♪』
それにしても人家が近いのだろうか?
『ちょ~っとと~おしてくだしゃんせ~♪』
どうせどこかに出るとは思ってはいたが、どうも近くに人家が有るようには典人には感じられなかった。
『ごようのないものとおしゃせぬ~♪』
この声を追って行けばおのずと人家に出るのだろうか?
『このこのななつのおいわいに~ おふだを~さげにまいります~♪』
まあ日も夕暮れ時だし、野宿も慣れてはきたが、民宿とかがあればそれに越したことはないと典人は考えた。
『いきはよいよい かえりはこわい~♪』
そう決めたが早いか典人は童唄の声のする方向を目指して歩き始めた。
『こわいながらも と~おりゃんせ とおりゃんせ~♪』
そして、しばらく典人が森の中を歩いていると、ふとした疑問が浮かんできた。
『『か~ご~め~ か~こ~め~♪』』
(おや?)
『『か~ごのな~かの と~りいは~♪』』
(あれ?)
『『い~つ~ い~つ~ で~やぁる~♪』』
耳を澄まして良く聞いてみると自分の知っている童歌の『かごめかごめ』とは歌詞が少し違って聞こえる。まあ、確かに童歌は古くから全国に広まっているから、その土地土地で独特の歌詞になっているものではあるが。
『『よ~あ~け~の~ ば~ん~に~ん♪』』
もう一つの典人の疑問。それはここは森の細道で随分と前から人家を見ていない。全く無かったとは言わないけど、こんな場所で子供たちだけで遊んでいるには少々違和感がある。
だがもしかしたら近くに大人がいるのかも知れないと典人は思いなおして再び歩き始める。
一方、小さい子供はなんでもどこでも遊びに繋げてしまうから子供だけで遠くまで来ているという可能性もない訳ではないとも思う。
『『く~ると か~みが す~べぇた~♪』』
(やっぱりおかしい。何か変だ!)
背筋に冷たいものが流れるのを感じた。
その声は初めは微かであったが、次第に大きくなりはっきりと聞こえてくるようになった。
しかも、最初は3・4人くらいだった子供の声が、徐々に増えてきているような気がする。
何処かに反響して増えているように聞こえているのかも知れないが、それでも 声の方向が何処から聞こえてくるのか当たりが付けられない。
例えば右の森の奥の方から聞こえると言うのであれば、奥の方に広場が開けていてそこで遊んでいるのかもと、当たりを付けることができる。
ところが、さっきまでは大雑把でも前方からだろうという当たりが付けられていたのだが、今は方向が特定できない。
と言うより、自分の周り、全方向から聞こえてくるような感じがしているのである。
段々近付いてくるという感じではなく、子どもたちの歌声が徐々にはっきり大きく聞こえてくる感じがさらに強くなってくる。
『『うしろの しょう~めん だぁ~れ?♪』』
そして唄の終わりとともに急に目の前が暗くなり、そのまま典人は意識を失った。
最後に典人の意識の端にチリンという鈴の音が聞こえたような気もするが、その音は暗闇に包まれ遠くへと溶けて消えていった。
◇
『「通りゃん世 通りゃん世♪」』
遠くから唄が聞こえる。
典人は何故か暗闇を明かりも無しに歩いていた。
『「ここは何処の細道じゃ♪」』
唄の聞こえる方に向かって黙々と歩いている。
『「天神様の細道じゃ♪」』
本来、足元も見えないのに典人はスタスタと迷いなく真っ直ぐ前に歩いている。有り得ない事だ。
『「ちょっと通してくだしゃんせ♪」』
そうか! これは夢だ。夢だから自分は迷わずに歩いているんだし、夢だからこんなに暗くて先が見えなくても警戒せずに歩いているんだと典人は他人事の様に納得していた。
『「御用の無い者通しゃせぬ♪」』
実際自分が歩いているにも拘らず、典人は他人の視点から物を見ているような感覚に襲われている。
『「この来の七つの緒祝いに 緒札を授けに参ります♪」』
(夢だと解っている夢の事を確か『明晰夢』って言うんだっけか?)
典人がそんな事をぼーっと考えていると、ふと突然に目の前に光る物が七つ現われた。
「うわっ! 何だ!?」
『「逝きは良い良い 還りは怖い♪」』
驚いては見たものの、落ち着いて見てみれば、それは細長い紙に何かが書いてある、典人が知っている御札の様な物であった。
その七つの御札は典人の周りをぐるぐるとゆっくり回り始め、その速度は徐々に増していった。
「おわわ!」
すると突然、七つの御札は次々と典人の身体の中に吸い込まれていく。
その現象に反応することが出来ず、ただ思わず間抜けな声を上げてしまうだけの典人であった。
『「怖いながらも 通りゃん世 通りゃん世♪」』
そして歌の終わりとともに、また典人の意識が飛んだ。
◇
「「加護女 囲め♪」」
また、唄が聞こえる。
「「加護の中の鳥居は♪」」
今度は今までの中で一番はっきりとした声で聞こえて来る。
「「何時何時出~や~る?♪」」
今までのが例えるなら反響の良い大きなホールの中で音源の位置が反響して分かりずらい状態という感じに大して
「「世開けの番人」」
意識がはっきりして来るにつれて、聞こえている声は周りを囲んではいるが近くにいるという事が感じられてきている。
「「来ると神が術得た♪」」
それに伴って、段々自分の感覚もはっきりしてくる。
すると頬にひんやりと冷たく堅い感触が伝わってきた。
典人はどうやら、堅い石畳の上にうつ伏せで倒れているようだ。
「「後ろの正面 だ~あれ♪」」
「うっ、う~ん」
唄の終わりとともにゆっくりと目を開けた典人は、自分が周りが石壁に囲まれた空間の部屋の中にいることに気付く。
ゆっくり体を起こし、軽く頭を振ってみる。
それから典人はのろのろと立ち上がろうとする。
幸い背負ってきた荷物は足元の横に有るようだ。
軽く首を左右にめぐらし辺りを見る。
部屋の中はかなり広く、大ホールと言っても差し支えない程の広さがあるようで、薄暗い光では隅々までは良く見えていない。
何気なく上を見上げてみると、典人の頭の真上、結構高い天井付近に薄く紫色に光っている塊があった。
よく見れば、それは神社とかお寺とかで見かける勾玉、確か典人の記憶では巴だったかの形をしている
それが宙に浮いているのである。
典人の頭の上で。
典人は背中に冷や汗をかき数歩その塊の真下からずれる。
(おっかねぇ。こんなのが浮いてる下で気を失ってたのかよ……んっ?)
ふと、気配がして自分の前、下方向に目線を下げると今まで気付かなかったが、赤い着物を着た黒髪の少女がこちらに背を向けてしゃがみ込んでいることに気が付いた。
「ねえ、君」
思わず典人は声を掛けていた。
すると、こちらに背を向けてしゃがんでいた少女がゆっくりと立ち上がり、そして振り返る。
振り返った少女は前髪が一直線に切りそろえてある所謂『おかっぱ頭』という髪型で、顔立ちは幼いが色白で目がパッチリとしていて可愛らしい。まるで童話の絵本から飛び出してきたような子だった。
その少女は満面の笑みを湛え典人に話掛ける。
「ようこそおいでくださいました。御館様!!!」