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初めて泣いた日  作者: 久遠寺蒼
8/14

#1 まだ幼くも い日の欠片

雪が降っていた。


灰色の街に、冷たい雪が舞い降りていた。


寒い寒い12月。


街灯はゆらりと温かく、霞んだ光は冷たい。


窓の外が少しずつ淡く白めいてく。


街路樹だけが、黒く高くそびえている。


「ゆき……」


その季節初めての雪である。


窓に手をつけ、頬を寄せ、舞い散る様を見る。


その様は綺麗でもあり、汚くもあった。


たとえば屋根の上。


たとえば道路の上。


そのままであれば美しく、踏みにじられればあまりに醜い。


白と黒のモノクロームな世界。


見慣れた街の、見慣れぬ表情がそこにある。


家の前で、僕と同じくらいの子供が足を滑らせて、転んでいる。


「……何してるの」


後ろから母の声がする。


「ゆきをみてたの」


響く、打撃音。


「窓が汚れるでしょう? 顔が冷たくなるでしょう?」


痛い。


痛い痛い痛い。


「わかった? 雪を見るのはいいけどそんな風に見ちゃだめよ?」


「……はい」


最後に一度、大きく音が響くと、母はその場から去っていった。


頬に触れる。


じんじんと熱い。


「………」


僕はもう一度、外を見る。


さっきの子供は、すでにいなくなっていた。







「救急車が通ります、救急車が通ります……」


普段なら耳障りな音を鳴らしながら、救急車が走る。


そのスピードはあまりに遅い。


雪による混乱、渋滞。


都会とはいえない町の細い道路。


外はぼんやりと暗く、積もった雪が月に照らされてほのかに浮かび上がっている。


街路樹の細く鋭い枝が覆いかぶさろうとしているように垂れている。


遠くの犬の遠吠えが、サイレンの音にかき消され、その闇の中に溶けていった。


「脇に寄ってください。救急車が通ります……」


道行く人々は首をすくめ、傘をさしながらうつむいている。


寒さの厳しい夜だった。


「止まってください。救急車が交差点を左に曲がります……」


もっと早くすることはできないのか。


だが、今は信じるしかない。


『僕』にできるのは、それくらいしかないのだから。


救急車が走る。


夜遅くに倒れた、母を乗せて。







救急車は病院の前に到着する。


もう母は助かるのだと信じてやまない僕を引き連れて。


大きな人が中に入っていく。


もう一人の大きな人は、『僕』に寄り添っていてくれる。


「おかあさんは、だいじょうぶなの?」


「ああ。大丈夫だ」


そう言ってわらう彼の笑顔が、寒さのせいか、どこか寂しく見えた。


「大丈夫、きっと、大丈夫だから……」


大きい人は、言い聞かすように、何度も何度も大丈夫と呟いていた。








いつの間にか、雪はますますその激しさを増していた。


雪が降り積もる。


この大地を浄化するかのように。


母を乗せた救急車の上に。


赤いランプにその体を反射させながら。


静かに、優しく。


雪が、降る。


せめて、今はもっと降り注いでくれればいい。


少しでも、『僕』の悲しみがやわらぐように。












母の葬式が終わって、父はますますダメ人間になった。


酒は飲まなくなったが、いつも居間でぼーっと何もせずにいるようになった。


あまりに小さく、あまりに無気力になった父の背中を見ているのは辛かった。


母にかけられていた保険や貯金などでやりくりする生活が始まった。


贅沢などできるはずなく、質素に生きる日々が続いた。


お金を手に入れるために、家にあった不用品や生活する上で必要ないものはすべて売却された。


本や、置物や、少しでも値がつくものはすべて持っていかれた。


寂しかった。


母がいなくなったことで、あまりにも世界が狭まり、空になっていった。










     そして、初めていじめにあった。








母がいないことで蔑まれ、質素な生活を貧乏と罵られた。


好きでそうなっているわけではない。


僕には、どうすることもできない。


だから反抗し、抵抗した。


すると、教師は僕を『問題児』とし、『ワル』というレッテルを全身にまんべんなく貼りたくった。


僕はわるくない。


何も、わるくない。


でも、周りは僕を『ワル』にする。


『ワル』以外を許さず、認めない。


僕の抗いは無意味に終わり、そしてそれゆえに反動も大きかった。


僕は、『ワル』を演じ続けることを余儀なくされた。


やがてそれは自分自身に浸透し、自分自身を歪めていった。


最初は学内だった。




そしていつしか地域にまで目をつけられるようになった。


他校の『ワル』が乗り込んできたこともあった。


廃屋に呼び出されて乱闘をしたこともあった。


タバコもやったしシンナーもやった。


『ワル』になるためにはなんだってやった。


それが、僕に課せられた運命であり、現実であり、すべてであった。





家庭もない。


誰かに好かれることもない。


蔑まれ、疎まれ、煙たがれながら生きる日々。


とても、寂しかった。


寂しくて、辛くて、悲しくて、でもそんなことを人前では言えなくて。


矛盾しながら生きる。


泥にまみれながら生き続けていく。


それは果てのない旅路の姿に似ていた。





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