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初めて泣いた日  作者: 久遠寺蒼
6/14

#2-3 燃える町、沈む太陽

季節は巡る。

服装は学ランからYシャツに代わり、長い休みの後、再び学ランへと戻っていた。

俺に対する風当たりはまったく変わらず、むしろ悪化の一途を辿っていた。

陰湿で厭らしい攻撃が次々と襲いかかる。

どこにいても。

うんざりはしていた。

疲れていただけかもしれない。

壊れていたのかもしれない。

ただ、シンといる時間だけは穏やかだった。




「涼しくなってきたわね」

いつもの部屋で、窓から外を見つめながら、シンは落とすように言った。

「この間までは、暑いと思っていたのに」

風がさらりと二人のいる空間を走りぬけていく。

シンの髪が揺れるたび、日常というものが遠ざかっていく気がした。

「いつか、真っ白にでもなるのかしら」

「雪が降るってことか?」

「ううん、そうじゃない。雪は、いつか必ず降るもの」

シンは窓の外を指差した。

「……空?」

「そう、空。分かるでしょ?」

空は、以前のような、自らを主張するような青さを失っていた。

バニラと織り交ざったような、淡くて、弱弱しい青。

「ずいぶん変わってしまったわ。ここから見える景色も」

街並みは変わらない。

だがその色彩は変わる。

灰色だった町並みに、薄く彩りが宿りつつあった。

「あの空がね、ほら、どんどん白くなって、真っ白になったら、この世界はどうなるのかなって思って」

シンは窓の縁をそっと人差し指でなぞる。

この町のようにうっすらと汚れた灰色の埃が、白くて小さなシンの指先に掠りとられていく。

シンはその埃を一度確認すると、親指で、もみ消した。

「こうなってしまうのかしら、この町も」

シンは縁に手をついて、窓の外を見つめた。

「そしたら、誰もいなくなるわね」

ぼそっと呟く彼女の声は穏やかで、むき出しの林檎のようなざらつきがあった。

「私、どうするんだろう」

何もない空間にシンの声だけが響き、吸い込まれて消えていく。

シンは淡々と、独り言を繰り返すように、何も生まれないただの言葉を呟いていた。

風だけが冷たいその部屋で、彼女は今、何を思っているのだろう。

四角い窓は、どうして二人と世界の距離を限られた枠で狭めようとしているのだろう。

四角く切り取られた世界だけが、この無に等しい空間に許された世界だった。

「……ねえ、いつか行った、あの広場にいかない?」

「あの広場?」

「うん。初めてあんタの家にいった夜に行ったでしょ?」

「ああ……あの丘みたいなところにあるやつか」

あの日以来、まだ一度も行ってない。

「今から行けば、きっと間に合うから」

「間に合うって、何に?」



「夕焼け」



-----




霞ゆく空に、雲がたなびいていた。

夏に比べて、脆く、のっぺりとした雲。

湧き上がるような堂々たる勢いもなく、何もかも任せたような、頼りない印象。

「よく見えるんだな、ここ」

「夜だったから、あんまり見えなかったの、覚えてる?」

「ああ。思い出した」

シンが、髪の結びをほどく。

静かに横に首を振ると、まるで蝶が飛び立つように広がった。

「私、普通、髪をおろさないんだけど」

ここは特別、と左手で髪をすいた。

「なんかね、違うのよ。あの町の中にいるのとは違う。雰囲気なのかな、よく分からないけれど、確かに違うの。それは雰囲気だったり、空気の重さだったり、溢れ出る感情だったり、いろいろあるけれど」

彼女は笑っていた。

照れるような微笑みをその整った顔にたたえている。

「……何、見てるの?」

「いや、おろしてるのを初めて見たから」

「そういえば、そうだったわね」

シンは目を細めて、空を仰いだ。

髪が風に流れる。

その様子はまるで生きた力がシンを包んでいるかのようだった。

「ここね、あんタ以外、まだ誰にも教えてないんだ」

シンが視線を戻し、髪をおさえる。

クロスのピアスが、凛と光る。

「あと、もう少しね。そしたら、すごいわよ」

シンの視線が町に釘付けになる。

太陽はじょじょに落ち、ビルの陰影が濃くなっていく。

時の流れが遅い。

風も鳴くのをやめてしまっていた。

本当に、静か。

あの二人でいる教室とは違った、何もかもから解放されるような静佇があった。






       町が、燃え上がる。





何もかもが紅く輝きはじめる。

見たこともない、町の一表情。

光の筋が、町を切り裂いていく。

人々の心に、その赤はどのように映っているのだろう。

赤い。

何もかもが、赤い。

太陽の光が、目に焼きついていく。

そのまま、全て焦がしてしまえ。

嗚呼、沈んでいく。

太陽が沈んでいく。

町が赤に沈んでいく。

その朱はますます鮮克なものとなり、何もかもを濡らすように燃やしていく。

赤く、朱く、紅く。








――気がつけば、涙が止まらなかった。

泣きたくなるような衝動に駆られることなく、すっと、一雫、涙が零れ落ちた。

知らないうちに、涙が。

そして、シンも。

シンの尊い滴が、紅く照りつく。

永遠がもしもあるのだとしたら、どうかこの世界を切り取っておくれ。

ポラロイドでも、デジタルカメラでも、一眼レフでも、この瞬間を切り取るには、足りない。

「………」

言葉は、もう無い。

二つの孤影が、伸びていく。


嗚呼、沈んでいく。

太陽が沈んでいく。

町が闇に沈んでいく。





……さようなら。

無意識のうちに、俺は心の中で叫んでいた。


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