#2-1 そこにあるのは深淵の出会い
高校に入学しても、すぐに目をつけられた。
『ワル』グループによる歓迎をうけたし、教師からも侮辱と軽蔑をプレゼントされた。
別段目立ったことはしていない。
入学式では髪を黒くしていたし、ピアスやシルバーアクセサリーもしていなかった。
それでも俺は人気のないところに呼び出され、集団私刑にあった。
皆、わかるのだ。
俺が発する空気が、自分達の秩序を壊すには十分すぎることを。
『ワル』たちは、たいてい集団で独自の規則をつくることが多い。
集団であるからこそ生まれるものであるし、そこに個が存在することは許されない。
個が生まれ、それぞれが個に走ったとしたら、集団は意味を失い、消滅する。
だから、独りでいるイレギュラーな俺は、いわば喉元につきつけられたチェーンソーのようなものなのだ。
いつ殺されるかわからず――しかも、相当な痛みと苦しみを伴う――近くで動いているだけで不快な音を出すチェーンソー。
だから皆、恐れ壊そうとするのだ。
それだけ、この閉鎖空間では『個』というものは圧迫されていることになる。
表面上は『個性を大切に』などとうたっている現代教育の現実がこれだ。
『個』は秩序を乱すし、反発するし、管理は大変だし、思い通りにならない。
支配層の思うとおりになるような最低限の『個』でなくては、『個』は『個』となりえない。
だから、教師ですら本当は『個』を嫌っている。
集団を作らせ、そこで作られた規則をある程度黙認する方が、管理はずっと楽。
滑稽な話である。
しょせん、教師も人間なのだ。
それに気づいたとき、俺は笑いが止まらなかった。
あまりに可笑しかった。
嘲笑うことしかできなかった。
なんだ、それは。
本来の役割は、あくまで理想であって現実ではない。
理想と現実は違う。
そして、この世界において、理想と現実とは、あまりにかけ離れた位置に存在するのだ。
理想とは、暴力も不登校もなく、生徒全員が自己を捉え、その夢の実現のために精一杯努力できる環境である。
現実とは――
本当に、吐き気がする。
おそらく、小学・中学と自分のことを知っている人間が発端だろう。
彼らがたてた荒波が、新しい環境という自分にとっての新天地において大きくうねり、かき乱しはじめる。
屋上にいようが、体育館裏にいようが、関係ない。
いつの間にか俺の居場所は知られていて、そして必ず何かしらが襲いかかってきた。
それは暴言だったりボールだったり拳だったり濡れ雑巾だったり石だったり生卵だったりゴミだったりした。
ただ、もはや気にもとめなかった。
実際、ゴミだの石だのを避けるのは簡単だったし、拳に変わったところで数発ですんだ。
服が汚れようとも教師は気にも留めない。生徒同士のただのじゃれあい、もしくは俺自身が勝手に自爆した、ただそれだけ。
守る機能などまったくなく、いかに自分が楽にトラブルなく教師として月日を流すことができるか。
そのことしか頭にない。
正義という名のもとで、攻撃をしていくる教師もいた。
正義のもとであれば、世間に知られなければ何をしてもよい。
なぜなら学内が「世間」で、そこから先は「外の世界」だから。
家と学校とを行き来する間に人通りは少なく、人とすれ違ったとしても避けていく。
当然だ。自分にとって害をなすかもしれないものに、わざわざ近寄る一般人はいない。
代わりに、通報をする人もいない。
警察であってもいつもの「あの」高校の悪ガキ程度にしか受け止めない。
みな避けたがる。
それくらい、世間からの評判も悪い。
「ハズレをひいたな」それが職員室の合言葉。
ひと月で消えていく教師もいる。
部室棟は落書きだらけ、天井裏には無修正のアダルト雑誌、女性の泣き声が響くこともある。
悶々と喧噪が絶えない。
……月日が流れる。
無意味に学校に通う毎日が続いている。
意地になっているわけではない。
行かなくてはいけない理由もない。
ただ、言うとしたら、何かに惹かれている。
何かに呼ばれている気がするのだ。
どこに導こうとしているのか……少なくとも俺は知らない。
抜けられない螺旋の歪みかもしれないし、じめじめと腐り剥がれた壁の中かもしれない。
自分の足音だけが響く放課後の廊下。
錯覚しそうなほど不透明な空気。
「……誰」
どこか、他とは密度が違う一つの教室。
壊されたドアの鍵痕が新しいそこに、俺は今まで気づかずにいた。
その中から発せられた声。
辿り着くように、中に入る。
こじんまりと埃っぽく、日の光があまり入らない影の世界。
壁は滲むような灰色で覆われ、あちらこちらに傷が残っている。
空気は淀むように静かで、自分の居場所を忘れているような感じさえする。
カツン、と足音が響く。
俺のものではない。
その闇の世界に漂う、一つの亡霊のものである。
ゆらりと長い黒髪が頭の後ろでしばられている。
その目は凛として厳しく、白い頬、白い首が影の中にぼんやりと浮かび上がっている。
「誰よ、あんタ」
彼女は言った。
「あんたこそ誰だ」
「……誰だって、いいじゃない」
吐き捨てるような声は高く、心に直接語りかけるような不思議な響きをたたえている。
「何しにきたの? こんなところに」
「何をしてるんだ、こんなところで」
「……あんタ、私を馬鹿にしにきたの?」
いや、と俺は首を振った。
「気づいたら、ここにいた」
「ふーん……」
彼女が一歩、近づいてくる。
「あんタ、よく見たらなかなか笑っちゃう格好してるのね」
侮辱するようなかすり笑いが彼女の口からこぼれる。
「へぇ。もしかして、あんタが須藤 瑠汐なの?」
「なんだ、俺って結構有名なんだな」
「当たり前じゃない」
彼女の姿はすでに足一歩分前まで来ていた。
「あんタ、自分でも気づいているんでしょ?」
「……何に?」
「自分という存在が、すでに目立っているってことに」
彼女の手が俺の胸にあてられる。
「存在してるというだけで迫害される、理不尽な生き物。それがあんタ」
「………」
「気をつけることね。しばらく姿を隠した方がいいんじゃない?」
「さあな。どこにいたって誰かに見つかる。意外にこの学校は隠れるところがない」
「そんなこと無いわよ」
彼女の手が離れ、そのまま彼女の唇に移動する。
「きちんと自分を隠して場所を探せば、見つかるものよ」
「……そんなこと、できるかな」
「できる」
彼女はきっぱり言い、そして笑った。
「だって、私ができているんだもの」
俺はそこではっと気づいた。
彼女も『自分と同じ』存在だということを。
群れることもなく、独りであり続けることを選んだ人間であることを。
「ふふん。なんだ、思ったよりもあんタ、頭いいんだね」
「そうでもない」
俺は肩をすくめてみせた。
「あんたは、この場所が好きなのか?」
「そう見える?」
彼女がその場でくるりと回ってみせた。
長い髪が、彼女に遅れまいと必死でその軌跡を流れる。
「見えないから聞いたんじゃないか」
「――ははっ」
彼女の足が、静かに一番影の濃いところまで移動する。
「ねえ、そこから私の姿、見える?」
「ああ。わずかに」
「そっか……そうよね」
彼女は言った。
「あんタ、鋭いのね」
「そうでもない」
「謙遜しなくてもいいわ。だって、あんタが私をそう思えるのは当たり前だもの。そうでしょ? 私の言ってること、わかるよね?」
俺は頷いてみせた。
「あんタの言うとおり、こんな部屋、おもしろくもないし、ちょっとかび臭いし、絶対に好きにはなれない。ただ影が濃いだけの部屋、誰がくるわけでもない」
「でも、ここしか居る場所がない。そしていつの間にかそこに馴染んでいる自分がいる。ここでなら自分であって自分でなくなるわけだ」
彼女が、はっきりと俺の目を直視した。
「へぇ……あんタ、意外におもしろいのね。ちょっと気に入ったわ」
「そりゃどうも」
それが、楠木 眞美との出会いだった。