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初めて泣いた日  作者: 久遠寺蒼
3/14

#0.2 XXXXXXXX

母は、とても厳格で、今思えば少し、狂っていた。

自分にとって些細なことでもヒステリーを起こし、自身で気に入らないことがあるとすぐに手をあげた。


夜になると必ず響く、『僕』の頬を打つ音。

憑かれたように繰り返されるその手はどこかリズムよく、しかし打たれた頬は悲しい熱を帯びる。

隠されたドメスティック・バイオレンス。対外的にばれないように巧妙な加減で、その打たれた肌が赤みを残すことはなかった。


痛いと叫んでも止まらない。

やめてと懇願しても逆に火をつける。

長く、永いようで、しかしその一回ごとは明らかに短い。

止んでは、繰り返される。

病んでいるように、何度も、何度も、何度も、何度も。


『僕』はドメスティック・バイオレンスという言葉を知らなかった。

頬を打たれることは、『僕』にとって一つの愛情表現であり、しつけであり、そして日常となっていた。


逆に、父はまったく絡むことはなかった。

よくいるできそこない。

昼間から酒をあおり、リビングでだらしなく横になりながら、つまらないと愚痴をこぼしつつ俗なテレビ番組を見続けていた。

当然のように母は昂ぶり、その余波は『僕』に押し寄せてくる。


母は、父に手をあげない。あげるのはいつも僕の方。

父が強いからではない。歪んだ眉間からは、父に対しての諦めが滲みでていた。

笑う母、冷たい母、右目は開き痙攣する左目を狂わせながら迫る母。

すべて同じ人間で、しかし尋常の無い豹変模様。


それが、須藤家。

そんな環境で生まれ、育った。


欠けた教育、廃れた愛情。

当然、真面目で利口な少年になど、成長するはずもない。

――もともと、大雪の日に生まれた俺は、望まれて生誕したわけではない。

『始まりからして、狂っている』

俺の人生はよじれた歯車のように、滑稽で、醜い音をたて、倦厭されるものだったのだ。

だから、仕方がない。

そう、仕方なかった、のだ。


枯れ果てた草に水をあげても青々とはしないのと同じく、どんなに臨んだとしても、この枯誕からの逆転など――少なくとも今の非力な状態では――できるはずもなかい。

排他的で、暴力的で。

人を拒み、馴れ合いを嫌った。


こんなことがあった。

俺のことをよく知らない女子が、そこらで摘んできたのだろう小さな花をプレゼントしてきた。

俺は笑顔でその花を受け取り、


――笑顔で、握り潰した。


人間とは、傷つけられ、踏みにじられ、磨耗するものだ。

人間とは、傷つけ、踏みにじり、磨耗させるものだ。

くだらないことだと思う。

本当に、くだらなくて、みじめで、あっけない。

人間なんて、そんなものだ。


だから、『トモダチ』なんていない。

一人を好み、一人で遊び、一人で育った。

小学を出て、中学を知り、そして高校に入る。

だれもが忌むような高校だった。

偏差値は最悪、その地域のとびきりのワルが集まるような場所。

頭が悪かったわけじゃない。

ただ、そういう環境の方がよかっただけだ。




自分にとっても、他の人にとっても。




望むことは、とうに諦めた。

枯れた草だとしても、憧れくらいはもつ。

その憧れは、周りが、世間が、そして自分自身で砕いた。粉々に、塵芥として世界のどこかに流されて消えた。

さよならの言葉もなく、発する間もなく。


羨ましいという気持ちさえもすでになく。

悲しいという気持ちすらも持たず。


高校の正門を、遠くから見下ろしながら、遠い遠い過去を振り返ると、やはり、自分は、こうするしかないのだと、苦い溜息を静かに飲み込む他なかったのであった。

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