#3:No Title
湿った薫風が頬と耳筋、首の裏を撫でるように通りすぎると、遠くの方から車の響き、町の喧騒がわずかに遅れて去っていった。
色彩のかすれた空の下、足元のくたびれた草木はそうそうと揺れ、しかし波にも似た安らぎを奏でている。
仰げば、空が高い。
少し背を伸ばして見やると、しかしそこにある太陽は薄い雲に陰り、暮れかけの淡い日差しは鈍く乱れていた。
野原の先に視線を落とすと、小鳥が二匹、地で戯れた後、無言で去っていった。
あるのはそれだけ、他に人の姿はない。
ここにいるのは自分、ただ一人。
意識をしなければ街の生きる声も聞こえず、ピアノを練習する少女の音も届かないほど、遠い。
郊外の低くもなだらかな山の一角に、あまり知る者がいない場所がある。
低木に囲まれているものの、この場所だけは少し開かれていて、いつもの町を眼下に捉えることができた。
もっとも、いつ見てもこの景色はつまらない。
不揃いな屋根、入り組んだ道。古びたビルと暗いアーケードを見渡すと、この町の活気の衰えを高校生ながら感じずにはいられない。
――だからこそ。
一人で物思いに耽るには、この場所はとても良い。
オトナであればビールやウイスキーでも取り出して、生きる疲れを乾いた喉の奥に押し込めるようにゆっくりと飲み干すのだろう。
「やれやれ」地に座り、背中に草木の冷たさを感じながら目を閉じると、自分が世界から隔離されたような感覚をおぼえる。
頬に差す日差しはさらに弱弱しくなり、暗い瞼の裏に濁った朱がちりちりとざわめいた。
薄汚れた学ランの袖をめくると、生傷の多い腕に触れる草花が心地よい。
濡らすように降り注ぐ日の光が、やんわりと頬を撫でていた。
ここは、非日常の世界。
完結した俺にとってのひとつの真実。
不自然なくらいに『街』というものを感じない。
感傷に浸るには、もってこいの場所。
……ふいに、目の周りが熱くなり、薄く瞼を開くと、雲にさえぎられていた夕日が存在を増し、世界の陰を赤く沈めはじめていた。
空も、雲も、鳥も、街も、木々も、建物も、人も、犬も、そして俺自身も。
何もかもが等しく、燃えるように朱く染まる。
その中で自分は全であり個であった。
街も俺であり、そうでない。
あの空も――それはどんなにすばらしいことだろう。
だが、それも一瞬で終わる。
後には暗い影と寂寥感が残る。
やはり、自分は、一人、なのだ。