表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

「それ」

作者: 堀川 忍

 ‥広い宇宙のとある小さな星のお話です。


 真冬でも雪が降るようなことは。ほとんどなかった。‥それなのに今年の冬は寒さが厳しくて、朝目覚めたら白く薄っすらと夜中の雪が残っていることもあった。僕は目覚めた時から「雪か‥」と呟いた。自宅の側の道では車の音がほとんどなく、静かだった。暖房器具のない僕の部屋は凍り付いたように、寒く冷たかった。それなのに目覚まし時計は機械的な音を立てて僕に目覚めを強要するのだった。僕は布団から手を伸ばして目覚ましを切った。目覚めてはいたが、起き上がるにはかなりの決意と勇気がいった。実家なら母親が朝食の準備とともに目覚めを促してくれるのだが、今年から一人暮らしを始めていたので、このまま眠っているという誘惑が布団の中の僕に囁きかける。

「どうせ仕事と言っても、僕が行かなくても特別な支障はないんだし‥」

 仕事といっても町の小さな工場で何かよく分からない大きな機械の小さな部品を作っているだけだ。僕が電話で「身体の調子が悪いので休みます」と言えば、それで僕はゆっくりと布団の中で昼前まで眠っていられるんだ。確かに給料は減るかもしれないけれど、それくらいで、誰にも迷惑なんかかけないと思っていた。僕が休んでも誰かが代わりをやってくれるし、そもそも自分が一体何を作っているのかさえ分からないような仕事なんてたいして意味がないと思っていた。誰の役に立っているのか、どんな効果が社会にあるのか、誰も何も教えてくれないし、誰もそれを知ろうともしない‥ この世の中というものは、そういうふうに「意味のなさ」の中で、勝手に動いているだけなのかもしれない。雪が降ろうと、降るまいと世の中というものは、誰かがなんとか動かしてくれている‥そういうものだと僕は思っていた。

 ‥でも、僕は意味のない仕事のために、意味のない会社へ行かなければいけない。意味のない布団から起き上がって、意味のない朝食を食べて、意味のない顔を洗って、意味のない服に着替えて、意味のない家を出て行くのだ。そして意味のないバスと電車に揺られて、意味のない会社へ行くのだ。

「何故?」

 それは‥多分それが僕の日常で、僕の生活で、僕の仕事だからなんだろう。そこにいちいち「意味」のことなどを考えることさえ、それこそ意味がないからだ。誰も何も考えない。それが社会というものだ。僕はそう思いながら意味のないバスを待っていた。


 そうやって僕がバス停でバスを待っていると、ポケットの中に何かネジのようなものが入っているのが分かった。僕はポケットの中に手を入れたまま「それ」を掌で感触を確かめるようにコロコロと動かしてみた。

「あぁ、これは昨日仕事場で間違って僕のズボンに入った『あれ』だろう‥」

 僕はそう思って「それ」を右手の親指と人差し指にはさんでポケットから出して掌に載せた。そうすると、確かに「それ」は「それ」なのだけれど、「それ」ではなかった。第一「それ」は「それ」とは違う色をしていた。会社で作っている「それ」は、黒に近い鉛色をしていて、如何にも金属的な色をしているのだけれど、掌の「それ」は色というものが無いというか、透明な何かの色をしていた。ガラスのようでもあり、空気のようでもある‥不思議な色をしていた。それに「それ」は触った感覚も工場の「それ」とは違っていた。会社で作った「それ」は固くて金属的な手触りをしていたのだが、掌の「それ」はポケットの中で感じた「それ」とは全然違う不思議な感触だった。マシュマロやスポンジケーキのような柔らかい感触だった。

「なんだこりゃ?」

僕は「それ」を不思議そうな眼差しで見た。確かに「それ」は「それ」なのだが、「それ」ではないのだ。そこで僕の頭の中に一つの疑問が生まれた。「それ」ではない「それ」が何故僕のズボンのポケットの中にあったのか‥だ。

「それは一体何だ?」

 僕のそばを警察官が「それ」を見ながら不思議そうに聞いてきた。一瞬僕は「職務質問」を受けているのかと思ったのだが、どうやらそうではないらしかった。単純に「それ」を不思議に思っているらしかった。

「これは‥『それ』です」

 僕は「それ」を見ながら、意味のないことを警察官に言った。それが本当に答えになっていないことは分かっていた。

「それ?」

 警察官の目が一瞬ギロッと僕を睨むように言った。僕は慌てて弁解するように答えた。

「‥よく分からないんですよ。気がついたらズボンのポケットに『これ』が入っていたんです」

「これは‥『それ』なのかね? それとも『これ』なのかね?」

 警察官は明らかに疑いの目を向け始めていた。僕は背中に寒い風が吹いたような気がした。僕は以前から警察官というものが苦手で何か迂闊なことを言うと、牢屋に入れられるような気がしてならなかった。僕はびくびくしながら必死に弁解した。

「『これ』は『それ』なんですが、『それ』が何なのか、自分でもよく分からないんですよ。僕は一生懸命『それ』の意味を考えていたのですが、自分でもよく分からないんですよ」

「君が何を言いたいのか、さっぱりわけが分からん。『それ』が『これ』で‥? 私を馬鹿にしないでくれたまえ!」

 警察官は相当頭にきたらしく、ぷんぷんしながらバス停から歩いて行ってしまった。僕はホッと胸をなでおろした。苦手な警察官が行ってしまったからだ。僕は改めて「それ」を見た。「それ」は、やっぱり「それ」の形をしたままで掌の上にあった。僕はそっと「それ」の匂いを嗅いでみた。「それ」は不思議に甘い匂いがした。懐かしいラムネの匂いだった。僕はこのまま「それ」をいつまでも見ていると、また誰か警察官みたいな人に疑われるのが嫌だったので、「それ」をズボンのポケットに入れた。そして周りの人に気づかれないように、何もなかったようにしてバスを待っていた。すると、隣でバスを待っていた紳士ふうの男の人が僕に小さな声で囁いてきた。

「今、貴方がズボンのポケットに入れられた『それ』は‥もしかして『あれ』ですか?」

「はぁ?」

「シッ! 声が大きいじゃないですか」

 紳士が僕に注意をした。僕は驚いて紳士を見た。立派な背広の上下に、上品そうなネクタイを締めているその紳士は、他の人には気づかれないようなそぶりでステッキを握って筋向かいの帽子屋の方を眺めていた。僕よりも周りを警戒しているようだった。紳士は相変わらず帽子屋を見ながら、また小さな声で囁いた。

「時間があれば、『あれ』についてお話ししたいので、ご一緒に朝の紅茶でもいかがですか?」

「いいですね」

 僕は自分が持っている「それ」について、この紳士が知っているような気がして。紳士の言葉に同意した。すると紳士は少し早口で囁くように言った。

「私から少し離れたところを歩いて来てください。近づき過ぎないように、でも見失わないように‥いいですか?」

「はい」

 僕は下を見ながら小さく返事した。どうやら紳士はどこか秘密の場所へ僕を連れて行きたいと思っているらしかった。多分、その目的が「それ」に関することであるらしいから、僕は歩き始めた紳士から少し離れて不自然じゃないように、歩き出した。その紳士は時折僕のことを確認しながら、急ぎ足で町の角を路地の方へ入って行った。そうやっていくつかの角を曲がって紳士は少し大きなビルの中に入って行った。僕も急ぎ足でビルの中に入って行った。

 ビルの中は真っ暗で、入口から入ってくる朝の光が一本中の部屋を照らしていた。真ん中の奥に小さな階段があって、紳士もその階段を上って行ったようだった。僕は一瞬迷ったけれど、暗い階段を上がって行った。段々部屋の暗さに目が慣れてくると、そのビルは以前何かの工場だったらしく、上の階には休憩室のような部屋があるみたいだった。その休憩室のようなドアにはぼんやりと部屋の明かりがもれていた。僕がそっとドアを開けると中にはあの紳士の他にも十人ぐらいの男女が事務用の椅子に座っていた。その全員が(紳士を含めて)僕を見たような気がした。僕が驚いて開けたドアの取っ手を持ったままで立っていると。

「中に入ってお掛けください」

 さっきの紳士が柔らかい声で僕を中へ招いた。僕は導かれるままに、静かにドアを閉めて中に入り、空いている椅子に腰を下ろした。すると紳士が皆を見回しながら、ゆっくりと話し始めた。

「多分、これでこの地区での全員が揃ったようなので、もう一度確認のためにも我々が何故ここに集まっているのかを話しておきたいんですが‥」

「手短に頼むわ」

 女性が腕時計を見ながら早口で言った。紳士はその女性を横目に小さく咳払いをした。僕は生唾をゴクッと飲み込んだ。これでやっと「それ」の意味が分かるんだと思った。紳士は僕の方を見ながら僕に質問した。

「君はウマル系というのを知っていますか?」

「ウマル系ですか? 確か大銀河の端っこにある、ウマル星を中心とするウマル系ですか?」

「そうです。そのウマル系の第三惑星にナギ星というのがあるらしいんですが‥」

「ナギ星‥ウマル系の第三惑星?」

 僕はいきなり話題がウマル系だなんて宇宙のことだったので、「それ」の話だと思っていたのに、違っていて驚いたけれど、少しがっかりした。「手短に‥」と言った女性はイライラと天井を見上げているばかりだった。紳士はもう一度小さく咳払いした。

「ナギ星人は、どうやら大変なものを作り出したようなのです。この宇宙の大抵の物質を通過してしまう『透光線』というものを出す。透光物質を武器に使用することを考え出したのです。人々はその物質の持つ非人間性に怖れ、星に住む多くのムラの集まりの中で、その『透光物質型爆弾』の使用を禁止したんですが、一つここで問題が起こったんです」

「何ですか?」

「透光物質の出す透光線には、物の内部を透かして見ることができることから、医学に多く利用されるようになったんです。‥別にそれ自体は悪いことではないんですが‥問題はその透光物質を使って電気を発電すること‥それが『平和利用なんだ』と呼ばれるようになったということです」

「‥」

「困ったことに、ナギという星も火山性の惑星なので、地震という災害から逃れることも予知する能力もまだ確立されていないらしいんです」

「‥そうなると、どうなるんですか?」

「透光物質を原料とした発電所というものは、つまり透光物質型爆弾を抱えながら発電しようとすることと同じことなのです。それがどれだけ危険なものであるか分かりますか?」

「分かりません‥」

「分からなくて当然です。‥まず透光線というものから、説明すると、こいつがとんでもない毒性を持っていて、あらゆる物質の中を通過するだけでなく、物質の細胞の遺伝子や細胞そのものを死滅させる働きがあるんです。しかもさらに恐ろしいことに、透光物質が放つ透光線は、その効力がなくなるまでに何百年もかかるらしいんです」

 僕は「透光物質」とか「透光線」という言葉を初めて聞いたので、その紳士が言っていることの半分も理解できてはいなかったけれど、その「透光物質」というものの恐ろしさだけは印象的に記憶に残っていた。‥でもそれは遠い大銀河の端っこのナギという惑星の話であって、マゼラン星雲のドネピー星に住む自分たちにはあまり関係のない話だと思った。だが、その紳士は僕の考えていたことが分かっているかのように話しを続けた。

「‥このことが今すぐ我々の危機を意味しているわけではありませんが‥何年後かにはこのドネピー星の脅威になることは、どうやら確実らしいんです」

「何故ですか?」

「透光物質を燃料として兵器を作ったとしても、電気を発電したとしても、厄介なことがあるからよねぇ‥」

 さっきの女性が相変わらずイライラした口調で言った。多分その女性はこの話を何回も聞かされているからなんだろう。紳士にせっつくようなそぶりだった。だが紳士はそんな女性にはお構いなしに説明を続けた。

「透光物質がその威力を発揮させようと思ったら、透光線を放ち続けるゴミが残ってしまうんです。ナギ星人はその毒性をなくすためにゴミの再処理を考えたが、どの方法でも成功しない。使えば使うだけ透光物質のゴミを出さなければいけない‥」

「それじゃぁ、その透光物質というものを使わなければいいじゃないんですか?」

「確かに‥そんな危険な物質を使わなければいいんだが‥それが単純にそうは言えない事情があるらしいんです」

「使わなければならない事情?」

「貴方には理解できないかもしれませんが、ナギ星には『ムラ』というものがあって、お互いにムラどうしが争いや『戦争』という戦いまでやっているらしいんです。その上『信仰』というものが混在していて、お互いが自分の信じる神のために争っているんですよ」

「ムラ?‥信仰?」

「このドネピー星で言う班とか趣味みたいなものよ‥」

 イライラ女性が小声で説明してくれた。ぶっきらぼうな言い方だったけれど、僕には「なるほど‥」と思えるような例え方だった。ドネピー星には、住んでいる場所ごとに「班」というものがあって、それぞれの班ごとに町がある。住んでいる人々はお互いに地区に分かれていて、それぞれに家族で住んでいる。僕のように一人で暮らしている人もいるけど、だいたいは数人の家族で生活している。地区や町や班の代表はクジで決められていて、様々なことを「地区長会議」や「町長会議」、「班長会議」で決めていく。もめることはあるけど、争うことはない。人が何かを信じるのは「趣味」と言い、家庭の中でもバラバラなことが多い。夫婦であっても「趣味」が違うのは普通だ。

‥でも、ナギという星では、「ムラ」というのがあって、お互いに争ったり仲良くしたりするらしい。「信仰」というのも我々の「趣味」とは違って、それでムラを作ったり、争ったりしているらしいのだ。どうもナギ星人というのは争うことが好きらしい。僕にも「ナギ星」というものが段々分かってきた。

「ムラにも大小様々で、信仰上の同盟や反発がある。おまけに貧富の差もあるから、百以上のムラが絶えず紛争やムラの中で争う内戦状態に陥っているらしいんです」

「何故そんなに争いばかりするんです?」

「自分のムラを守るため‥それと自分の仲間のムラをふやすためですよ」

「我がままだなぁ」

「確かに我がままです。‥でもそれは違う星のことなので、マゼラン条約で決議されたように勝手に口出すことは許されません」

「‥相互不干渉ということですね?」

「知的なレベルの違いは尊重されなければいけません」

 星の内部のことについては、それぞれの星の発展レベルに応じて、それぞれの星に任せ、他の星が口出すことは‥たとえ愚かな発展であっても‥決して許されない。以前マゼラン銀河の知的生命体の星の会議で決議されたのだ。僕も子どもの頃に学校で習ったことだった。だから、ナギ星がどのように愚かなことをやっていても、口出しはできないはずだった。

「今の話だと僕たちはナギ星に何もできないことになるんじゃないですか?」

「貴方はマゼラン条約に『付帯事項』というものがあるのを知らないのですか?」

「付帯事項?」

「全宇宙に影響を及ぼす恐れがある場合は、その限りではない」

 さっきのイライラ女性がまた早口で言った。僕はマゼラン条約にそんな付帯事項があったなんて知らなかった。多分、ほとんどの人は知らないだろうと思った。すると紳士が見透かしたように話しを続けた。

「つまりナギ星の行為が付帯事項に抵触する危険性が現れてきたのです」

「どんな危険性なのですか?」

「先程も申し上げたように、ナギ星では毒性の強い透光性物質の開発を止めようとはしない。従って『そのゴミ』は増加する一方です。そこで処理に困ったナギ星のあるムラでは、海に捨てることもできないので、そのゴミを宇宙に放棄しようと考えたらしいのです」

「そんな無茶な‥」

 僕は目をギロッと紳士に向けた。紳士は、口元の髭を指先で軽くいじりながら続けた。

「最初は大地震のために発電所で爆発事故を起こした。あるムラがこっそりと海に捨てて処理しようとしたんですが、それが大問題になったのです。それで困ったそのムラの政治家たちがそのムラが開発を進めていた宇宙への投棄を考え出したらしいんです」

「随分乱暴な話ですね」

「ナギ星の人たちにとっては、未開の宇宙になら捨てても構わないとでも思ったんでしょう。我々としては実に迷惑な話なんですが‥」

 僕は不意にズボンのポケットの「それ」のことを思い出した。このまま紳士の話を聞いているだけでは、いつになったら「それ」のことが聞けるか不安になった。

「あの‥お話はよく分かるんですが、僕は『これ』のことについて聞きたいんですが‥」

 紳士はチラッと僕の目を見たのだが、それでもそのまま話を続けた。どうやらもう少し「それ」についてのことは後になるらしい。

「マゼラン銀河協議会ではナギ星の行為を放置できないということで、各星から代表が出席して理事会が開かれました。‥ナギ星に『透光物質無害化装置』を与えるべきか、それとも‥」

 そこまで言うと紳士はギロッと皆を見回した。するとさっきの女性が口を挟んだ。

「ナギ星の爆破抹殺か‥」

「爆破抹殺?」

 僕が声を上げると紳士が驚いたように指に人差し指をあてて黙るように指示した。慌てて口を押えた僕に紳士がゆっくり説明するように静かに話しを続けた。

「ここに集まっていることは、政府にも極秘にしている会議なので、以後大きな声はお慎みください。そうでないと貴方の持っている『それ』も私の『これ』もすべてが水の泡になってしまいますから。‥分かっていただけますか?」

「はい。すみませんでした。もう少し慎重になります」

 僕は頭を掻いて謝った。そして、部屋にいた十数人のメンバーを見回した。すると僕は不思議なことに気がついた。話しをしている紳士とさっきの女性と僕以外は、男の人も女の人も皆下を向いて誰も顔を上げていないのだ。まるで人形のようにじっとしているのだ。顔を上げていないのでその表情も分からなかった。僕は隣に座っていた若い男性の顔を見たけれど、同じように俯いていて、まるで生気のない感じだった。そんな僕を見て、さっきの女性が軽く笑いながら説明してくれた。

「貴方みんなが死んだようにしているのに気付いたのね。みんなは同じ説明を何回も聞いているものだから、意図的に仮死状態になっているだけ‥ミスターP‥あの紳士ね‥がスイッチを押せば、みんな一斉に起きるってわけよ」

「それじゃぁ、何故貴方も眠っていないんですか?」

「それはつまり‥私だけが異端児‥だから‥かな?」

「イタンジ?」

「他のみんなと基本的な考え方が違うから‥」

 女性はちらっとミスターPと呼んだ紳士の顔を見た。ミスターPは小さく咳をして女性を無視して話し始めた。

「私たちは、あるお方の意志のもとに集まっている同志です。その方の意志は、ただ一つ『ナギ星の爆破』です」

「ナギ星の爆破?」

「絶対に爆破は阻止してみせるわ!」

「貴方に話しているんじゃありません!」

 ミスターPと女性が睨みあった。僕はドキッとして何も言えない雰囲気だった。僕は険悪な雰囲気を収めるようにその場を繕うように言った。

「‥と、とりあえず、爆破だなんて物騒な話は後からにしませんか?」

 睨みあっていた二人が僕の方を見た。僕は作り笑いをして見せたが、その場の雰囲気はあまり変わらなかった。僕は続けて何かうまいことを言おうと思ったけれど、何をどう言えばいいのか、いい言葉が思い浮かばなかった。

「貴方はどう思うの、爆破‥それとも阻止?」

「もちろん爆破だよね?」

「さぁ‥なんとも‥」

「はっきりしなさいよ!‥だから最近の男はだらしないって言われるのよ?」

 女性は僕に詰め寄った。僕は答えに窮した。

「で、でも‥」

 僕はミスターPの顔を見た。けれど、紳士も鋭い眼差しで僕を見て言った。

「はっきり態度を示してもらわないと、困るんですよ。君の持っている『それ』によって我々のミッションは大きく変わることになるんだから‥」

「どういうことですか?」

僕は意味が分からず、不思議そうに目を瞬かせた。すると紳士のミスターPは「何を今更‥」という顔をして僕に言った。

「‥この女性、ミスWの判断も、そもそもこの計画全体が君の持つ『それ』に‥つまり君の考え‥いや、君の意見によって決まるからですよ」

「僕の『それ』に何か意味があるんですか?」

僕は驚いてミスターPの真剣な眼差しを見た。するとミスWと呼ばれた女性が、またイライラした声で割り込んできた。

「貴方の持っている『それ』がナギ星を爆発するための装置の起爆装置の役割りをしているからよ!」

「これが、起爆装置?」

僕は、ポケットの中の『それ』をギュッと握りしめた。自分がそんな重大な物を僕が持っていたなんて‥ 「何故?」という疑問が頭の中を渦巻いたけれど、正しい答えは出て来るはずもなかった。理由が分からないのだから、判断のしようがなかったので、黙るしかないと思った。考えてみれば、今の僕にとってあまりにも突飛なことばかりが話されていたのだから、考えようがなかったのだ。ウマル系のナギ星だの透光性物質だの‥僕の生活に関係のないことをいきなり言われても、何をどう判断すればいいと言うのだ。

いくらせっつかれても、僕の知ったことじゃない。僕には無関係だ。「ジャンケンででも決めればいいじゃないか!」‥そんなことを考えていると、ミスターPとミスWの二人が僕の考えていることを見透かしたように、呆れた顔をしていた。

「自分には関係ないと思っているかもしれませんが、これは我々の問題でもあるんですよ!」

僕が驚いてミスターPの顔を見ていると、ミスWが軽く笑いながら僕に説明した。

「思考判断装置を使っているのよ。だから、貴方の考えていることは、みんなお見通しなのよ」

「思考判断装置?」

「貴方って、本当に何も知らないのねぇ‥今貴方が座っている椅子には、貴方の血圧や脈拍はもちろん、脳波の反応までも把握されていて、何を考えているのかをコンピューターが解析してしまうのよ。‥つまり貴方の思考を機械的に判断できる装置が開発されたのよ」

「そんな凄い装置ができていたんですか?」

僕が驚いて立ち上がろうとした時に、椅子からシートベルトのようなものが出てきて固定されてしまい、立ち上がることができなくなってしまった。「えっ?」と僕が驚いていると、ミスターPが厳しく低い声で言った。

「立ち上がってもらうのは、困るんですよ!」

「何が困るんですか?」

「会議が終わるまでは、誰も退出できないんです」

「そんなぁ‥」

「とにかく、貴方の判断をみんな待っているんです」

僕は、見たこともないナギという星のことを思った。その星の知的レベルは分からない。でも‥きっとナギ星にも僕と同じように、毎日の生活に退屈しているような人がいるんだろうなと思った。「透光性物質」などとは関係のない生活をしている多くの人間が‥ きっと、一部の人間が難しいことを考え、議論し決めているんだろう。「透光性物質」の危険性なんて本当に知っている人なんて、ごく一部の人たちだけなんじゃないんだろうか? 多くの「みんな」は、僕と同じように何も知らないままに退屈な日々を繰り返しているような気がするんだ。「知らないこと」の恐ろしさに気づかないままに‥

マゼラン銀河のドネピー星に住んでいる僕にとって、僕の日常生活が無事に繰り返されていればいいのであって、自分の生活が平穏でさえあればいいのだと思っていた。誰にも迷惑をかけず、

誰からも迷惑をうけなければ、僕は満足だった。‥それは、ナギ星の人たちも同じなんだろうなと思っていた。 そんな透光性物質なんて開発するぐらいだから、知的水準も低くはない筈だ。恐らく何億人かの人たちが住んでいるはずだ。大半は僕と同じように何も考えないで日々を過ごしているんだろう‥それなのに、僕の判断一つで「ナギ星」の運命を左右するのかと思うと、迂闊なことは言えないと思った。僕の一言で一つの星の生死が決まるなんて‥ そう思ったら、僕には計り知れない重大なことになると思った。僕は生唾を飲み込んでから、ゆっくりと言った。

「何故、そんな大切なことを僕みたいな者が判断しなければいけないのですか?」

「先ほども申し上げた『ある方』のご意思です」 ミスターPが僕を見て言った。「大切なことだから、なんの偏見もない、オーディエンスな意見で決めたい。‥そんなオーディエンスの中から偶然貴方が選ばれただけですよ」

「ある方って、一体誰何ですか?」

「その質問には‥残念ながら答えられません。‥私から言えるのは、この爆破装置を作られた人物です。その方はマゼラン銀河協議会の一員なのですが、『ナギ星を爆破すべきだ』と考えられたのですが、会議が一向に進展しないので、極秘裏に爆破装置を開発されたらしいのですが、自分が本当に正しいのか疑問を持たれたので、装置の部品を星中の人たちバラバラに送り判断を委ねたんです。その中の起爆装置の一番大切な部品が、君の『それ』なんですよ」

「だから、僕の判断が大切なんですか?」

「そうです」

僕は、しばらくの間考えてから、ゆっくりと呟くように話し始めた。

「ナギ星の人たちが透光性物質を作り出せるということは、知的レベルの差はあるとしても、少なくとも僕たちと同じように感情を持った生命体がいることは間違いないと思います。‥そして、僕と同じように日々を漫然と暮らしていると思います。多分『透光性物質』なんて、深く考えないで暮らしているんじゃぁないんでしょうか?」

「なるほど‥確かにその可能性は否定できないね」

「一部の悪質な為政者が勝手に暴走しているだけなのかもしれない‥」

「確かに‥」

「そんな星に突然爆破装置がやってきたとしたら、ナギ星の人たちは『見知らぬ宇宙人からの侵略だ!』としか思わないんじゃぁないとしか考えられません」

話を聞いていたミスWが感心したように僕の顔をマジマジと見て口をはさんできた。

「今まで貴方は、只のバカだと思っていたけど、ちゃんとまともに考えているのね?」

「当たり前でしょう?」

「‥で? 貴方の結論は?」

「何も分かっちゃいないナギ星の人たちに教えてあげるべきだと思うんです。『透光性物質の危険性を‥』それでも止めようとしないなら‥爆破は、その後でいいと思うんです」

「自分たちの未来は、自分たちで考えさせようと言うんですか?」

「はい。いきなり爆破だなんて、我々の傲慢じゃぁないでしょうか?」

「確かに理にかなっていますね‥」


パチパチパチ‥


ミスWの乾いた拍手が会議室の中で響いた。やがてミスターPが手元のスイッチを操作すると室内にいた人たちが目を覚まし、大きな欠伸などをして「終わったのですか?」などと口々に言い、室内が少しざわつき始めた。


結果から言うと、ウマル系の第三惑星、ナギ星の爆破計画は一時凍結され、代りに「透光性物質の宇宙への廃棄を止めるよう警告文を送ることと、透光性物質の危険性を知らせること」が決議されたのだった。室内にいた者は、ぞろぞろと全員外に出て、何かのビルのような建物から、それぞれの「帰るべき場所」に向かって歩き始めたのだった。僕とミスターPとミスWの三人も階段を降りて外に出た。もう時間は午後になっていた。

「雪はやんだみたいですね」

ミスターPが空を見上げて呟いた。

「雪なんか降っていたの?」

ミスWも空を見上げた。

「私たち、ずいぶん長い間あそこにいたから、気付かなかったわ」

「本当に長時間拘束してしまい、すみませんでした」

ミスターPは、女性に頭を下げた。僕は、不意に気付いたように紳士の顔を見て言った。

「もしかしたら、『ある方』というのは、実は貴方自身じゃぁないのですか?」

紳士、いやミスターPは「さぁ、どうだか‥」と不気味な笑みを残して表通りの方へと消えて行った。残された僕とミスWは顔を見合わせて笑った。

「ナギ星の未来はどうなるんでしょうか?」

「さぁ、何億光年も離れているのよ?‥もしかしたら、今現在、既に自滅しているかもしれないわ」

「それもそうですね」

僕は、見えるはずのない遠くの星に「きっと未来はあるよね?」と誰に言うともなく、バス通りの方へ向かって歩き始めた。ポケットの中の「それ」を見てみると、「それ」は只の錆びた鉄製のネジになっていたのだった。



                                            (完)


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ