6話 空間魔法
二人がバルコニーに出ると柔らかな風がかんじられた。
青色の三日月は、頭上で鈍い光をはなっていた。
「常夜の国かぁ」
暗い空に浮かぶ三日月を見てつぶやいた洋一の顔を下から見上げるようにしてジュリアが声をかける。
「そう、常夜の国ユラチナ。初めて来たのか?」
「ああ」
ジュリアの顔が思ったより近くにあり洋一は驚いて一歩さがる。
「ぷぷぷ」
ジュリアは手を口元によせ笑う。
「ねぇ、白の砂漠へはどうやって来たんだ?」
洋一は戸惑いながらもユリアの言葉とさっきの視線が頭をかすめる。
「さあ、気づいたらここにいたから」
嘘ではない。まぁ本当でもないが。
「ふーん、そうだ陽炎は見たか?」
洋一はユリアとこちらへ来た時を思い出す。
「ああ、陽炎」
「見たのか?その時誰か見なかったか?」
急に迫るように聞いてきたジュリアをそれとなくよけながら洋一は
「あー、ユリア」
と答える。とたんにジュリアの眉がきゅっとよる。
「お姉様、ユリアってずいぶん親しげだな。まあいい、これからあたしともっと仲良くなればいいし」
ジュリアはユリアと違い表情が豊かだ。
「他の人影とかは?」
話にあわせてそのピンクの耳もピクピクと動く。
「さあ、見てないけど」
「ちっ、空間魔法の使い手が分かるかと思ったのに……」
ジュリアは悔しそうな表情になる。
「まあいい、ぷぷ、とりあえず乾杯しましょ」
ジュリアに渡されたシャンパングラスにはうすピンクの液体に細かい泡が渦巻いていて、見た目は洋一も知っているシャンパンのように見える。
「うふ、あたしたちが出会えたことに」
天使の笑みでグラスを傾けるジュリアに合わせ洋一もグラスを重ねる。
チリン
鈴の音のような心地のいい響きがした。
ジュリアに合わせて洋一もグラスを口に運ぶ。
「ケホッ、これ、アルコール」
洋一は一口で盛大にむせる。ほんのり甘いそれはかなり度数の高いアルコールらしかった。
「アルコール?」
何のこと?とでもいうようにジュリアは首を傾ける。
その仕草は、ピンクのもふっとした猫耳のせいか洋一の目にすごく可愛く映った。
こいつのこのテンションは、もしやアルコールのせいだろうか?そういえば北の寒い国では度数の高い酒をストレートで飲むんだっけか?洋一は頭の中でいろいろと考えを巡らせてみる。
「もう一度聞くけど、ヨウイチ、空間魔法は使えないのだな」
「はぁ?そもそも魔法じたい使えねーし」
「ケッホ……」
今度はジュリアがむせる。
「おまえ、魔法が使えない?そんな奴いるのか?」
ジュリアは大きなアメジスト色の目をより大きく見開く。
「ユラチナでは、全員魔法が使えるのか?」
「ふん、あたしの質問に質問で答えるなんて」
ジュリアはぷうとふくれるがすぐにっこり笑ってみせる。
「まいい、先に答えてあげる。ヨウイチはほんとに何にも知らないのねぇ」
人に教えるのが楽しいのか、ジュリアは機嫌よく答える。
「ユラチナ国の住人は獣人と妖精。獣人は土と雷の魔法、妖精が火と水の魔法を使う。まぁ、力の弱い子は一つの属性魔法しか使えないけどぷぷぷ」
「じゃあ、ジュリアは土と雷の両方が使えるのか?」
ふん、とジュリアは洋一をバカにするように鼻で笑う。
「ぷぷ、王族は火・水・土・雷のすべてを使えるわ。獣人と妖精の両方の血を受け継ぐのは、このユラチナ国では王族だけにゆるされてるもの。ぷぷぷ」
「じゃあ、空間魔法ってのは?」
洋一が言ったとたん、ジュリアの顔が険しくなった。
「ふん、この国でそれを使える奴はいない。ただかつて交流のあった他国でまれに扱える者がいたとの言い伝えが王宮にのこるのみ」
「他国の……」
「ねぇ、ヨウイチの国で空間魔法を使う者の話はきいたことないのか?」
ジュリアは一転して、洋一に媚びるような目をむける。
「あー、いや、俺の国では魔法を使える奴じたいほとんどいないから…… 俺には分からない」
どうして魔法を使う者などいないとではなくほとんどいないと言ったのか、洋一にも分からない。
でもたぶん洋一はこの時無意識に感じ取っていたのだろう。
生まれて物心ついてから常に感じていた自分へ向けられる視線、自分を通したその先の親のもつ地位や権力を期待する。そう決して洋一本人を見てはいないあの目をジュリアの紫の瞳の奥に。
「そう、ヨウイチも変だけど、ぷぷ、ヨウイチの国はもーっと変なんだぁ。おもしろそう。
ぷぷぷ、ねぇ、あなたの国についてもう少し教えてちょうだい」
ジュリアは天使のようにかわいい笑顔を洋一にむける。
「ジュリア、そろそろ部屋の準備が整いました。ヨウイチは疲れていると言ったでしょ。おしゃべりはそのくらいにして休ませてあげて下さい」
いつのまにかバルコニーにユリアが立っていた。
「ふん、お姉様こそいつからそこに? お姉様こそ砂漠から帰ってきたならお疲れでしょ。休んだらよいのでは? この国の次期女王だというならお体には気をつけて、全く王女の自覚がないのもどうかと思うけど」
挑戦的な目でジュリアはユリアを見やる。洋一にもその険悪な雰囲気はひしひしと伝わってきた。
ジュリアの耳はピーンと尖って立ちあがていた。
「ふん、あたしの方がよっぽど次期女王にふさわしいのに。質素なその格好、まあいつもお部屋にこもりきりの暗い性格にはぴったりだけど」
確かに、ネックレスやら指輪やらといった装飾品を沢山身にまとった妹と比べて一切の宝石を付けていないユリアは質素といえばそうだ。だがユリアには、宝石に負けない美しさがあった。
しかし整った美しい顔に、空虚な目をしたユリアはお飾りの人形のようなものだった。
だが今は……
少し前までだだ一人の寂しさとあきらめと苦悩とに暗く沈んで光を失っていた瞳の奥に、見つけたわずかな希望による新たな光がほんのわずかではあったが宿りつつあった。
ジュリアはまだ気づいていないけれど……