総大将・毛利輝元の自覚-その2-
吉川広家からの報告を受けた輝元は……大喜び!!
輝元:「……そもそもワシは家康と敵対するつもりなど微塵も無かった。」
「ただ普段から『親の名前だけで大大名を気取りやがって……』
と陰日向なく面罵して来た(安国寺)恵瓊から珍しく丁重な誘いが来てな……。」
「あいつ舌は達者だろ。舌だけは達者だからさ。」
「(……もしかしたら私にも……)
(……天下の可能性が!!)
と一瞬喜んでしまったのではあるけれど
(……しかし相手は家康だぞ……)
と慎重な行いを貫き通して来たのであるが
『あっぱれ広家!!』
そなたはワシの真意を見通していたのであるな。よくやった。」
「……ん!?家康はそなたの意見を信用しているとな。
さすが元春殿の血を受け継ぎしモノである。
毛利のことをまず第一に考えておる。
ワシをことあるごとに木に縛り付けていた
(小早川)隆景から薫陶を受けた。
とのたもうてたあいつ(恵瓊)とは違うな。うん。
しかも残っていると面倒なことになる
(ワシよりもリーダーシップを発揮する力を持っている)
恵瓊を京で放逐し、全ての責任をあいつに押しつけることにしたとな。
うむ。あっぱれな所存である。」
「これでワシも安心して国元に帰ることが出来るぞ。」
と負けいくさとなった総責任者であることを自覚していない毛利輝元。
一方、輝元とは真逆の考えを持っていたのが毛利秀元。
関ヶ原から目と鼻の先にある南宮山に陣を構えながら
何もすることが出来ぬまま敗北者の側に立たされることになってしまった彼。
このまま国元に引き上げてしまうことの愚を悟っていた秀元は
堅城・大坂城と大坂城に居を構える豊臣秀頼を最大限に活用し徹底抗戦すべし。
と大津に在陣していたため同じく関ヶ原に間に合わなかった立花宗茂と共に
論陣を張るのでありましたが
輝元:「中国8ヶ国が認められるのであればそれで良い。」
「8ヶ国と豊臣家が安泰であるならば、いづれ家康の寿命は尽きる。
そのあとのために力を温存しておくのも良いのではないか。」
と恵瓊放逐後。年下しか居ない。
=輝元をねじ伏せることが出来るモノが居なくなった。
唯一その可能性があった吉川広家は大坂退去を指示ないし支持した側に立っていたこともあり、
秀元の意見を退けられ、輝元一行は大坂城をあとにするのでありました。
毛利8ヶ国の命運を誰が握ることになったのかも知らずに……。
同じく失意の中、国元に帰ることになった立花宗茂は出発地・大坂で島津義弘と遭遇。
関ヶ原の脱出行においてほとんどの兵を失った上、帰る資金にも事欠く義弘を見て
「今こそ亡父・(高橋)紹運様の仇を討つ好機」
といきり立つ部下を宗茂は宥め、
逆に義弘に護衛を付け薩摩への帰還を助けるのでありました。
輝元退去に伴い一滴の血を流すこと無く大坂城へ帰還を果たすことに成功した
徳川家康。
名実ともに豊臣家中No.1の地位を確固たるものとした彼は
これまで演じ続けて来た律儀な内府殿の仮面を脱ぎ捨てるのでありました。