合戦関ヶ原-その2-
午前10時。戦闘開始から2時間経過がするも未だ決着付かず。
山中村の大谷吉継は、家康方の藤堂高虎に京極高知を引きつけ奮闘。
小西行長は、織田・古田・金森に寺沢を相手に一歩も引かず。
そればかりか家康方の寺沢を南へ押し返す活躍。
本営たる笹尾山の石田三成も黒田・細川ら。
三成に対し、強い憎悪の念を滲ませる豊臣恩顧の諸将相手に不退転の決意で迎撃。
そんな家康・三成双方が入り乱れる中。
とりわけ激闘を繰り広げているのが宇喜多秀家と福島正則。
『関原軍記大成』に
【此の時、秀家卿の太鼓の丸の旗と、
正則の山道の旗を退く事、
二、三度に及びたり】
と両軍押しつ押されつ。一進一退の攻防が繰り返されるなど
兵数に勝る家康方相手に
三成方が地の利を最大限に活かしつつ善戦する展開が繰り広げられておりました。
その頃家康は?
と言いますと
近習が家康の前へ馬を乗り掛けたことに腹を立て、
抜刀した上、斬りつける。
幸いその近習は身をかわし逃げたのでありましたが。
収まらない家康は、傍らにいた小姓の指し物を切り落とす
と言った
冷静沈着。『律儀な内府殿』の評価は何処へやら。
うまくいっていないことに苛立ちを隠すことの出来ない家康でありました。
なぜか?
地の利があるのは石田三成。
しかも三成方諸将が陣を張った場所の背後の全てが三成陣営。
補給の心配をしなくても良い環境にあるのに対し、
一方の家康方は?
と言いますと
兵数では勝るモノの。
地の利を得ることが出来ていないばかりか
関ヶ原は敵地。
後背には大垣城があり、
補給路の確保が出来ていない。
そして何より関ヶ原の南東・南宮山には
不戦を誓って来た吉川広家は居るモノの。
総大将の名代たる毛利秀元が控えている。
その毛利秀元が動くと決断を下した時。
主家である毛利の意向に反する行動を
広家が採ることが出来るのか?
今の膠着状態が続く中。このまま夜を迎えた場合……。
まだ毛利が動かぬ内に決着を付けなければならない。
にも関わらず。
このままでは……。
と桃配山を降り、
諸将に対し督戦を促すも午前11時。
戦況に変化は見られない。
そんな中、家康の視線が向かった先は……。