宰相殿の空弁当
(……様子がおかしい……。)
南宮山の吉川広家。
霧が晴れ。視界が開けた視線の先。北東方向に
本来居るべき赤坂の徳川家康などの大部隊の姿は無く、
見えるのは南宮山の北・垂井に陣を張る池田輝政の一隊のみ……。
(……何か情勢に変化でも起こったのであろうか……。)
(……とは言え家康との約束もある故。
……しばし様子を見ると致そうか……。)
と家康方に動きがある。
と思われるも傍観を決め込もうと考えていた広家のもとに
これまた南宮山に陣を張り、
大垣方面での異変を感じた総大将・毛利輝元の名代。毛利秀元が訪れ
秀元:「赤坂の様子がおかしいように感じるのでありますが……。」
広家:「わしも不思議に思っておるところでおった。」
秀元:「あれだけの大軍を隠せるような場所は赤坂にはありませぬし……。」
広家:「そもそも家康が隠す理由も無い。」
秀元:「しかも我が軍の眼前で陣を構えるのが。」
広家:「池田輝政のみ……。」
秀元:「これをどのように見られますか?」
広家:「輝政は家康の娘婿。
そんな彼を家康が
わざわざ単独で我ら2万を超える大軍と相対させるとは……。」
秀元:「そのような危険地帯に彼を配す。
と言うことはつまり……。」
広家:「我らの視界には入っていない南宮山の北西部に新手を伏せているか……。」
「我らが輝政に集中している隙を狙い……。」
秀元:「背後から我らを襲おう。と考えているのか……。」
広家:「にしてもそのための囮に池田輝政を……。
とは思えぬのではあるが……。」
秀元:「試しに兵を動かしてみますか……。」
広家:「いや待て。」
秀元:「なぜ待たねばならぬのでありますか?
たとえ罠であっても大丈夫なよう
こちらも用心すれば済むだけの話でありますから。」
広家:「いや秀元。ワシが心配しているのは罠のことでは無い。」
秀元:「では何を心配されているのでありますか?」
広家:「……三成のことだよ。」
秀元:「三成の何を心配されているのでありますか?」
広家:「三成が最も忌み嫌うモノが何であるのか?を
お前も朝鮮に行っているのであるから存じているであろう……。」
秀元:「その場の情勢に応じ、臨機応変に対応すること。……でありますね。」
広家:「左様。」
「たとえ現場で必要であったから。
……であったとしても三成は
『軍律を無視するとは何事でありますか!』
『もしあなたの身勝手な行動により
御味方が窮地に陥ってしまった場合。
あなたはどのように責任を取るおつもりであったのでありますか!!』
『うまく行って当たり前のことでありますからね!!!』
と罵られるだけ……。」
秀元:「それだけで済めばまだ良いのでありますが……。」
広家:「それが元で左遷の憂き目にあったものも……。」
秀元:「三成の指示が無い以上……。」
広家:「動かぬが賢い選択でありますな……。」
もし前日の夜。三成が関ヶ原への転進を図る際、
「私(三成)は関ヶ原へ移動し、家康を誘い込む故
関ヶ原に入った家康の背後を衝いて頂きたい。」
と毛利秀元に伝えていたのであれば……。
たとえ南宮山の出口を吉川広家が塞いでいたとしても
力ずくで兵を動かすだけの権限を
毛利秀元は有していた。
なぜなら彼は総大将・毛利輝元の名代であるのでありますから……。
広家は広家で。
家康のことよりも毛利のことを重視していたのでありますから
家康の旗色が悪い。
と確信を抱く様な事由
(毛利全軍で背後を狙えば家康を倒すことが出来る)
が発生した場合。
たとえ人質を見殺しにしてでも
主家の勝利のため、
毛利秀元と共に関ヶ原へ兵を進めることになる……。
そのチャンスが今訪れているのでありましたが……。
それよりも怖かったのが
指示とは異なる行動を採った時に受けることになる
三成からの罵詈雑言。
毛利秀元に次なる指示を出す余裕が三成には無かった……。
南宮山の南を通過したにもかかわらず。
なぜなら三成はその時。
関ヶ原で孤立する危険性の有った
大谷吉継と合流することを最優先課題においていたから……。
現場での苦労。
予定通りに行かないことが当たり前である。
と言う事態に初めて遭遇することになった石田三成。
その三成の怖さを痛いほど味わって来た南宮山の毛利秀元は
池田輝政を狙うことを諦め、
南宮山の南東に陣を構える
これまた赤坂の異変を感じた長宗我部盛親からの出陣要請に対し
(……三成が怖い)
と言う訳にも行かず秀元は
「今。兵に飯を食わせております故、しばしお待ち願いたい。」
と返答。
三成の願い。
毛利の後詰めは実現に移されること無く、
関ヶ原での激闘は続くのでありました。