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合戦関ヶ原

ちょうどその頃。大谷吉継が陣を構える

東山道筋の要衝・山中村へ向け兵を進めていたのが福島正則。

いよいよ敵陣となる東山道の狭隘区間に差し掛かろうとした時、

彼らの目に飛び込んで来たのが

山中村入口北に位置する北天満山と南天満山にそれぞれ陣を張る

小西行長と宇喜多秀家の部隊。

南西部には赤座・小川。朽木に脇坂。

目の間には勿論大谷吉継が……。


(……このままでは挟撃されてしまう……。)


……と逡巡したその時。

福島の横を掠め宇喜多の部隊に突っ込んでいったのが

井伊直政率いる『赤備え』。

本来、福島の監視役として徳川家康より派遣された井伊直政が

何故。福島の横をすり抜け、

先陣を飾ることになったのか?

福島に対し速やかに戦うよう命じる意味があったのか?

それとも

井伊直政自身。徳川家における新参者。

それでいて徳川家内で最も多くの石高である

12万石を賜っていることに対する

三河以来の家臣達によるヤッカミに対し、

敢えて危険地帯に飛ぶ込むことにより、

このいくさに間に合わなかったモノどもを黙らせようとしていたのか?

定かではありませんが

この井伊直政の行動に触発された福島は

全軍で持って宇喜多秀家に当たるのでありました。


一方、笹尾山で石田三成と遭遇した黒田長政は?

と言いますと

本来の目的が無人の笹尾山に陣を構築することであったこともあり、

完全なる戦闘態勢に入っていなかった。

加えて石田三成の陣構えが頑丈であったこと。

更に福島と違い、

黒田を後ろから監視する徳川の武将が居なかったことも手伝ってましてか。

(……どうしたものか……。)

と模様眺めとなっているところに

異変を察した家康からの

(戦況はどうだ?)

と尋ねる使者に対し、

(……さぁ……)

と、とぼけるしか無かったのが長政の正直な気持ち。


この報告になっていない報告を桃配山で聞いた家康は。

今更ながら自前の。

それも独立した軍を有している部下のほとんどが

未だ到着していないことを悔やむのでありましたが、

幸いなことにメインターゲットである石田三成が目の前の。

それも福島以外の主力部隊の大半が三成の居る笹尾山へ向かっている。

奴らの全てを石田三成に向ければ……。


と思い直した家康は

自身が保有する

実戦には全く持って向いていないが

威圧感

と言う点では誰にも負けない

3万にも及ぶ親衛隊を

桃配山から笹尾山麓へ移動。

目的は自らの手で石田三成を。

と言うことでは無く、

(……手を抜いたりしたら

 どう言うことになるかわかっていますよね……。)

と家康の味方となっている諸将に対する

……脅迫のため……。

結果的には、石田三成を……。


前門の三成。

後門の3万率いる家康の親衛隊に

それぞれ挟まれることになった長政ら

元・笹尾山要塞化部隊は

否応なく石田三成構える笹尾山へ向け

兵を進めるのでありました。


地の利の三成方に

兵数と部隊の連携によって挑む徳川方の構図で始まった関ヶ原の戦い。

桃配山を降りた家康も含め低地の

それもほぼ全ての部隊が北ないし西へ向け兵を進めている。

ここで三成方にとって頼りとなるのが

家康の視線には入っていない南東部に位置する南宮山の毛利秀元。

彼が山を降り、

家康の後背を襲うことに成功したのであれば……。


……ここで三成が犯した失策が姿を現すのでありました。

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