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9月14日夜-その2-

ここで湧く疑問が1つ。

なぜ三成は関ヶ原に向け

家康よりもあとに出発したにも関わらず

それも

家康よりも長い道のりを経たにも関わらず

家康よりも先に関ヶ原に到達し、

更にその関ヶ原の要所に

諸将を配置することが出来たのか?


それは……。


家康:(三成は何故追って来ぬのだ……。)


松尾山の小早川秀秋と

赤坂から西に向かった家康により

挟み撃ちに遭う大谷吉継をエサに

石田三成を大垣城より引っ張り出した上、

三成が家康の背後を襲おうとした時に

全ての軍を反転させ、

得意の野戦で持って

三成方を壊滅させる……。

かつて三方ヶ原において

武田信玄より自らが味わった苦汁を

今度は三成に……。

と考えていた家康は

会津に向かった時以上に

ゆっくりゆっくりと。

細心の注意を払いながら

西へ西へと兵を進めていたのでありましたが……。


家康:(……奴は来ないのか……。)

   (……こうなっては仕方ない……。)


と日付も変わった15日未明。

大垣城の三成と

毛利秀元が陣取る南宮山を睨む位置に

娘婿の池田輝政を。

そこから順に東から浅野幸長。山内一豊。有馬豊氏を配置。

三成や毛利に何か動きがあった際の対応を指示した一方、

長期持久戦も視野に容れ、

要所に陣を構えるべく

黒田長政に細川忠興。加藤嘉明。筒井定次に田中吉政を

北国脇往還の要衝である笹尾山へ。

既に大谷吉継が陣を構える東山道の要衝。山中村へ向け福島正則を。

小早川秀秋が奪取した松尾山麓に陣を構える

赤座直保に小川祐忠。朽木元綱。脇坂安治へは

藤堂高虎と京極高知をそれぞれ向かわせ、

後方より松平忠吉に井伊直政。そして本多忠勝が支援。

正しくは監視すべく配備する一方、

家康は関ヶ原一帯が落ち着くまでの間。

不安定な場所の中では比較的落ち着いた

毛利が居る南宮山から見ることは出来ない

桃配山に仮の陣を構えるのでありました。


その間。関ヶ原は夜の闇に加え、濃霧にも包まれていた……。

そのためあれだけの大軍が

家康・三成双方動いていたにも関わらず

お互いにその動きに気付くことは無く、

たんたんと……。

任務の遂行を続けるのでありました。

迎えた9月15日の朝の9時。

(……作業に取り掛かるか。)

と家康より

次なる本営となる笹尾山への陣の構築を指示された黒田長政が

ようやく晴れ始めた霧の先に見えたモノ。

それは……。


……石田三成の旗だった……。

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