表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

66/90

秀忠が居ない

9月14日。

自身の親衛隊など3万の部隊を率い、

満を持して対石田三成の最前線基地となっている

美濃赤坂に到着した徳川家康。

そこで家康が目にしたモノ。それは

(……秀忠は何故来ていない……。)


その頃、秀忠ら徳川主力部隊の面々は

美濃から遠く離れた信濃の国・諏訪湖の西岸に位置する

今の塩尻市を急ぎ上坂しているのでありました。


(……オレが出陣する時に、信濃のことは放っておいてよいから

東山道を西へ向かうよう指示を出していたハズなのに……)


と家康自らが出発する9月1日に秀忠に対し、使者を立てたにも関わらず

秀忠が赤坂に辿り着くことが出来ていないことに不満を抱く家康。

では何故秀忠は家康が使者を出してから

2週間の時間があったにも関わらず

未だ信濃の国・諏訪湖をひた走ることになってしまったのでありましょうか。


家康は秀忠に当初課していた任務は

先の小山評定において家康と袂を分かつことになった

信州上田の真田昌幸を打ち破り、信濃を平定せよ。

と言うモノでありました。

しかし先だって東海道筋を上っていた福島正則ら先遣部隊が

敵方石田三成のコーディネートが追いつかぬ内に尾張に帰還を果たし、

次なる係争地となった

美濃の岐阜城をわずか2日で陥落させることに成功するなど

予想以上に早く戦果を挙げたのを受け家康は方針を転換。

家康自身は東海道から。

主力部隊を為す秀忠以下信州平定部隊は中山道筋より

それぞれ上坂し、

一気に雌雄を決するべし。

……と秀忠に指示を出したハズなのでありましたが……。


……肝心の秀忠ら

家康から独立して働くことの出来る部隊が到着していない……。

手元でその動きが出来るのは井伊直政ただ独り……。


ここで秀忠の9月1日からの2週間を見てみようと思います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ