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広家の本心-その2-

石田三成により反家康方の総大将を務めることになった毛利輝元。

吉川広家は徳川家康に対し、

「本人が知らぬ間に担ぎ出されただけのことでありまして、

 今、大坂城に居るのも

 亡き太閤殿下が

 徳川殿が留守の際、

 徳川殿の代わりに大坂城に入るよう遺言されたことを

 実行に移しているだけのことであります。」

との弁明書が送り届けられているのでありましたが

実際の毛利輝元のほうは?

と言いますと


結構乗り気。


毛利秀元と吉川広家に毛利本隊を委ね

家康方との決戦に備える一方、

本人は三成の指示通り

大坂城西の丸にて増田長盛らと共に秀頼を補佐する傍ら

息子は家康と行動を共にしているが

親は在国中の阿波・讃岐両国に圧力を加え、

高野山に追放したのち残兵を吸収。

留守居役しか残されていない伊予・豊後には

それぞれの地にゆかりのある武将を派兵するなど

主無き西国の家康方諸将の領地簒奪を図るなど

広家の言葉とは真逆の行動を採るのでありました。


では当の広家のほうは?

と言いますと

岐阜城が陥落した翌8月24日。

三成方は伊勢・安濃津城への総攻撃を開始。

このいくさにおいて獅子奮迅の働きを見せたのが吉川広家。

岐阜城攻略戦で池田・福島に後れをとった黒田長政は

岐阜落城を見る前に大垣方面へ進出。

そこで広家の戦いぶりの報に接し、

長政は一時顔色を失うのでありました。


そんな中続く長政を介しての家康と広家のやりとり……。

これを見て長政は……。


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