表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

58/90

石田三成の戦略と誤算-その3-

三成に味方した諸将の全てが

三成が家康に勝てる

とは信じ切れていなかったらしく

……まぁ三成に味方することになった理由が

会津に向かう途中に足止めされてしまった……。

三成が元の上司だったから。

であったこと。

加えて三成以外に

家康の本当の野心に気付いているものがいなかった……。

仮にいたとしても

家康に相対するだけの気概を見せるモノがいなかった……。


そんな事情もあり、

「いくさ場」においては積極的な働きは見せるものの

一方、三成が負けた時のことも念頭に置いて

家康と連絡を取ろうとするモノが現れたり、

まだそれだけであれば良いのでありますが

豊臣の金庫番である

増田長盛のように

家康打倒の檄文を飛ばしながらも

三成の動静を全て家康に漏らし続けた挙げ句

豊臣の蔵の内、

百万石は動かすことの出来る力を持っている長盛でありますので

秀頼からの命令

と言う大義名分を三成が得ているのでありますから

惜しみなく蔵を開放しても良いのでありますが

そのような資金援助は一切行わなず。

董卓との戦いにおける孫堅のような扱いを被ることとなった三成は

仕方なく自腹を切って味方する諸将の軍資金に充てるのでありました。

もちろん秀頼の名のもとにおいて……。

となれば三成方の諸将は誰に感謝をするのでありましょうか……。

当然、三成に向くことはありません。

秀頼様からの資金と言う名目でありますので。

本当は三成がなくなく捻出しているにも関わらず……。


一方の家康はどうでありましょう。

家康の野心が何処にあるのか?

に関する最も新しい秀頼の声明文が

まだ家康方諸将の間に伝わっていないことも幸いし、

秀頼が命じた会津征伐の隙をついて

三成が豊臣家の乗っ取りを図っている

と言う世論を

三成に対する積年の憎悪も手伝い形成することに成功。

加えて

東海道筋の諸将が

持っている資金の全てを家康勝利のために費やすことを宣言。

更には

息子が足止めされ

三成方となってしまったことを案じた

鍋島直茂のように

敵方からも支援を家康は

労せずして得ることが出来た。

この結果が

最初の防衛線と三成が考えていた尾三国境を

福島正則が無血で突破することが出来た要因となったことは


250万石の家康と相対する

総大将となるには説得力が乏しい

20万石しか有することの出来ていない

三成の限界と言えば限界でありました……。


8月14日福島正則ら家康方先遣部隊は清州に入城。

対する三成方は岐阜大垣に新たな防衛ラインを設定する一方、

毛利秀元率いる大部隊は伊勢へと兵を進めるのでありました。

その伊勢での動きにおいて黒田長政は

毛利輝元の。

正確には

吉川広家の本心を知ることになるのでありました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ