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石田三成の戦略と誤算-その1-

大多数は巻き込まれることになったとは言え

9万5千にも及ぶ兵力を確保することに成功した三成は

このあと家康はどのような行動に出るのか?

をシミュレートするのでありました。


家康が採ることになるであろう選択肢は次の3つ。

1つ目の選択肢は、気にせず会津に侵攻すること。

2つ目が江戸に引き篭もり、防御に徹すると言うモノ。

最後3つ目に来るのが会津を無視し、三成目掛け西へ向かうと言うモノ。


これら3つの選択肢の内、

真っ先に除外されることになるのが

会津征伐。

仮にこのまま会津に進撃した場合。

迎え討つことになる会津の上杉に加え、

上田の真田が敵に回ることが確定している上、

常陸の佐竹に岩出山の伊達。山形の最上の去就が不透明なことに加え、

日が経てば

今はまだ知られていない

新たな秀頼から命令である

「奸臣・家康を打倒せよ」

の檄文を小山に居る豊臣恩顧の諸将も知ることになる。

そうなった場合。福島ら。

家康について居る武将がどのような行動に出ることになるのか?

が不透明であることに加え、

そもそも家康の目的が会津征伐で無いため

このプランを家康が実行することはあり得ない。


同じことは2の江戸に籠る。

にも言えることでありまして

目的が三成を怒らせて挙兵させることにある。

そうなった以上、家康が採る選択肢は自動的に


3の会津を無視し、三成打倒に向け兵を西へ動かす。

と言うモノ。


これに備え三成が次に打った布石は?

と言いますと


まずは畿内に残る家康勢力の駆逐。

具体的には家康家臣・鳥居元忠が守る伏見城と、

人質となることを拒み、

宗教上の理由により

家臣に討たせる道を選んだガラシア。

その義父・細川幽斎の居る丹後田辺城を攻略すること。


次に伏見城攻略後。

決戦の舞台を尾張と三河の国境に定めた三成は

そこまでの道のりの障壁となる

近江に設置した関以東。

主に伊勢方面の家康方諸城を攻略すべく

宇喜多、毛利など三成方の主力で持って進軍。

同時に既に徳川の膝下に収まった前田を封じ込めるべく

大谷吉継が北陸道へ兵を進め、

織田秀信の居る岐阜城との連絡路を確保しながら

それぞれ福島正則の本拠地・尾張の国へと乱入すると言うモノ。


最後3つ目が

総大将の毛利輝元と

豊臣家金庫番の増田長盛は大坂城で秀頼を補佐。

もし家康が大坂に向かった場合は

輝元が秀頼を奉じ出陣することにより、

家康方に居る豊臣恩顧の武将の戦意を削ぐことにより

孤立無援と家康を打倒する。

と言うモノでありました。


これら三成がコーディネートしたプランは

7月18日。

最初のターゲットである伏見城で

早速実行へと移されるのでありました。

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