関ヶ原-その7-
翌日。「三成挙兵」の報を受け動揺が走る諸将に向け家康は
現在の状況と今後についての説明会を
下野の国小山で開催するのでありました。
山岡道阿弥:「本日皆様お集まり願いましたのは
既に噂として耳にされているかたも多いことかと思われますが
先日。近江の地におきまして石田三成が打倒・徳川家康の兵を挙げました。
現在の状況につきまして板部岡より話がございます。」
板部岡江雪斎:「三成は家康に対する兵を立ち上げるにあたり、
亡き太閤殿下の遺児であります秀頼様の名を騙り兵を集め、
平時。家康が在します伏見城を現在攻撃しているところであります。」
「更に三成はこれと並行しまして大坂に居ます
本日。お集まり頂きました皆様の奥様にお子様がたを
人質に取る作戦を決行に移した模様であります。」
「これらの情勢を受けての家康の考えを山岡より説明させて頂きます。」
山岡道阿弥:「家康は皆様の妻子が既に上方において
人質となってしまっていることを予想しています。
そのため去就につきましては皆様の意志を尊重します。
もし三成に味方しようとお考えのかた。
いらっしゃいましたら遠慮なく申し出てください。
家康はこのことを恨むことはありませんし、
陣払いを邪魔するようなことも致しません。」
改めて現実に起こっている出来事を知った諸将の間には動揺が走り、声は無い。
この重苦しい沈黙の世界を破ったのが……
……福島正則でありました。
おもむろに立ち上がった彼は開口一番。
福島正則:「今回の三成の挙兵は全て
奴。石田三成の野心から発生したモノである。
秀頼様は関係ない。
内府(家康)殿の秀頼様に対する忠誠心が
揺るぎ無いものであることは明白である。
故に私は三成には加担しない。
ほかのモノは知ら無いが
私は妻子がどうなろうとも内府殿について行く。
この正則自らが先鋒を司り
見事。三成を討ち果たして見せましょう。」
自他共に認める
「亡き太閤殿下第一主義」の彼の発言に呼応したのが
黒田長政に徳永寿昌。
こうなると小山の世論は一気に三成討伐に傾き、
その場において反転攻勢に打って出ることに決定。
真田昌幸除く諸将は
反転攻勢に打って出るべく家康に味方することを誓約。
そこで更に家康を喜ばせる出来事となったのが
山内一豊による
「私の城(掛川)にあるモノ全てを三成討伐のために使ってください。」
この申し出に
他の諸将も後れを取るまいと
我も我もと城の明け渡しを家康に志願。
これら資材を使い小山の諸将は急ぎ
伊勢・尾張へと向かうのでありました。
長政:「山内殿の申し出は意外でありましたな。」
家康:「本当の意味で全てを私に預けたわけであるからな。
これで尾張までの道のりは確保出来たわけではあるな。」
長政:「残念ながら上田(真田昌幸)は帰ってしまいましたが……。」
家康:「三成に説得される前に
次男の義父である(大谷)吉継が小山に到達して居れば
こんなことにはならなかったのではあるが……。
逆に言うと(本多)忠勝の娘と昌幸の長男が結婚していなければ
真田全体に行く手を阻まれることになったとも言えるのではあるが。
こればかりは仕方が無い。
補給路が担保されていない以上。
上州筋からの上坂は我が主力部隊で向かうことにしよう。」
「それはそうと福島の件、大義であった。」
長政:「亡き太閤殿下を思う気持ち。
秀頼様を慕う気持ちについては
福島・三成両者。同じなのではありますが。」
家康:「それ以上に。」
長政:「三成に対する憎しみのほうが勝ってしまった……。」
家康:「それが無かったら今。我々がどうなっていたか定かでは無いが……。」
長政:「安堵しております。」
「ただ正則は殿が秀頼様のことを蔑ろにしている。
と判断した場合。
態度が一変することになる。
と言うことは忘れてはなりませぬぞ。」
家康:「わかっておる。
ところで長政。
小山の件はこれで一段落ついたが
懸案事項がもう1つ残っておる。」
長政:「毛利のことでありますか。」
家康:「左様。彼らの持っている戦闘力は油断することの出来ない規模にある。
出来ることなら彼らの動き封じ込めねばならぬ。」
長政:「そこで利用したいのが。」
家康:「広家だな。」
長政:「彼の持っている毛利家における力と、
彼が抱いている(安国寺)恵瓊に対する恨み。
=三成に対する恨みを。」
家康:「存分に利用するだけ利用して。」
長政:「最期……。」
その後来る家康の言葉を聞いて
長政:「……父と同じことを仰られるのでありますね。」
家康:「……伊達に苦労はしてないよ。……私も。……お前の親父も。」
長政は福島と共に東海道筋を伝い清州に入るのでありました。