生殺与奪の権-その8-
9月7日。
9日の重陽の節句に際し、豊臣秀頼に祝詞を申し述べることを名目に
徳川家康は伏見城を発し、大坂へ入る。
そこで発覚したのが
『徳川家康暗殺計画』
前田利長を首謀者とし、
浅野長政、大野治長。土方雄久らが大坂登城途中の家康を討とうと考えている。
との密告が家康の耳に入る。
これを受け家康は伏見より譜代の家臣及び多数の警護兵を呼び寄せ大坂に居座り続け、
28日。豊臣家の牙城。
大坂城へ乗り込むことに成功。
翌10月2日。
今回の暗殺計画に加担した容疑者の処分を発表。
五奉行の1人。浅野長政は領国甲斐府中にて蟄居。
大野治長は家康次男・結城秀康の領国下総に、
土方雄久は常陸の佐竹義宣にそれぞれ預けの身とし、
3日。
大坂に居る諸大名を大坂城の西の丸に集め、
家康暗殺計画の首謀者たる前田利長に
豊臣家に対し謀反の意志があるとし、
加賀小松城主の丹羽長重を先陣とする前田討伐軍が組織されるのでありました。
長政:「(家康は)我がもの顔ですね。」
官兵衛:「はやく『顔』を取り除き、
天下を我がものにしたいと思っているのであろうがな。」
長政:「でっちあげられた側は大変ですね……。」
官兵衛:「世の中そんなものだろ。
裁定一つではどうすることも出来ない。
武力を持って。でなければ。
それも家康が勝つことの出来る相手に喧嘩を仕掛けながら。
それと同時並行して
現在の秀頼様政権の側近中の側近(大野。土方)を粛清することにより、
家康の狙いがわかるモノにはわかるよう。
しかも知られたくないものには察することが出来ぬよう。
福島や両加藤などとは疎遠なモノを狙って。」
長政:「浅野殿に関しましては
家康が悟って欲しいと考えている相手と
仲の悪い長政殿の息子・幸長の行動が阻害されることが無いよう。
の側面もあるのかもしれませんね。」
官兵衛:「(前田)利長はどうするかな……。」
長政:「利家殿の遺言は家康の暴走を喰い止めるべく戦え。
でありましたが。」
官兵衛:「秀頼殿の代弁者が家康である以上。」
長政:「利長は賊軍扱いですからね……。」
官兵衛:「しかも仮に利長が勝ったところで。」
長政:「メリットはありませんからね……。」
秀頼(家康)による加賀討伐の報に接した利長は気が動転。
家老の横山長知を家康のもとに派遣し陳弁に努めると同時に
実母を人質として差し出し、
更には家康と縁戚関係を結ぶことにより、
利長の地位を保全することに成功するも
この一連の出来事により前田家は以後。
徳川家のコントロール下に置かれることになるのでありました。
官兵衛:「利家の遺訓である
『主君(豊臣秀頼)のために家康と戦え』
よりも
利家の成功事例
『主君(柴田勝家)よりも相手が強いのであれば戦線離脱してでも
味方を壊滅させよ』
が上回った。
と言ったところかな?」
長政:「前回は加賀が加増されましたが
今回はどのような恩賞が待っているのでありましょうか……。」
官兵衛:「どこかの領地が空いたわけでは無いので
その可能性があった場所が自分(前田)の領地であったわけであるから
今のところは現状維持と言ったところであろうな……。」
長政:「当面のいくさは回避されたことになりましたね。」
官兵衛:「家康にとっては不本意極まりない結末を迎えてしまったのであろうが。」
長政:「御意。」
官兵衛:「家康はお前に対し何か指示は出しているのか?」
長政:「特にこれと言ってはありませんが
これまで同様。
三成と疎遠になっている連中との関係性を
更に悪化させるように。
ぐらいでありますか。」
官兵衛:「……となると家康が次に喧嘩を仕掛けようとしている相手は……。」