生殺与奪の権-その6-
慶長4(1599)年閏3月3日。前田利家逝去。
その日の夜。
豊臣恩顧の。
それも槍働きに功のあった
加藤清正に福島正則。黒田長政に池田輝政。更には細川忠興、加藤嘉明、浅野幸長の
7人の武将が
これまでこれと言った軍功が無いにも関わらず
統治面における貢献により
今や豊臣政権の中枢を担う。
先の唐入りの際。
彼が派遣した軍目付の報告を
彼が誇張して奏上したことにより、
渡海しなかった池田輝政を除く武将が
故太閤殿下より叱責を受ける羽目に遭った。
と彼らが信じて疑わない
石田三成に対するこれまで溜まりに溜まった鬱積が爆発。
彼が居を構える大坂の石田邸を7将が襲撃するも。
この計画を事前に察知していた三成は
弔問客に紛れ前田邸を脱出。
その後、彼が向かった先は。
と言うと
敵対関係にあった(ある)伏見にある徳川家康の館。
こうなっては三成に襲い掛かった7人の武将も手を出すことは出来ず。
家康の説得もあり手を引くことにより
三成は窮地を脱することが出来たのでありましたが、
その代償として待っていたのが
三成に対する奉行職の解任と
居城・佐和山への閉居
と言うモノでありました。
と言うことはつまり
畿内の地で家康に敵対する勢力が居なくなったことを意味するのでありました。
官兵衛:「普通に考えた場合、
処分されるのは三成では無く
(長政を含む)お前らのほうだよな……。」
長政:「殿。殿中でござる。殿中でござりまする。」
官兵衛:「で、お前を含む7人の武将が三条河原で晒し首になったあと。」
長政:「47人の義士が立ち上がることになる。」
官兵衛:「……三成が気の毒だな……。
で。47人の中に(後藤)又兵衛の名前はあるのかな?」
長政:「わかりませぬが……。
……少なくとも父上は私と連座することになったは確実でしたでしょうね。」
官兵衛:「……て言うか。これは事実なのかな……。」
長政:「普通ならあり得ないことだと思われますが。」
官兵衛:「大胆過ぎるにも程があるからな……。」
長政:「400年以上経っても疑われない。
と言うことは事実なのでありましょう。」
官兵衛:「メンバー見て思うのだけど
如何に三成と言えども
大坂から伏見までよく逃げ遂せたモノだな……。」
長政:「余程のヘマを仕出かしたのでありましょう。」
官兵衛:「他人事のように言うな……。
でもよくこれだけのメンツが団結出来たモノだな。
1人ぐらい、今は避けたほうが良いのでは?
少なくとも利家の葬儀が終わるまでは。
と真っ当な意見を述べるモノがいても
不思議なことでは無いように思うのであるが。」
長政:「なにか気になることでもございますか?」
官兵衛:「利家が生前。家康と揉めた時。
前田利家側についたメンバーが4人居るな……。
まぁこれは三成が憎い
と言う感情が働いてのことかと説明出来るのかもしれないが。
だからと言って
ほかの4名含め、利家が亡くなったその日に
理由も無く三成を襲うとは思えないのであるが……。」
「もっと気になるのが池田輝政。
彼は唐入りしたわけでは無いし、
三成に対し、これと言った揉め事は無かったように思うのであるし。」
「更に言うならば
……なんでお前が加担してるんだ?」
「ん!?……もしかしてこのシナリオを作ったのは。」
長政:「……お気付きになられましたか。」
官兵衛:「秀頼様の威光を振りかざし、
豊臣家を牛耳ろうとしているのは石田三成である。
と喧伝することにより、
先の揉め事の折。前田利家に味方した
加藤清正ら4将を徳川陣営に引き込むだけには留まらず。
歯止めを掛けていた利家が亡くなったタイミングを利用して
三成を襲撃。
ただし、そこで仕留めてしまっては
豊臣家内の揉め事で終わってしまう。
それでは家康の野望は成就することにはならないため、
ここでは敢えて三成を逃がす。
ただ闇雲に三成を逃がすだけでは
立ち直った三成が奉行である地位を利用して今度は
理由も無く三成を襲撃した
7人の武将が罪に問われることになる。
それを防ぐべく
三成が退却出来る場所を1つだけ用意しておく。
その行き先が……。」
長政:「伏見ある徳川家康の館。」
官兵衛:「家康は亡くなられた殿(秀吉)より
秀頼様の後見人を託された人物であるため。」
長政:「その後の裁定を下すのは勿論。」
官兵衛:「徳川家康になる。
……でも無ければ
(三成を襲うなんてことは)出来ないよな……。」
「となるとその検視役の任にあたっていたのがお前と。」
長政:「家康の娘婿の池田輝政。
……と言うことであります。」
官兵衛:「……それにしてもよく加藤清正を引き込めたモノだな……。
秀頼様に対する忠誠心に関しては
三成と双璧であるあいつが。
私怨があるとは申せ。
畿内で秀頼様を盛り立て、
家康相手に踏ん張っている
三成を排除する動きに加担することになるとはな……。
もっともこれは
……福島や嘉明にも言えることなのではあるのだが……。」