生殺与奪の権-その4-
黒田父子が拠点を伏見に構えた翌月。
慶長4(1599)年1月10日。
豊臣秀頼が伏見城から大坂城に移るや否や
太閤秀吉逝去後。その遺命に反する行為を繰り返し、
多数派工作に乗り出して来た徳川家康に対し、
家康を除く四大老と五奉行が反発。
その中心人物となったのが
後見人として秀頼と共に大坂城に随行した
五大老の1人。前田利家でありました。
家康への糾弾を強める利家と
詰問に来た大名に凄身を利かせ逆襲に転じる家康との間で
一触即発の事態に発展。
家康の居る伏見か。利家の居る大坂か。
で各大名が分裂。
武力衝突を避けることはもはや不可能なのではないか?
との噂が市中を飛び交うのでありました。
そんな中。政権中枢部での孤立の不利を悟った家康は態度を軟化。
2月に入り、
利家と誓書を交換し、和解するのでありました。
その間黒田父子は……。
長政:「予想以上に敵(前田邸に参集した武将)を作り過ぎてしまったため、
さすがの家康も鉾を収めましたね。」
官兵衛:「……利家の命数を図ったのかもしれないがな……。」
長政:「秀頼様への年賀の礼でも相当無理を押しての務めであったように
見受けられましたからね……。」
官兵衛:「利家の寿命が尽きるまでに家康は
今回、前田邸に参集した大名の切り崩しを図ることになるであろう。
その役の一端を担うことを……。」
長政:「既に家康より仰せつかっております。」
官兵衛:「もっとも利家が居なくなれば
表立って家康に喰って掛かることが出来る大名は
居なくなってしまうのでもあるがな。」
長政:「それでは家康の目的。天下統一は果たせなくなりますな。」
官兵衛:「となると切り崩してはならない大名も出て来ることになる。」
長政:「そこでターゲットにされるのが。」
官兵衛:「お前とも仲の悪い。」
長政:「石田三成。」
官兵衛:「とは言え。
彼だけで家康と相対するような無謀なことはしない。
三成も勝てる体勢を整えての反抗となることが予想される。」
長政:「そのキッカケを得るために必要となって来るのが。」
官兵衛:「家康を除く大老衆の扱いかた。
たぶん家康はお前に対し望んでいるのは
大老衆の抱き込みでは無く、
家康には対抗することは出来ないが
いくさの能力に長け、
なおかつ三成のことを善くは思っていない。」
長政:「太閤殿下恩顧の。特に槍働きに功績があった諸大名。」
官兵衛:「今回の大坂・伏見の睨み合いの際、
前田利家方とも言うべき
大坂に集まった武将の中に。」
長政:「亡き殿下が惹きたてたモノも多数存在しておりまする。」
官兵衛:「そんな彼らを大坂に繋ぎ止めている要因が。」
長政:「利家が秀頼様の後見人であったから。」
官兵衛:「であって、もし利家が亡くなったあと。」
長政:「利家方に留まる理由を失ってしまう。」
官兵衛:「となると、亡き殿との同盟関係から主従関係に転化した
大老衆は前田家も含め国元へ帰り。」
長政:「残された恩顧の諸将は入るべき傘を失い、
路頭を彷徨うことになる。」
官兵衛:「もちろん秀頼様
と言う大きな傘は存在しているのではあるが。」
長政:「その大きな傘を秀頼様が使いこなすには
齢がまだ若過ぎる。」
官兵衛:「となると次なる後見人が必要となる。」
長政:「その後見人の役目を担うことになるのが。」
官兵衛:「みんな大好きな。」
長政:「石田三成。」
官兵衛:「切り取り勝手。好き放題にやっとくれ。」
長政:「わかりました。」
官兵衛:「このことにも関連するのではあるが。
家康も少し気に掛けているであろうことがある……。」
長政:「毛利輝元の動向でありますね。」
官兵衛:「今回、家康を除く四人の大老が協働して。
の行動である故、
輝元が前田邸に入ったこと。
このこと自体はある意味自然なことと言えば自然な流れなのではあるが。」
長政:「毛利の重臣である吉川広家殿は
どちらかと言うと家康に相通ずることの多い人物。」
官兵衛:「その広家が輝元を前田邸に入ることを勧めたとは……。」
長政:「天下の騒乱に関わるな。
の故・元就殿の遺命に逆らうことになります。」
官兵衛:「……にも関わらず。今回、輝元は前田側を選択したのには。」
長政:「裏で糸を引く人物が毛利家内外に存在している。」
官兵衛:「それも。」
長政:「広家殿の預かり知らぬところで……。」
官兵衛:「それも。」
長政:「輝元殿の意志とは関係なく……。」
官兵衛:「今回。家康が鉾を収めた理由の1つが
毛利家の動向なのかもしれないな……。」
長政:「ただあそこは一枚岩ではありませんからね……。」
官兵衛:「利家の余命が迫っている由。ぬかりなく……。」
長政:「わかりました。」