生殺与奪の権-その2-
(官兵衛の独りごと)
官兵衛:「……秀頼様を丸裸の状態で
……殿は亡くなられてしまったのだな……。」
「……本来であれば
殿恩顧の……
とりわけ
これまで槍働きで持って貢献して来た
子飼いの諸将に後事を託すべき。
来年総大将の1人として朝鮮に派遣されることになっていた
福島辺りに
その任を託すのも選択肢の1つとしてあるところではあるのだが……。」
「如何せん。殿があのような形で織田家の天下を簒奪した手前……。
……譜代の。
それも軍事に長けたモノに頼むことは出来なかったのであろうな……。」
「……尤も。
頼んだところで
早晩。朝鮮でひと悶着あった三成と揉めることになるのは
目に見えていることなのではあるが……。」
「……にしても。
最も危険視していた
家康に頼らざるを得なくなるとはな……。」
「家康も殿に対し、
幾度となく秀頼様を盛り立てます。
と誓紙を交わされたそうなのではあるが。
……あくまでそれは殿が生きていた。
殿に対しては恩顧の諸将も一枚岩で動いていたから。
であって、
その子飼いの諸将の鎹となっていた
頼るべき殿が亡くなってしまえば……。」
「殿の遺命に反している。
と大老や奉行が声高に叫んだところで
あの家康に勝つことの出来る相手など存在しない。
逆に脅されて追い返されるのが関の山。」
「家康の寿命が尽きるまでは……。
……になるのであろうな……。」
「……尤も。
それでは家康も秀頼様の善き後見人の立場で終わってしまう。」
「……となると成人された秀頼様の裁定により
徳川家は封じ込められることになってしまう。
丹羽や蒲生の時のように。
それは家康も望んではおらぬであろう。
自身の目の黒いうちに
徳川家の地位を盤石なものにしなければならないであろう。
そのためには……。」
「豊臣内部を揺さぶって
恩顧の諸将の間で喧嘩させ、
その騒乱を鎮めるべく
秀頼様を御守りするため家康が立ち上がる。
……と言う図式を作りたい。
豊臣家にとって不幸にも。
家康にとっては幸いにも
二度に渡る唐入りにより、
槍働きしたモノの多くが亡き殿から叱責された挙げ句、
領地を削り取られた一方。
兵站や目付けを担ったモノの領地が増やされている。」
「亡き殿の意向が働いてのことなのではあるが。
その際。亡き殿に事の次第を伝えていた人物が。」
「……石田三成。」
「恩賞に与ることの出来なかった諸将の目から
代官を担う地が増やされた三成がどのように映っているのか……。
……想像するに難くは無い。」
「その三成のことを面白く思ってはいない
恩顧の諸将との縁組を進める一方、
殿の直轄地。奉行が徴税権を握る蔵入地に手を加える
挑発行為に及んでいる
家康が狙っているモノは……。」