隆景の死・太閤の死-その6-
(更に官兵衛の独りごと)
官兵衛:「徳川家康。」
「今でこそ『律儀な内府殿』と称される程、
殿・秀吉を支える立場を貫き通している彼であるが、
かつては殿と実際に戦火を交えた人物。」
「最終的には殿が愚か者の信雄を抱き込むことに成功したから
和睦させることが出来たのではあるが、
武力で持って屈服させることが出来なかったため
殿の母君と妹君を人質として差し出す以外。
家康を臣従させる術が残されては居なかった……。」
「一応、殿・秀吉のもとであれば
皆。同じ方向に事を運ぶことが出来ているため
家康も
その歯車の1つとして活動を続けているのではあるが。」
「かつての桶狭間。
殿と対立する原因となった本能寺同様。
一枚岩となっている要因が崩れた時。
これまで家康はどのような行動に討って出たのか。」
「桶狭間の時は信長様。
本能寺の時は我が殿・秀吉が
西国の重しとして存在していたから
家康もこれまでは
中央(畿内)と距離を置いての活動をして来たのではあるが。
今、殿が亡くなった時。
家康の動きに制約を加えることの出来る勢力が
日本には存在しない。」
「殿の御子息・秀頼様が居るには居るのではあるが
まだ自分で断を下すことの出来る齢には達していない。
某かの助けを借りなければ何をすることも出来ない。」
「その幼君・秀頼様を盛り立てねばならない立場にある殿恩顧の連中は
二度の唐入りにより対立関係を深めてしまっている。」
「その対立関係に乗じ、
秀頼様を御守りするため
の大義名分を得るため、
豊臣家中に家康が楔を打ち込んで来るかも知れない。
かつての信雄に対し、されたことのように……。」
「殿も殿で家康が危険人物である。
心からは従って居ないことは重々承知していたため、
小田原後の論功行賞で家康を関の東へ追いやった上、
上坂への道中全てを殿子飼いの武将で抑え。
元締めとして秀次を配したのではあったが。」
「今思うと秀頼様のために
秀次を排除した殿の賭けは……。」
「そこで殿も家康の力を考慮に入れ、
豊臣家に対する忠誠心に疑いの余地は無い
宇喜多殿あたりを
濃尾に配置転換すれば済んだ問題であったのではあるが……。
如何せん。殿の目は大陸に向いていた。」
「その大陸派兵の要員として宇喜多殿が必要であった……。
加えて西は西で
殿の頭を一生上げることが出来ない毛利家が存在しているため
その毛利の抑えとして宇喜多殿が必要であったこともあり、
大陸からは遠く離れた東国に対する
殿の比重は相対的に低くなってしまっていた……。
結果。
頼ることの出来る人物がほかに居なかったこともあり、
関の東に封じ込めたハズの家康が伏見に居座ることに相成った。
新たな国造りに専念したい家康にとっては迷惑な話であったのかもしれないが。
畿内に身を置くことにより、
朝廷連中と関わる機会が増えたこと。
殿・恩顧の諸将との繋がりを深めることが出来たこと。」
「そして大陸に家康が派兵されなかったことにより、
西国諸将が被った軍役などで
領土を疲弊させること無く、
勢力を温存することが出来た。
数正殿以外、家康家中の人物を引き抜くことも出来ていない……。」
「今殿が斃れ、恩顧の諸将の対立関係が表面化した時、
家康はどのような行動を起こすことになるのであろうか?」
「それでも『律儀な内府殿』として仲を取り持ち、
秀頼様を盛り立てることになるのか?」
「それとも
かつて伊豆に流された源頼朝のように……。」