太閤秀吉の命数-その7-
官兵衛:「我が主君・秀吉の成功体験に
亡き信長様が何故あのような憂き目に遭うことになってしまったのか?
を併せて分析された結果であると思われます。」
「まず畿内が丸裸同然となっていることについて。
でありますが、
今、国内で殿に逆らうモノはおりません。
おりません故。殿の親衛隊なる直属の軍を殿自ら率いる必要もありません。
もし何かあったとしましても
殿・秀吉が健在である限り、
殿の号令一つで畿内の譜代衆が馳せ参じることになっております。
彼らは未だ戦時体制で、各所領の運営にあたっています。
この点につきましては亡き信長様も同じ方法を採用しておりました。
天正10(1582)年当時。信長様が在所される畿内におきまして
信長様に敵対する勢力は無く、
毛利殿など係争地域には、
我が殿など信長様により鍛え上げられた軍団長が境を固めていたため、
信長様直属の兵を持つ必要はありませんでした。」
「ただここに1つだけ誤算がありました。それは
もし信長様の身に危険を及ぼすような事態が発生した場合や、
境を為す軍団長からの要請があった際に派遣出来るよう準備していました
畿内における最強部隊でありました明智光秀が
あろうことか信長様に反旗を翻してしまった。」
「こうなりますと丸裸で良かったハズの信長様はひとたまりもありません。」
「本能寺のような事態に今後。秀吉並びに拾様が陥らぬよう
譜代と言えども畿内に在する武将につきましては
どちらかと言いますと行政に長けたモノを配し、
所領につきましても
たとえ刃向かって来たとしても
動員出来る兵力は少数に収まるよう
小さな範囲に留めていると思われます。」
隆景:「塵も積もれば……。でも集めることが出来るのは太閤殿下のみ……。」
官兵衛:「一方、譜代衆の中でも出世欲の強い。
それも武力を持って。
と言う諸将につきましては
あまりに強大な権限と所領を与えてしまいますと、
主君と成人した後継ぎが居ないことをこれ幸いに
モノ言えぬ幼君を奉って
権力を簒奪するような輩が出て来てはいけませんので。
と20万石前後で各地にばら撒き。
更には隣り合う地域に
その武将とは
また異なる価値観を有する
こちらも譜代の武将を配置することにより
牽制し合う関係を作り出そうとされているように感じられます。」
隆景:「野心が無ければ向上心は産まれぬため、
規模拡大を模索している間は利用価値があるのだが。
目的が達成されたのち。
その野心が使っている側自身を脅かす厄介者となる。
その代表格であるのが……太閤殿下と……。」
官兵衛:「私に野心はありませんよ。殿がどのように思われているかは存じ上げておりませんが。」
「逆に外様対策につきましては
信長様は権力の全てを信長様が掌握し、
譜代・新参問わず。
他の諸将は信長様の要求を達成するために邁進する。
成功すれば更なる恩賞が与えられる一方、
見合わぬ結果を残したものに対しましては……。
殿みたいに落とし処が分かっていれば
まだ救いがあったのでありましたが。
多くの武将が失職の憂き目に遭っている。
これが最初から信長様の家臣であるものでしたら
普通のことでありますので
まだ理解することが出来るのでありますが。
この方法を
新しく信長様の陣営に入った。
それも主君として育って来たかたがたにも
適用しようとしたものでありましたから。」
隆景:「不安に感じ、勝算無き抵抗の道を選んだモノも登場し、
1年近く貴殿が牢に押し込められることにも相成った。と……。」
官兵衛:「殿は殿で
信長様の方針のあおりを受け、三木城では
長い時間と労力を費やさなければならなかった。」
「この経験から
外様に対しては
各大名の本貫地には基本。手を付けず。
更には
最高決定機関である
隆景殿も任に就かれています
大老職や
先年の唐入りの大将に
宇喜多殿は一門衆に近い位置にはありますが
外様の大名を起用するなど
プライドを傷つけぬよう配慮が為されているように思われます。」
「ただ外様対策につきましては
配慮。
と言うよりはむしろ
……遠慮しているようにも思われるのでありますが……。」
隆景:「我が毛利が追いかけて来なかったから。
家康殿に対しては
信雄があれであったから。
であったが
勝ち切ることは出来なかったから。
そこに殿下の弱いところはありますね……。
ただ最高意志決定機関と言っても
少なくとも私には何の権限も与えられてはおらぬがな。」