太閤秀吉の命数-その3-
官兵衛:「そんなすぐにでも隠居させたい。
と隆景殿が考えられている毛利家当主・輝元殿が
輝元殿のお父上である隆元殿。
更には御爺様にあたる元就殿が相次いで亡くなられたにも関わらず。
何事も無かったように輝元殿が毛利家を掌握されたように見ていたのでありますが。
やろうと思えば、三法師形式で隆景殿が毛利家を乗っ取ることも
可能では無かったのではありませんか?」
隆景:「そんなことを平気で言うから
そなたは殿下に警戒されることになるのだぞ。
……確かにその気になればいつでも。
なんなら今でも出来るのではあるのだが。
その証拠に金吾を送り込もうとした時、
弟の息子を輝元の養子にするぐらいの権限を
私は有しているのであるのだからな。」
官兵衛:「それだけの影響力を持っている隆景殿は
何故。あのような暗君を神輿として担ぎ続けているのでありますか?」
隆景:「輝元は一応120万石の当主でありますので
たとえ思っていたとしましても
たとえそれが事実であったとしましても
公の場で
『暗君』呼ばわりすることは控えたほうが良いと思うぞ。」
「私の場合。輝元の父である隆元のほかに
吉川家に養子に入った兄・元春がおりましたので
それこそ三法師に北畠。神戸の三者による争いのような事態に陥る
危険性は無きにしもあらず。
であったのかもしれませんが。」
官兵衛:「実際。そうとはならなかった。
何故。元春殿と隆景殿は自制されたのでありますか?」
隆景:「自制も何もそのような野心を兄・元春。私共々持ち合わせてはおりませぬが。」
「強いて理由を捻りだすのでありましたら
やはり父・元就の戒めがあったからでありましょうな。」
官兵衛:「天下を望まぬよう。でありますか?」
隆景:「それは毛利家全体に対しての戒めであって
兄・元春と私に対する戒めでは無い。」
官兵衛:「ではどのような戒めでありましょうか?」
隆景:「私と兄・元春は、それぞれ小早川。吉川の養子として送り込まれたのありましたが
その入りかたと言うモノがなんて言うのかな。
障害となる邪魔モノの全てを根絶やしにする
と言うものでありましたので
諸手を挙げて迎え入れられたわけでは無かった。と……。
ただでさえ婿養子と言うモノは
家を栄えさせて当たり前。
と言われている立場であるところに
御近所や親戚を亡きモノとした家から送り込まれたこともありまして
評判は必ずしも芳しいモノでは無かった……。
まぁ一所懸命働きましたよ。
小早川の家を大きくするために尽力しましたよ。
兄・元春も同様に吉川の家を大きくしていきましたよ。
その結果。
毛利にとって気になる存在になる立場にまで成長してしまいまして。
父・元就より
『毛利あってのお前らなんだからな。』
ときつくお灸を据えられた刷り込みが
この年齢になっても消えることは無い。」
「それが弟・秀包に甥の秀元が
不本意な形で別家を。
となったとしましても
当人の中では不満はあると思われるが
毛利家のためと
平穏に事が運ぶよう受け入れてくれているのかもしれませんね。」
官兵衛:「故に未だ輝元なる人物を当主として崇め奉らなければならなくなってしまっている。」
隆景:「幸いにして兄・隆元が亡くなった時点で
まだ父・元就が健在であったこと。
更に元就が亡くなった時、輝元は数え19と
一本立ち出来る年齢に達していたこと。
加えて父・元就が亡くなった段階で毛利と敵対する強大な勢力は存在せず。
織田家と本格的に事を構えるまでに6年の猶予があったため、
輝元がアレであったとしましても大丈夫なよう
体制を整える時間があった。
これがカリスマ亡きあとの
織田家と毛利家との違いではありますな。」
官兵衛:「殿はあと何年生きることが出来るのであろうか……。」