第二十一夜:煎餅屋の易者
美しく染め上げられた茜色の空に、夜を手招きするような青ねずみ色の雲が、ぽかりぽかりと浮かんでいる。逢魔ヶ刻である。
私は人影もまばらな小さな駅のホームにいた。
ホームのイスに腰かけていたことを鑑みるに、よほど本数の少ない電車を待っていたのだろう。
太陽を背にして座る私の眼前には、線路を1本はさんで、紫色の闇に覆われつつある小さな空き地と、ひなびた街の風景が広がっていた。
夜の気配に街路灯へ灯りが点ると、目の前の小さな空き地から、正方形の巨大な物体がせり上がってきた。
地上へ出現した黒い影は3階建ての建物だった。真っ暗な建物の1階にだけ黄色い灯りが点る。
そこは中華料理屋だった。店は地下から出てきたばかりだと云うのに(灯りも点ったばかりだと云うのに)カウンターでは、すでに3人の客が食事をしていた。
どう云うわけか、私はそこが担々麺のおいしいことで有名な店であることを知っていた。
なじみのある街とも思えなかったが、これまで、私がこの店の場所を知らなかったのは、店が昼間は地下に隠れていたことと、夜にしか営業していなかったからであったかと、妙に納得した。
中華料理屋の右手を走る細い道路の向かい側に、木造瓦葺きの古めかしい日本家屋が軒を連ねていた。
地下から現れた中華料理屋へ灯りが点ると、それと呼応するかのように、一番手前の日本家屋にだけ灯りが点った。そこは煎餅屋だった。
煎餅屋の扉がやけに大きく見えると思ったら、いつの間にか私は煎餅屋の前に立っていた。
すっかり日の落ちた暗い空から、大粒の雨が降りはじめた。あわてて煎餅屋の軒下へ身を寄せる。
煎餅屋の正面右側はショーウインドウ・カウンターになっていた。店へ入らなくとも、外からカウンター越しに煎餅が買える仕組みである。
そのショーウインドウの前に、背もたれのない丈の低い木のベンチが置かれていた。昔のカンフー映画に出てくるような簡素なモノである。そこへ2人の老人が座っていた。
煎餅屋の廂が長いので雨に濡れる心配はないが少々肌寒かった。
「ニイちゃん、ちょっとこんね」
私から見て手前に座る老人が声をかけてきた。
「なんですか?」
「この店の主人は、手相が見れるんよ。ニイちゃんも見てもらえな」
ショーウインドウの奥から、易者の格好をした無表情な男が現れた。少し背が低く、がっしりとした体躯の男である。
いかにも易者らしい丸い帽子をかぶった男の顔は、ホームベースのような輪郭で、目鼻口が中心にギュッと寄っていた。大友克洋や藤原カムイのマンガに、ワキ役としてでてきそうだ。
そんな煎餅屋の易者が、無言で私へ手をだすよう促した。私は猜疑心をおぼえながら、ショーウインドウのカウンター越しに、そろりと左手をだした。
煎餅屋の易者は、肉厚の太い指で私の手のひらをつまむと、大きな虫メガネをとりだして、手相を覗きこんだ。
ややあって、煎餅屋の易者が云った。
「5月4日に4人の男が現れて、あなたの人生は急激によくなるでしょう」
「……手相を見ただけで、そんなコトが判るんですか?」
得心のいかぬ私が訊ねると、煎餅屋の易者は黙ってうなづいた。
信用できるわけがなかった。
〈おわり〉




