第十夜:山小舎の恐怖!?
生来、蒲柳の質であり、慢性下痢腹と云う宿痾をかかえた胃腸虚弱の我が身にラーメンのかん水や脂はよくないらしい。
そうは云っても人類は麺類。
うどん冷や麦そばパスタちゃんぽん焼きそばラーメンソーメン冷凍食品カップ類インスタントのそれまで分けへだてなく愛情をそそいできた私は、云うまでもなくイケメンのメンクイである。
イケメンの是非はともかくも、知らずマイナー嗜好の私がマスコミの過剰に称揚するラーメン店へ群がる蟻のごとき列にならぶような愚を犯すはずもない。
亡き祖父は云った。
「漢がならんでよいのは配給とガンプラだけじゃ」
今もって言葉の真意は計りかねるが、極限の状況でもなければ大の漢が喰い物屋の軒先にならぶような恥知らずな真似はするなと云う「武士は喰わねど高楊枝」的気風をうけついだ明治漢の粋だったのであろう。
しかし、二番煎じ三番煎じ上等でマスコミ各社が臆面もなく特集を組む麺類は、うどんでもなくそばでもなくパスタでもなくラーメンである。
過剰な報道がラーメンに対する幻想を肥大させ憧憬すら生むわけだが、実際、食してみると存外たいしたことはなく、自ら湯がいた半生麺や○ちゃん正麺の方が幾分マシであったりすることも少なくない。
それでも、美味しいものを食べたあとに女のコが恍惚の表情でもらす、
「シアワセ……」
などと云う境地からは、母の姿を瞼にうかべ、ジェノバからアルゼンチンまでひとり旅した少年マルコのそれに比してもまだ遠い。
とどのつまりは、ラーメンに焦がれながらも満たされたことがない。
食に対する執着がとぼしいと云うこともあろうが、近所のショッピングモールに『山小舎(仮)』と云うラーメン屋があることに気づいたのは、さほど古い話ではない。豚骨ラーメンの専門店である。
私の先祖は九州出身だそうだ。卍巴と云う特異な家紋がなにを指し示しているのかは定かではないが、父方が黒田藩、母方が大村藩の足軽と云う話を小耳にはさんだことがある。
そのため、東京出身であるにもかかわらず、幼い頃から長崎ちゃんぽんや博多ラーメンをすすってきた私にとって、豚骨ラーメンはソウルフードとよぶにふさわしい。
はたして『山小舎(仮)』は我が胃袋の第2の故郷たりうるか否か?
期待に高鳴る胸の鼓動をおさえつつ、豚骨ラーメン『山小舎(仮)』の暖簾をくぐる。
店内に入るなり足が凍りついた。
鼻腔が異常を嗅ぎわけ、首筋にざわわと怖気が走り、脳内のシナプスが活性化する。
店内がクサい。剣道部員の小手がはなつ汗と革のいりまじった悪臭をほうふつとさせる、そのおぞましくもかそけき芳香は噂に聞く豚骨特有のクサみと云うヤツであろうか?
ニンニク納豆くさやドリアンを例に挙げるまでもなく、匂いの強い食品が美味であることは少なくない。
しかし、納豆を偏愛する我が嗅覚が、ダミープラグを拒絶するエヴァ初号機のような敏感さで店の匂いから危険を察知し拒絶しようとした。
あるいは、マニアにとっては萌えする匂いなのかもしれないが、私にとってそれは食欲を刺激するどころか、ちょっとした不快感すら誘発した。
少なくとも、豚骨博多系の『ふくちゃん』『じゃんがら』『一風堂』では、ついぞ嗅いだおぼえのない匂いである。
私は心の片隅に一抹の不安を抱えながら、店主へラーメンを注文した。
はじめて足を踏み入れた店でトッピングしてはならない。まずはオーソドックス・スタイルのラーメンを攻めるのが一見の礼儀であり作法と聞く。
「……高菜チャーシュー煮卵と云った味蕾を過剰に刺激し束の間の幸福感を高める魅惑のトッピングは店の評価を狂わせる。トッピングは味の土台を見極めてからおこなうべきものであり、本来であれば空腹限界を迎えた野良犬のように伏して店主の許しを乞うてでも、具なしの麺とスープだけを食すべきである。あまつさえ箸を割る前から丼にこれでもかとコショウをふりかけるような下衆に麺をすする資格はない」
数年前、神保町裏通りのラーメン屋『伏龍』で出会った男にそういさめられ(別にコショウなぞふりかけてはいなかったのだが)気がつけば、その男の喰い代も支払わされていた。
のちに男はプロの立喰い師だったと知る。寒い冬の夜、岩手の立喰いそば屋で、たかり損ねた客に丼で頭を叩き割られて死んだ。
「ラーメンお待たせしあした!」
威勢だけの不遠慮な声が私の回想を断ちきった。
黄ばんだ丼からもうもうと立ちのぼる湯気がメガネを曇らせ、視界が瞬時にホワイトアウトした。ここはどこだ? 私はだれだ?『山小舎(仮)』で遭難するとはこれ如何に!?
……茶利(=冗談)はさておき、メガネの曇りを拭うと、眼前に現れたラーメンは異様な輝きを見せていた。
麺にときめきスープにきらめく浅薄な光沢は、食欲をそそる調味油(脂)のそれではなく、そそぎそこねた洗剤の泡がういているようにしか見えなかった。
「毒入りキケン食べたら死ぬで」
グリコ森永事件の脅迫文が脳裏をよぎる。
ストレートでコシのない細麺、さほどこってりしていないスープ、ぽそぽその薄いチャーシュー。そのいずれもが予想を遥かに下回る点数をはじきだしていた。
赤点である。落第である。不許可である。フルマラソン完走後に食べたとしても「美味い」と云う言葉はでてこないにちがいない。フルマラソン完走後に食べたいものでもないが。
「食べ物をのこしてはイケマセン」と云う先祖代々うけつがれてきた厳格な教えを遵守し、なんとか完食はしたものの、私がすすったのは儚さであり虚しさであった。
丼の底にたゆたう化学調味料が私を嘲笑っていた。
店を出てわずか30分後。私は猛烈な腹痛と下痢にさいなまれながら、自宅の便座にうずくまり、勝つ見こみもない籠城戦をくりひろげていた。
店の名誉のために誓って云うが食中毒ではない。やはり胃腸虚弱の我が身にラーメンの脂があわなかったのであろう。
とは云え、これほど迅速に体が拒絶反応を起こしたことは未だかつてない。
額ににじむ脂汗は、先刻食したラーメンのそれであろうか? 身悶えしながら自嘲した。
……とどのつまり、腹具合が平穏をとりもどすまで1週間を要した。
〈おわり〉




