踏切の手前で
Twitterでもらったリクエストをもとに書きました!
読んでいただけると幸いです☆
1
通学に通う早朝の電車は自然と同じ顔ぶれになる。
学校に行くのは憂鬱なはずなのに、この通学時間だけは心が弾んでしまう。
同じ時間。同じ車両。同じシート――それはぼくが初めて恋をした瞬間だった。
ぼくの真正面に座る女の子はぼくが通う高校とは違う制服を着ていた。言い過ぎかもしれないが透き通るような白い肌色で、ウェーブのかかったショートヘアで若干茶髪気味だ。きらきらと潤んだ大きな瞳はまるで子犬のようで、身長も言うほど高くなくて守ってあげたくなる。
一言でいうと、可愛い。
高校に入学してから少し経って部活の朝練に参加するようになってからだ。彼女と一緒に通学するようになったのは。初めて出会った時から彼女のことが気になっていた。けれど話し掛けようにも人気の少ない早朝の車内で声を出すのは恥ずかしいし、多くのシートが空いているのにわざわざ彼女の隣に座るなんて絶対にできるわけもない。至る所一緒に通学とは言ったけれど名前も知らないし通っている高校も知らない。もちろん話すら一度もしたことがない。
今日も可愛いなぁ。
彼女はいつもぼくの正面に座ると鞄から花柄のブックカバーで覆った本を取り出して頁を開く。そしてすぐに目を擦りはじめ、口元を本で覆いながら小さく欠伸をしたようだった。
はは、今日はなんだか眠たそうだな。無理もないかな。こんな早い時間帯の電車に乗るのは部活の朝練とかでもあるのかな。もしそうだったらぼくと一緒だな。
彼女を見つめながら考え事をしているといつの間にか彼女はじっとこちらを見ていた。ぼくは急いで顔を車窓の外へ向ける。
やばっ……。思いっきりガン見してた……。たぶんいま顔赤いかも。脈拍もめっちゃ早いし。落ち着くまでこのまま外の景色でも眺めていよ……。
一駅通り過ぎてようやく落ち着いてきた頃。ぼくは平常心を装って彼女の方へ目を向ける。すると、彼女はこちらをまたもじっと見つめていた。
えっ……。まさかずっとこっち見てたの……!? そりゃあ不快にさせたかもしれないけどさ……。
彼女は視線を外すことなく、ゆっくりと口を開く。
えっ……なに……?
口の動きを確認しながら言葉を当てはめていく。
ア・イ・シ・テ・ル。
ドクン。と大きく打つ心臓の鼓動と線路の継ぎ目を通過するタイミングが重なって宙に飛んだ。声にならない声が車内に響き渡るような感覚だった。赤くなっているであろう顔で彼女を見つめ返すと彼女はサッと本で目を隠し、またも口パクで話してくる。
ア・イ・テ・ル。
ん? いったい何のことを言っているんだ?
ぼくがその意味に気付くのはそう遅くはなかった。彼女の動作と言葉の意味を理解した瞬間、ぼくは恥ずかしさのあまり死んでしまいたいと思ってしまった。
あぁ……。終わった……。
2
その後、一度も彼女の顔を見れないまま逃げるようにして電車を降りて学校へ来た。憂鬱な気分では朝練に身が入らず、毎日行っている練習にも関わらずミスを連発して先輩に怒られ、片付け当番でもないのに片付けを命じられた。今日は最悪の一日だ……。
片付けをしていると同級生の矢野が笑いながらやって来た。
「おいおいどうしたんだよ集。めずらしく練習に身が入ってなかったぜ?」
「あぁ……もう心が痛くてな……」
ぼくは矢野に今朝の出来事を話した。慰めて欲しいわけじゃないけれど、誰かに話さないと羞恥心に押し潰されてしまいそうだった。
話を聞いた矢野は腹を抱えながら笑い、涙を流し、完全に馬鹿にしていた。話したのは間違いだったと後悔した。
「わりぃわりぃ。でも考えてもみろって。どうでもいい他校の男子にわざわざ親切に教えてくれる奴がフツ―いるかよ。気付いたところで無視するのが妥当だろ」
「まぁそうかも……」
「脈アリって考えでいいんじゃね。だってその子は集のことがどうでもいい奴とは思わなかったってことだろ?」
「それはちょっとポジティブに捉え過ぎじゃ……」
「今度名前でも聞いてみろよ。意外と答えてくれるかもしれないぞ」
矢野は後片付けを一切手伝うことなく笑いながら部室の方へ行ってしまった。
矢野に話したことを後悔していたが全てではなかった。確かに彼女は『どうでもいいこと』を教えてくれた。見過ごしてしまう方が簡単だったのに。
名前を聞く必要はない。聞く資格もない。明日会ったらお礼くらいしよう――。
3
翌日の朝は寝遅れいていつもの車両に乗ることができなかった。慣れない時間。慣れない車両。慣れないつり革。時間と車両を変えるだけでこうも混むんだな。ぼくは自分に言い聞かせるように心で囁く。
寝遅れたのは決して彼女を避けるためじゃない。本当にお礼をしようと思っていたんだ。ただ、たまたま眠たくって二度寝しちゃっただけだ。服装だってそうだ。制服じゃなくジャージにしたのは朝練にすぐに参加できるようにするためであって、決してバレないようにしているわけじゃない。誓って制服での登校が怖くなったわけじゃない。はぁ……。
ため息は彼女のいない通学時間を長く、遠くさせた。
結局彼女には会えず、学校の最寄り駅に着いた。偶然にも矢野も同じ電車に乗っていたらしく、改札口でばったり会った。
「例の子には会えたか?」
「寝過ごしていつもの電車に乗れなかったから会えなかった……」
「もしかしたらその子、親切心で言ったのに嫌われたとか思ってたりしてな」
「傷口に塩をねじ込んでくるなよ……」
「まぁー明日はちゃんと早起きして会いに行けよ。じゃないと本当に勘違いしちまうぜ」
「わかってるよ」
4
翌日。同じ時間。同じ車両。同じシート――――は先客がいて座ることができなかった。ぼくは席に座らず離れた場所でつり革を持った。昨日は故意的でないにしろ避けた結果となってしまった。そのせいで傷付けたかもしれないと想像するとシートに座って見つめ続ける資格なんて無いと思った。ここからでも彼女の席はまだ空いているのが確認できる。彼女が乗ってくるまであと一駅。今日こそ必ずお礼を言うんだ。
「――でね、昨日は会えなかったんだって。例の男子に」
「あぁーあの開いてたっていう男の子だよねぇ~」
「なんか初めてじゃなかったらしいよ? よく開いてたみたいなんだって。ほっておけなくてようやく言えたってドヤ顔で言ってた」
「あははは。そこドヤ顔になるとこぉ~」
ぼくの前に座る彼女と同じ制服を着た女子生徒が並んで何やら身に覚えのある話をしている。
落ち着け。落ち着くんだ。今日は絶対に開いてない。大丈夫だ。焦る必要なんてない。それに、この話がぼくって決まったわけじゃ――。
「佳弥は私たちの下りる二つ前の高校だって言ってたよ」
「それじゃあもしかすると私たちも見れるかもねぇ~」
「あっ、佳弥だ」
「あれぇ~私たちに気付かないで向こう行っちゃったよ?」
「話すのは向こうに着いてからでもいいでしょ」
そうか。彼女の名前は佳弥って言うんだ。
いつも同じ電車で向かい合って座っているから『どうでもいいこと』でも気にしてくれただけなんだ。なんて優しい子だろう。矢野に言われた通りポジティブに考えていたけれど、たったこれしきのことで凹むなんて――――カッコ悪いなぁ。
「ねぇ、佳弥の様子変じゃない……?」
「えっ?」
えっ。
「ほら、なんか泣きそうな顔してるっ……」
「ここからじゃよく見えないよぉ~。何かあったの?」
「もしかしたら近くの人に何かされてるのかも……」
「それってもしかして痴漢!?」
周囲の声が耳に入ってくる。
見ろよあれ。
ちょっとこのままじゃ危なくない?
可哀想に。
でも下手に刺激しない方がいいんじゃない?
運がなかったかもね。
代わってあげたいけど……ねぇ。
ぼくの位置からじゃちょうど人と重なって見えない。何が起こっているんだ……。
「やっぱり変だよ。あたしちょっと行ってくるから少しまって――――」
女子生徒が動き出すよりも早くぼくは彼女の方へ向かっていた。
見えてるなら助けてやれよ。自分には関係ないことだからって、『どうでもいいこと』だからって無視するなよ。彼女なら絶対にそんな真似したりしない。彼女は情けないくらい『どうでもいいこと』なのにほっておけないからって理由だけで助けてくれたんだ。
どいつだ。どこにいる。どいつが彼女を泣かせてるんだっ!!
人を掻き分けていくと彼女がいつものシートに座っていた。やはり何やら怯えている。でも隣に座っているのは人のよさそうなおばさんだ。それじゃあ一体誰が!?
彼女っはぼくを見つけるなり動転しながらも口パクで話してきた。
取り間違いは許されない。一度で正確に読み取るんだ!
タ・ス…………。
タ・ス・ケ・テ。
助けて!!
怯えている原因を知ったぼくは彼女の方を向いた状態で前に立ち塞がった。すると想像した通り背中に重く中年の男性が圧し掛かって来た。男性からは微かに寝息が聞こえている。全体重をぼくに預ける男性に起きるよう声を掛けながら揺すると反応した。その瞬間、生温かい液体が首に垂れるのを感じた。
彼女にヨダレがかかるよりはマシか……。
ぼくは悪寒を感じながらも無理やり理由を付けて我慢することにした。
5
「さっきは助けてくれてありがとう。私よく動じないさすぎって言われるの。でも今日のはほんとうに焦ったよ。あのまま倒れてきたらどうしようって……」
「ぼくもなかなか衝撃的だったかも……。立った状態で寝ていたのもそうだけどとくにヨダレがね……」
男性が起きた後、次の停車駅でぼくたちは一旦下りた。男性は申し訳なさそうに何度も何度も謝り、ぼくたちは「気にしないでください」と一言掛けたが「お詫びに」と言って遊園地のタダ券を2枚くれた。そして男性は去り際にもう一度頭を下げると改札口の方へ歩いて行った。
「きみにあげるよ。一枚足して友達と行くといいよ」
「そんな、もらえないよ!」
話している間に電車の発車メロディーがホームに響き渡る。
「ぼくはここで下りる予定だったからいいんだけど、そっちはそろそろ乗らないと学校送れちゃうよ」
「そうだね。あのね、その遊園地のチケットカップル限定なの」
「えっ!? あっ、ほんとだ書いてある!」
「だからね、友達とはいけないの」
「…………。それじゃあさ、その、カップルのフリして一緒に行かない……?」
「えっ?」
「ダメ……かな。カップルのフリした友達からじゃ」
話す機会を得た。だから一か八か思い切って言ってみることにした。どちらに転ぼうとぼくは構わない。今日ほど恵まれた日がまた巡って来るとは限らないから。
「うん。こちらこそよろしくお願いします」
向かい側のシートに座る彼女を見飽きることはこれからもないだろう。でも、できればいつか隣に座れたらと思う。口パクじゃなくひそひそと耳元で話し合いたい。そんな淡い関係を夢見た。
「それじゃあ私は行くね」
「ああ。じゃあ日取りはまた――」
ぼくが言い切る前に電車の扉は閉まってしまった。けれどぼくたちには声がなくても伝えられる方法がある。
マ・タ・ア・シ・タ。
笑顔で手を振る彼女にぼくも振り返し、ホームを後にした。
改札口を出て踏切の手前で空に向かってもらったチケットをかざす。
よし、朝練がんばろう。
読んでいただきありがとうございました。
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