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09・上杉の憂鬱

井伊直虎・・・って無理ないか?

駿河今川氏は室町公方の代理として、関東の監視役を担っている。その最たる例が上杉禅秀の乱で発揮された。


 応永23年(1416年)、前の関東管領・上杉氏憲(禅秀)が鎌倉公方・足利持氏に対し叛乱を起こした。詳細は割愛するが、この乱によって関東は麻の如く乱れる。武田、千葉、小田、三浦などの武蔵、相模を中心に有力国人衆が禅秀に味方した。


 この一報を京・室町に伝えたのが、今川範政……、氏親の曽祖父に当たる人物であった。報せは当初、持氏が討死したと誤報が混じっており、幕府内は一時騒然となる。


将軍・義持は在京の有力守護大名と合議し、持氏救援の兵を送る事にした。この幕命を受けたのが、今川範政を始め、小笠原氏、佐竹氏、宇都宮氏などの関東勢力である。


 この上杉禅秀の乱は結果として禅秀側の敗北で終わり、犬懸上杉氏の滅亡を招く。禅秀側に与した甲斐・武田信満は追討軍に追い立てられ、領国の甲斐で自害した。


 その余波で山内、犬懸、宅間、扇谷に分かれていた上杉氏にも影を落とす。


 享徳3年(1454年)、山内上杉憲忠が鎌倉公方・足利成氏に暗殺されてしまう。この暴挙に上杉一門が決起、しかし、翌年、分倍河原の戦いでしっぺ返しを喰らい、扇谷上杉顕房が討たれる。


 室町幕府は足利成氏討伐を決め、その任に今川範忠を派遣する。鎌倉に攻め込み、成氏を下総に追い遣る結果、古河公方の誕生に繋がってしまう。利根川を境に、東を古河公方、西を関東管領の対立軸が生じた。


 これら一連の戦いを享徳の乱と言うが、関東で騒乱が起きる度に、今川氏が派遣される。曽祖父・範政、祖父・範忠は否応なしに関東公方と関東管領の争いに関わされた。


 箱根の向こうが領国なのに、関東の重大事に必ず顔を出す。今川という存在は、無視したくともある種の人間には無視出来ない、妙な存在感に溢れていた。


 遠江侵攻、この一大事に素早く動いた男が一人存在した。名を、太田資長……道灌と号する、扇谷上杉氏の家宰を務めている、稀代の名将である。


「……珍しい話しよ」


 資長は報告を受けて一人頷いた。関東の仲裁役を任じている、あの今川がよりによって他国守護国に殴り込むとは。


「龍王丸……否、氏親殿と名乗りを上げた御仁は、横地、勝間田の衆に手を出さなんだな?」


 資長の眼光に射すくめられ、報告を上げた者は睾丸が縮こまる思いをした。


「は、はい、駿河へ連れ去ったとは聞きましたが、物騒な話しにはならなかったと」

「遠江中部の原氏とは、一戦して鎧袖一触と聞くが、それは真か?」

「そのようで、商人からの伝聞も混じっておりますが。もっとも兵力が十倍近い差があるとかどうとか。それだけの戦力があれば、確かに童でも勝てましょうな」


 呑気な意見に資長は頭痛を覚える。我が家の郎党には、こんなタワケしかおらんのかと。


(敵より多勢を揃えるのは、戦の常道であろうが、バカ者が……。漢の高祖が項籍に勝てたのも、兵を途切れさせないで戦に臨んだからではないか)


 資長の理想を人物で表せば、漢の簫荷である。韓信は勝てる策を授けたが、簫荷は負けない状況を作り出して、漢建国に尽力した。


「今川氏親……、筋目は正しいが、まさか6歳の童が差配して勝てるものだろうか?」


 今川歴代の当主は決して猛将ではないが、手堅い戦をしてくる。禅秀の乱、現在進行形の享徳の乱、どちらも今川によって事態は変遷した。幕命と言えば聞こえが良いが、実態は丸投げとも言える。寄り合い所帯の豪族連合を取り纏めるには、相応の貫目か筋目が要求される。


(戦上手であろうと正成公では、他人が従わぬ。将軍家連枝の今川なら、大抵の家格を凌ぐ故、確かに冠としては最適だろうて)


 能力では関東有数と自負している資長にしても。では、万の軍勢が揃った場合に上手く音頭を取れるかと問われれば、しばし沈黙を余儀なくされる。


 足利尊氏が南朝方に最終的に勝てた要因は、南朝の将で尊氏に比肩しうる者がいなかったからである。新田義貞の名を思い浮かべるかもしれない。しかし、当時の認識としては、得宗一門の娘婿・尊氏と、無位無官の新田小次郎では貫目に差がありすぎた。楠正成に至っては語るまでもない。


「戦は名門だからで勝てるモノではないが……。時に名が無いと人が付いて来ない場合もある、か」


 資長は扇谷上杉氏の家宰で、その行動原理は主家の利益を基準に考えられている。その基準からすると、氏親の今川氏襲名を素直に喜ぶわけにもいかない。


「御屋形様と談合しにいく……」


 主君・扇谷定正と対応策を協議すべく、資長は腰を上げた。


 この氏親の報に直接の当事者でもないのに動きを見せたのは、彼、資長が最初であったが。当事者はもちろん過敏に反応した。


「あの小僧、血迷ったか!」


 報せを受けるまで上機嫌で酒杯を重ねていた、小鹿範満は激昂して手にしていた杯を床板に叩き付けた。酌をしていた女房衆が悲鳴を上げて後退る。


「落ち着かれよ、範満殿。怒ったところで変わりはせぬぞ」

「……お恥ずかしい、つい、苛立ってしまい」

「ホホッ、亡き父御に似ておるな」


 範満の外祖父である上杉政憲はそう言って、新しい酒杯に手酌で注ぎ、範満に手渡した。先代・義忠の葬儀参列要請のために範満は派遣された。


 彼の脳内では、政憲とその後ろに控える関東管領の威光を背に、今川当主の座を我が物と考えていた。事の次第は政憲たちも重々存じている。


「しかし……あの小僧は外祖父様に烏帽子親云々まで語って、それがしをこちらに向かわせたのですぞ!」


 今川の家督が決まるにはそれなりに時間が掛かると思い込んでいた範満としては予想外の出来事であった。これでは氏親が弔い合戦を成し遂げ、自分は事の次第から逃げ出したように見られてしまう。


「そう喚かれるな、女共が怯えてしまう。落ち着いて考えられよ、そなたも今川の本流。相手は6つの童なら、心有る家臣たちが素直に従うと思うか?」

「それは……そうですね」

「ただ……軍を差配出来る器量を見せた以上は、家督を取り上げる様な真似は難しい」

「…………」


 経験の無さを論って家中の支持を得て、今川の名跡を継ごうと考えていたのに……。元服前の童、範満が上回れる点があっさりと消え失せてしまった。分家の範満を担いでわざわざ乱を起こすのを躊躇う者も今回の事で増えたと思う。


「殿、御客人がお見えで」

「誰ぞ?」


 罷り越した者が政憲に耳打ちすると、口を半開きにして驚きを表に出した。


「ほうっ、太田の小僧が……通せ」


 扇谷上杉氏の家宰だが、政憲から見れば家臣筋でしかない。資長の父・資清ならともかく、その倅は格下と内心見下していた本音が思わず漏れ出でた。


西郷どん・・・西田敏行が最高だと思う。

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