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08・戦雲は東から

 中央の部隊を少な目に配置し、それを擬態で敗走させる。ここまでが釣り。突出してきた敵部隊を、左右に配置した伏兵で包囲殲滅出来れば、釣り野伏せの完成であった。


 馬防柵や塹壕は、敵の足を鈍らせる役割と、弓の射程に留める効果を現し、遠江の国人衆は壊滅的な打撃を受けた。逃げ惑う彼らに、氏親本隊が一斉に押し出して、この八坂の戦いは四半刻ほどで決着が付いた。


「予想より早く終わりましたな、叔父上」

「……う、うむ、そ、そうだな」


 盛時にしても大規模な戦は初めてだが、それでも甥よりは経験豊富と自負していただけに、目の前の戦果に瞠目するしかない。


(子守どころの話しではござらんぞ、姉上……)


 姉・北川殿からくれぐれも氏親を頼むと、手を合わせて拝まれたのは一体何だったのかと思わず自問自答する。盛時のした事は、本陣で氏親の話し相手を務めた事くらいであった。


「手の者を遠州内に放ち、この戦果を喧伝してくだされ。揉み手をして擦り寄ってきた輩は、相手次第で滅ぼしましょう」

「氏親殿、我が弟の貞基はどうなるだろうか?」


 瀬名弌秀としては、存分な働きをしたつもりだし、当初から氏親を支援したが、弟は刃向かう様子を見せている。下手を打つと堀越の家が絶えかねない。その言葉を受け、しばし逡巡したが不意に顔を上げると一言放った。


「もし、弌秀殿が口説き落とし、私に従うと馬前に一族郎党が打ち揃うなら、家は安堵しましょう」

「ま、まことか?」

「嘘は申しません。分かれたとはいえ、今川の血脈ですから。力を貸していただけるなら、相応の待遇で家中の仕置きを任せる所存ですが」

「わ、分かり申した。すぐに説得し連れてくるので、今しばらくの猶予を賜りたい」

「御存分に……。ただ、掛川の攻略まで待ちはしませんので、その点は御容赦願いましょうか」

「忝いっ!!」


 最後の詰めが残っているが、原氏の本隊を殲滅した以上、さほどの激戦にはならない。氏親の『掛川攻略まで猶予を与えよう』という言葉の裏を察し、瀬名弌秀は馬に飛び乗り、僅かな供回りと共に弟・貞基へと一路駆け抜けていく。


「来ますかな?」

「来たら、手を惜し抱いて感謝の念でも。来ないのなら、今後は存在の一切合切を無視して」

「貞基殿とは、どのような御仁で」


 6つの童に聞くのもどうかだが、他国者の盛時にはその為人が分かるはずもない。かといって、そこらの将に聞くのも氏親の叔父という立場が邪魔をしてしまう。勢い、若き当主に縋り付くしかなかった。


「旧き良き鎌倉御家人と思ってください。佐野源衛門のようだと、亡き父は評していました」

「……褒めているのか、貶しているのか。『鉢の木』とは……」


 謡曲『鉢の木』では、身分を隠して諸国流浪の前執権・北條時頼が上野国・佐野の地で難儀した。雪のため一夜の宿を乞うた相手が、佐野源衛門常世。持てなすにも所領を押領され貧苦で喘いでいた源衛門は秘蔵の盆栽、『梅』『松』『桜』を薪にして暖を取ったとされる。


 その後、いざ鎌倉の号令に言葉通り駆け付けた佐野源衛門に、武士の心意気を称賛し、加賀国・梅田庄を始めとする盆栽と縁のある地所を新たに給付した。


「堀越の名跡を弌秀殿ではなく、弟の貞基殿に先代・貞俊殿が継がせたのも、そこら辺が関わってくるのではないでしょうか?」

「保守的な思考なら、確かに父親のウケはよろしいな」

「兄弟の名前からも、弟の方が厚遇されているのが一目瞭然でしょう。弌秀殿には、とても言えない話しですけど」


 真っ当な武家なら必ず通字というものが存在する。足利の『義』、平氏の『盛』、今川の『氏』のように。武将の出自も名前の通字に着目すれば大体の見当はつく。伊勢『盛』時もそうで、伊勢平氏の流れを汲むからこその名乗りであった。


 掛川から三里の地点で野営する。即席の塹壕と防御柵で不意を突かれないように用心した。夜襲でも来るかと妙な興奮を覚えたが、氏親の願いも虚しく誰一人こちらに来る気配はない。


 さて攻め落とすかと本腰を入れた矢先に輿が今川陣営に到着した。中からは、原満胤の室・砂の方と幼少の娘、それに男児の赤子が乳母に抱かれて罷り越した。


「満胤の妻子でございます。今川の御屋形様に縋ろうと、恥を忍んで罷り出でました」

「今川氏親である。亡き父の無念を晴らそうと出張って参った。満胤殿の妻女であるか」

「はい、砂と呼ばれております。この娘は夕で、赤子は虎王丸と」

「ふむ、虎王丸か……私は龍王丸であったな。なるほど、偶然とはいえ面白い」


 さてどうするか。頼朝公の前例もある、情けを掛けて将来の禍根にでもなったら洒落にならない。だが、この場には遠江の国人衆も揃っていた。あまりに苛烈な処遇では、家の名前と氏親自身の信用すら揺るぎかねない。


「……砂の方はいくつになられる? 女性に齢を尋ねるのは無粋だと知って問い質すが」

「当年、19歳になりまする。娘の夕は4歳で、虎王丸は1歳……どうか、どうか……」


 遠江国人の中には顔見知りもいるのか、砂の方に目を向けられると露骨に顔を逸らした。敵味方に分かれるのは各々の判断だから、そこに責められる理由は無かったが、遺族の取り扱いとなると別の問題になる。将来の禍根、慈悲を掛けた結果、平家は壇ノ浦で滅ぶ事と相成った。特に男児の取り扱いは諸刃の剣に等しい。


「虎王丸殿が6つになったら、寺に入れると約束するなら、助命いたすが」

「……よろしいのでしょうか?」

「砂の方と夕殿は、私の手元に置き監視します」

「ありがとうございます」


 仕置きとしては真っ当で、一同の中にホッとした空気が流れる。何も餓狼の集団ではない、血を見ずに済むのならその方がいいに決まっていた。


「掛川の居館を根城に遠江を完全制圧する。すべての国人衆に触れを出せ! もし、参上しない者がおるなら、悉く滅せよ、今川家当主・今川氏親の名に於いて厳命する!!」

「「「ははっ~~~」」」


 こうして遠江中央を掌握した氏親は、三河寄りの浜名氏や信濃寄りの奥山氏、天野氏などから誓詞の約定を受け、遠江を手中に収めた。


「掛川の地を、新たな拠点とする。駿河今川館近在は無論、駿河を所領とする一党悉く、掛川に居を構えよ」


 冷静になる前に立て続けに命令書を発給した。土地と有力家臣を引き離し、すべての所得を一端、惣領家に入れた後に家臣たちに分け与える。地方知行から蔵米知行へと氏親は舵を切った。


 小身の者から徐々に地方召上を行い、瀬名や関口のような有力親族と一部国人衆を除いて、蔵米知行制への移行が完了するには、十年の歳月を要した。


 まず遠江掛川と駿河府中の街道を整備し、領内の検地、所領の割り振りなどを積極的に行っていく。揉める事も多々あったが、硬軟入り混ぜて氏親の考えを浸透させていった。


 軍制も改め、直轄軍の装備を統一した。この現代なら当たり前の事すら、かなり斬新な出来事で。勝手気ままな格好で、中には乞食紛いの足軽すら存在した戦場の風景に一石を投じる事となる。


 画して、遠江侵攻から、落ち着くまで半年も要したが、これを長いと見るか短いと感じるかは、人それぞれで。世の中には長いと感じ、痺れを切らした御仁も確かに存在した。


「御屋形様、犬懸政憲様から書が届いております」


 形骸化した関東の権威から、氏親を悩ます新たな火種が届くのであった。


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