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06・氏親の望み

 東海道、言わずと知れた関東から関西へと至る、物流の大動脈で、その重要性は日本経済の死生すら左右した。現在、日本政府が恐れている最悪の事態は、富士山の噴火によって、東海道新幹線を筆頭に、東名高速道路や国道が寸断されてしまう事である。


 古代律令制時に五畿七道と区分され、延々と整備され続けたが、この時点での東海道は、人が二人も並べば十分程度の幅しかない細く荒れた街道であった。


 大井川から掛川の地まで、左右を丘陵と山に挟まれている。その出口ともいうべき八坂の地で、駿河今川勢と遠江・原氏を主体とした国人衆が指呼の距離で対峙する。


「氏親殿、敵勢は約1,500といったところか」

「井伊、浜名の旗指物は見えましょうか?」


 原氏に与する衆が少なければ勝ちの算段が上がる。氏親は彼らが連携を取る前に、電光石火で遠江に進軍してきた。


「いや……小豪族がチラホラいるようだが、それほどの有力処はおらんようじゃ」

「叔父上なら、この差配どのように捌きまするか?」


 初陣で万の軍勢を率いているが、氏親にはそんな経験は皆無である。叔父・盛時ならどう捌くか興味があった。問われた方は幾分、困った顔になり、しばし考えた上で首を左右に振った。


「それがしも万の差配をした記憶はござらんよ。むしろ、ここまで軍勢を保ってこられた氏親殿に感嘆するしかない。これはワシの素直な気持ちじゃ」

「この日の本で万の勢を差配したのは、等持院(足利尊氏)様か奥州藤原くらいではないかな?」

「……瀬名の叔父御」


 氏親と盛時が幔幕の中で話していると、幕を潜って男が一人入ってきた。一ノ谷の兜を、今川の先々代から下賜された瀬名弌秀である。


 遠江今川氏の出だが、室町将軍・義教の『天下一名字』に従い、父・今川貞俊の代で堀越を称する。その長男が弌秀で駿河国庵原郡瀬名村に移り住み、瀬名を名字にした人物であった。


 父・貞俊は数年前に討ち死に、先代・義忠と轡を並べて戦った剛の者で。氏親としても頼りにしている一族であった。


「氏親殿、悪い報せがある……」


 床机にドカッと座り込んだ弌秀には疲労の色が隠しきれない。もっともその内容を氏親は言われる前に察知したが。


「貞基殿が敵に回りましたか?」

「……相手にこそ回らないが、合力するのを断ってきた」


 堀越の名跡を継いだのは次男の貞基で、長男は瀬名を名乗った。兄が別家を立てるのは、足利、新田以来の伝統なのか、割と見受けられた。


「元々、貞基はうちの親父殿が先代とつるんで遠江に乗り込んでくるのを苦々しく思っておった。先代に怨みこそないが、積極的に味方しようとも思わんだろうな」

「漁夫の利でもせしめる気なら、それはそれで面白うござるが」

「いや、そこまでの気概はなかろう。あれはバカではないが……妙に意固地になる癖がある、昔から。長々と説けば分かるが、その分かるまでが時間が掛かってしまう」


 風流人の側面も持つ兄に比し、弟は昔ながらの旧き良き御家人から一歩も抜け出していない。惣領家の御曹司が出張って来たのに、挨拶にも来ないのは。遠江の正当守護が斯波氏だと認めているからであった。別段、斯波氏に好意があるわけでも恩義を受けたわけでもない。ただただ、愚直に公方様が取り決めなされたからと、金科玉条のように固執していた。


「弌秀殿、それがしは事と次第によれば、居館を遠江に移そうかと考えております」

「なっ!? 甲斐や相模が蠢動せぬか、それは」


 駿河国主があっさりと他国に拠点を移す。土地に縛られ、その土地の名を名乗る事によって武士は武士であり続けただけに氏親の言葉は、弌秀だけでなく盛時ですら驚きを見せた。


「駿遠参を三ヶ国を支配するなら、遠江の掛川辺りが拠点として最良ではないでしょうか?」

「それはそうかもしれんが……煩型が黙っておらんぞ、それは」


 一所懸命、この概念に自縄自縛されていたのが、武士という種族であり、無い者は流浪の民と目される。仮に新しき地を拝領しても一族の誰かしらを派遣して、当人は動かないのは珍しくなかった。


 相模国足柄上郡大森郷から派生した大友氏は、豊前、豊後の守護職拝領後、彼の地を後にしたが、これは例外で。中国地方の毛利氏、吉川氏、小早川氏などは別家を立てて、安芸、備後の地へと赴き、やがて本家を凌ぐ勢力を築き上げた。


「叔父上、弌秀殿……駿河12万石、遠江20万石、三河23万石で見積もれば、この三国でおよそ55万石と大層な分限ではあります、が……」

「が……?」

「尾張一国で45万石くらいは見込めます。何が言いたいかと言えば、もし、尾張の地に強大な勢力が台頭したら我らの伸び代が皆無になるわけです」

「それは杞憂ではないか。武衛殿の守護任国だが把握しきれているとは到底言えぬぞ」


 弌秀は武衛家と尊称される斯波氏と同格の今川の支流である。同じ目線で語ってもそれほど奇異ではない。


「誰でも構いません、彼の地を手に入れられるのが迷惑なのです。尾張の北には美濃43万石、南西には伊勢45万石が拡がっている。三国合算で130万石は優に超えてしまう。勝てると思いますか、濃尾勢130万石に対し、駿遠参55万石で?」

「…………」


 勝てるも何も勝負にならない。石高はそのまま戦闘員の動員力に直結している。まだ半農半武の時勢、その分、米の取れ高が占める割合は決して低くなかった。


「尾張を狙っておられるのか?」

「100万石……まず、この程度の分限がなければ、この先、天下がどうのと語る資格はないでしょうね」


 盛時の質問に直接答えなかったが、その表情は明確に物語っている。小鹿範満など氏親の視界には入っていない。狭い地域の家督争いに何の価値があるのかと。


「その試金石が遠江侵攻です。弌秀殿、もし瀬名の名を高め一国の国主を目指すつもりなら……励みなされ」


 その煽るような物言いは、若年の御曹司が言うには諧謔とある種の嫌味が混じっていたが、弌秀の方にはそれに反駁する気力すらなく、氏親の毒気に当てられ消化不良の表情を浮かべている。


 勝てるとはさすがに思わないが、原満胤としては無条件降伏は出来ない。一戦も交えずに下るのは矜持云々は別にして生殺与奪権を相手に委ねる事になる。それも白紙委任状の状態で。


「矢ぁ放てぇえええっ!!」


 朝靄が晴れる頃合いに、遠江勢から今川の陣へと矢が放たれる。弓取りという言葉があるが、槍取り、もしくは刀取りという言葉は無い。弓矢の道と武士の心得を表すように、実戦に於ける最大最強の戦力は飛び道具の弓矢に帰結する。


 遠江1500余から300の矢が放たれる。員数から考えれば十分だが、万を相手にするには心許ない数。大楯を構え、馬防柵と塹壕に身を潜めた今川勢にはさほどの被害を与えられない。


 この時点で、満胤は不審気な顔になる。何故、弓の返礼がないのか、と。互いに弓矢を応酬してからが合戦の作法で、これを矢合わせと呼んでいた。なのに今川の陣地からは一本も矢が飛んで来ない。


「妙じゃな、何故、返礼もない」

「矢が尽きたとも思えませんが、如何にもおかしいですな」

「あのガキ、何を企んでおるのか」


 主導権を初陣の小僧に握られる。武将としてこれほど頭にクル事もない。数で勝りながら、合戦の作法も知らぬのかと、嘲笑う配下の将を余所に、満胤の心中に言い様のない不安が渦巻き始めた。


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