04・遠江侵攻
時代区分的に貫高制ですが、理解し易いように石高制で、各勢力を表していきます。
駿河12万石、おおよそだがそこから導き出される動員兵力は4,000から5,000前後と考えられる。遠江の取れ高は20万石くらいとされていた。領域だけなら駿河の方が広いし、商業圏でも利があるのだが、富士川の急峻や富士山の存在から、意外と耕作面積に不自由している。
陣触れを出した氏親は、根刮ぎ兵を動員して遠江の国境にゆるゆると赴いた。順次、着到する国人衆などを迎えつつ物見の兵を積極的に出し、不意を突かれないよう細心の注意だけは怠らない。
「入野様、兵300にて着陣っ!」
「承知した、一休みさせてから面談しよう。その旨、当人に申し渡せ」
「はっ!」
強引な陣触れにも拘わらず、続々と氏親の元に馳せ参じてきた。盛時も予想以上の集まりに驚きを素直に表している。
「この短期間によくもまあ……。7,000に届くのではござらぬか、氏親殿?」
「叔父上の助力もあっての事、感謝しております」
「いやいや、しかし思い切った真似をなされた。まさか、今川の家宝を売り払ってまでして戦費を購うとは」
「母上には怨まれたかもしれませぬが」
「姉上への取りなしは、それがしも後程助太刀するから、安心なされ……。まっ、扇子で叩かれるくらいは、覚悟された方がよろしいかと」
「……お尻を叩かれるよりはマシでは」
「違いない、確かに」
清和源氏義家流、足利将軍家連枝の今川ともなれば、蔵をひっくり返せば謂われのある品が一つや二つ出揃う。それらの品々を質入れ、もしくは売り飛ばして銭を作ると、足軽傭兵を雇いまくった。金銭でのみ繋がった脆い主従だが数を揃えるのは戦の常道とばかりに斟酌しない。
篝火の焚かれる中、集合する諸将、国人に氏親が労いの言葉を掛け、父・義忠の思い出話しなどを持ち出し、それぞれの奮起を促す。母親の着物どころか嫁入り家具まで売り飛ばした倅には、ある意味後がなかった。
明朝、朝靄の立ち込める中、駿河、遠江両国を隔てる大井川を渡河した。『箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川』、後の俗謡に謳われる天然の防壁には橋梁が掛けられた事がない。大井川、富士川、天竜川などに代表される急流が東海道を縦に貫いている。この河川の寸断こそ東海地方の風習や民の気性を分け隔てるものであった。
「遠江東部の横地、勝間田の本城を落とす! 手向かう者以外は捨て置け、無用な殺生は禁ずる!」
大義名分として父親の弔い合戦と標榜している以上、相手側を血祭りにしてはそれも失せてしまう。氏親にしても向こうの将は軒並み討った現状なら、その遺族にまで手を出す気は更々なかった。
「城門を破壊せよ! 御曹司に働きをお見せするのだっ!」
大音声の指揮が響き、丸太を抱え込んだ兵卒たちが、勝間田氏の居館に群がっていく。時代的に土塁に板塀、空堀が精々で、数が勝っていれば落とすのはそれほど難しくない。きしみを上げて門扉が破壊され雪崩れ込んだ今川勢を押し止める余力は彼らに無かった。小一時間の攻防で落城した勝間田氏は、先代当主の弟を代表に助命嘆願を申し出てきた。後ろには遺児たちが控え、中には母親に抱かれた赤子まで揃っている。
「なにとぞ幼子たちだけでも助命願います」
「……横地の者共に降伏勧告を薦めるのであれば、その儀、叶えよう」
一族が滅びる瀬戸際、勝間田氏の代表者が氏親の手勢を護衛にして、横地氏の籠もる居館に赴いた。使者として、今川側から伊勢盛時が名代で参席している。
「も、もう落ちたのか?」
「残念ながら……我攻めにて半刻も持たずに」
愕然と惚ける相手に盛時から、居館の明け渡しさえ呑むなら、一族の命は安堵する旨を伝える。
「その約定、信用出来るのか。そもそも我らは義忠殿を乱戦の中、討っておるが」
「主・氏親が申すには、こちらもそれ相応の覚悟があって乗り込んだ結果。残念、無念とは思うし、人並みの悔しさは湧き出てくるが、横地、勝間田両氏に対する遺恨は毛筋ほども無い、と」
「う、うむぅ……齢6つの童とは思えぬほど達観しておる。ワシならいきり立って皆殺しにするやもしれんのに」
「遠江守護でもある今川の御大将が、その地に住まう者を徒に損なう真似はしませんぞ」
「で、ワシらの扱いはどうなる?」
「駿河にて謹慎処分に。しかし、ほとぼりが冷めたら各々の能力や資質を勘案して、相応の待遇にて今川に迎えたいと申しております」
「……仇敵の我らを直臣にするつもりか!? 失礼ながら、龍王丸……いや、氏親殿とは一体」
「父御の死で一皮剥けたのか……それとも、あれが生来の姿なのかは不明ですが。賭けるに値する人物とは思います」
こうして戦らしい戦の前に数で囲んだ氏親勢は、遠江東部を一昼夜で占領した。勝間田氏の居館を根城に、氏親は旗幟を明らかにしない遠江の国人衆へ、誘いの手紙を送りつつ、中部地域の情勢を『草』を放って詳細に調査する。
「井伊の一族が、こちらに合力すると繋ぎが参りました。浜名一族は本領安堵を条件に、どちらにも与さないと」
「距離の問題もある。三河からのちょっかいを考えれば、浜名氏の対応は妥当かもしれんな」
「次は原氏、もしくは狩野氏ですかな」
「叔父上、堀越からは連絡ござらんか?」
「いや、未だにこれといったものは」
「遠江今川の系譜なのに困ったものだ……。勝った方に揉み手して近寄る算段でもしておろうな」
各領国には核となる家、一族が存在する。律令制時代の府中であった焼津周辺を領する狩野氏や、守護からも一目置かれていた原氏などはその最たるもので。氏親からすれば、在国していない斯波氏や甲斐氏より厄介で繊細な対応を必要とされていた。
「して、どちらに矛を向ける存念か?」
盛時としては、相手側が合流する前に叩きたい。あまり時間を掛ければ、室町公方や守護斯波氏の横槍も有り得る。彼の立場としては、幕府の意向に沿った仲裁役なのだが、それは建前で本音では幕府に見切りをつけ、この地で独立を目論んでいた。一国はともかく、一城の主くらいの器量があると己を評価している。
「……堀越を先に」
「ぬっ!? 遠縁ではあるが同族ではござらぬか!」
「だからこそ効果があると思いませぬか、叔父上? あの駿河今川が遠江今川を容赦なく攻めたと知れば、他の国人衆も血の気が引くと。同族の瀬名はこちらに付いておる、何なら名跡を継がせても構わない」
「それは道理だが……いや、しかし……」
奥羽ほどではないが血縁のしがらみはどこの国でも多かれ少なかれ存在する。同じ祖を持つ一族を討つのは、心理的抵抗が過分にあった。従兄弟、又従兄弟くらいだと父母両方の系統で繋がっていても珍しくない。
「仮に原氏、狩野氏を討伐し終わったとしましょうか。その場合、堀越氏の立場が高まり、駿河今川の威光を背に遠江を壟断するかもしれません。ここは心を鬼にしてでも禍根を断つべきです」
「遠江を直轄地に?」
「ええ、城代こそ置きますが守護代は置きませぬ。理由は叔父上なら分かると思いますが」
氏親からの問答に、しばし顎に手をやりながら思案し、纏めてから口を開く。
「守護職が在京する制度は、鹿苑院(足利義満)が整えましたが。結果だけ見れば、守護不在による守護代や国人の増長を招きましたな」
「幕府取り次ぎ衆の叔父上には耳が痛いかもしれませぬが、等持院(足利尊氏)の所領割り振りは、後醍醐帝への当て付けなのか、過剰なまでに気前がよすぎました」
「吝嗇では人が続かないが?」
御恩と奉公、ギブアンドテイクの関係をシビアにしたのが、中世日本の封建制度で。婚姻による権利で、土地の所有権を主張したヨーロッパと比較しても、ドライな部分が多い。ただ、上位者の御墨付きなら遵守するという物分かりのよい部分もあった。これも、その上位者が転げ落ちれば、その限りではないのだが。
「程度の問題です。『六分の一殿』と呼ばれるような山名氏や、畿内至近に四カ国も領した赤松氏など正気の沙汰とは、とてもとても。せめて畿内一円くらいは、将軍家直轄地にしておけば今日の惨禍も避けられたものを。正直疑問に思っておりました、下野国が発祥の足利氏が何故に京の都に幕府を開いたのか。鎌倉とは申しませんが、武蔵か上総辺りで幕府を開き、関八州くらい直轄にしていれば、と」
「……帝や公家衆を抑えるには、致し方ないのでは」
「六波羅の故事に習い、代理の者を在京させれば事は済みます。それこそ山城国周辺を、一族と譜代衆で固めれば多少の問題は片が付きます」
「面白い考えをしますな。氏親殿なら、いずこに幕府を開かれますか、仮の話しで」
「……候補としてなら三ヶ国。武蔵、尾張、摂津、そんなところでしょうか」
「尾張か……。他の二ヶ国はそれがしも思いつくが、尾張は考えから漏れていました」
「彼の地は、海に面し交通の要衝。禄高も十分で、隣接の美濃、三河、伊勢を直轄すれば、100万石は優に超える金城湯池かと。正直、駿河よりも実入りはいいでしょうね」
そう語る氏親の視線は、太陽が沈みゆく遙か先を方を向いていた。
地元の有名武将が皆無。豊島泰経なんか、誰も知らんだろうな。