02・龍王丸
調子扱いて二話目も投稿。
文明8年(1476年)・駿河国
「それは……それは真か? 虚報ではないのか、由比?」
「信じたくはございませんが……御屋形様、御無念にて。遠江・塩買坂に於いて横地、勝間田の残党と思しき伏兵に虚を突かれ、御討死なされました」
「……な、まさか」
家臣からの涙混じりの一報に思わず床板に手を付いた室・北川殿はそれでも何とか踏み止まった。戦をしにいったのだ、死ぬ事だってあるだろう。しかし、まさか、そう思うのも無理からぬ事で。女ながら気丈にも踏み止まっただけ立派と言える。
「……それで父上の亡骸はどうなっておる。まさかとは思うが捨て置いてきたわけではあるまいな?」
惣領不在、嫡子である龍王丸が上座から詰問するように問い質してきた。齢6つの童が発したとは思えぬ声の冷やかさに、居並ぶ一族郎党は括目して互いに目配せする。
「関口様を代将にして、御屋形様の亡骸を守ってこちらに」
「遠江勢の追撃はないのか?」
「横地、勝間田の主な将は討ち果たしておりますので、そこまでの余裕は向こうにも」
「……関口なら信が置ける、か。朝比奈主善、前に!」
幼子の命だが、誰も異を唱える事なく指名された家臣の朝比奈主膳も恭しく御前に罷り越した。
「若、御前に……」
「兵500を率いて父上をお迎えせよ。亡骸を奪われでもしたら、今川末代までの恥辱である。今川直参衆を使っても構わない、遺漏なく出迎えるように」
「はっ……遠江残党を相手にしなくてよろしいのでしょうか?」
「深追い無用、今は父上の事だけを考えるように」
「承知しました」
壮年の男が童に頭を下げるのもおかしな話しだが、当主死亡という異常事態に皆の心情も常とはほど遠いものがあった。
「さて、父上が亡くなったのを嘆く気持ちも分からぬでもないが。惣領の座を空けたままでは、斯波を始めとする他国の兇徒に駿河を荒らされてしまう。早々に私が元服して、駿河守護職を襲名しようと思うが。誰ぞ、異論があれば聞こう」
互いに目を合わせ誰かが発言するかと伺う。筋目から言えば龍王丸は長子なわけで、何も異論は無いのだが、いかんせん年齢が年齢で。それに異論を差し挟むものがあったとしても不思議ではない。
「御曹司、それがしに異論はございませぬが、他の一族衆とも合議をしなければ家が割れてしまいます」
「新野か……なるほど、一理ある。代将を務めている関口や瀬名の意見も尊重せねばならんな」
「はい、特に範満様は素直に認めないかと」
「小鹿の叔父御か……」
小鹿範満は父・義忠の従兄弟に当たる。この範満の父・範頼と義忠の父・範忠は家督争いを過去に起こしていた。決着としては長子の範忠が継いだ事で一件落着となったが、今川当主の座に未練があったとしても致し方ない。
瀬名や関口のように家臣化した一族もあれば、隙あれば乗っ取ろうと謀る、範満のような一族も存在する。そんな人物が素直に認めるはずもなく、また、非主流派はそういった人物を担ぎ上げ、己の利益に繋げていく。
「龍王丸殿、貴殿の申し分も理解出来るが、名門今川の名跡を6歳の童にとは……」
「では、空位のまま捨て置きますか、叔父御?」
「いや、そうは言わぬが、なあっ?」
押っ取り刀で守護屋形に駆けつけた小鹿範満が周囲の者に同意を求めると、それに追従する者たちと苦々しく見る者たちに綺麗に割れた。
「一両日に父上がお帰りになられる。弔うのに喪主も居らぬでは死んでも死に切れませんが」
「それは理解しておるが、それと当主の座は別物ではないか。事は駿河一国に留まらず、近隣にも波及する」
「遠江はともかく、海が恋しい甲斐の武田、手詰まり感溢れる関東の諸勢力が箱根の峠を越えて来るやもしれぬのに悠長な事を論じられるな」
「…………」
6歳の童に小馬鹿にされ、一瞬、面相が朱に染まるが一族郎党が揃う場で面罵するわけにもいかず。わざとらしい咳払いと共に何とか踏み止まった。
「龍王丸殿、小鹿様の申し分も道理でございます。後継ぎが赤子なら論外、童なら家臣はもとより、民心も動揺いたします」
「……ふむ、小鹿の叔父御、言葉が過ぎました。父上の死に取り乱したようで、申し訳ありません」
「い、いや、こちらも……御屋形様の事、故に」
いきなり決裂しかねない場面に絶妙なタイミングで割って入った壮年の男は、穏やかな声で双方を窘めるように顔を向けた。
「伊勢殿なら、何か妙案はござらぬか。公儀にも伝手がある貴殿なら、公方様の後援も望めると思うが」
「はて……それは買い被りというもの。それがしにそこまでの権限なぞ、とてもとても」
範満にしても話しの都合で振っただけで、特段期待をしたわけではない。伊勢盛時、通称新九郎と呼ばれる、この男は龍王丸の母・北川殿の弟である。
表面だけ見れば甥の龍王丸に与するところだが、彼は幕府取次衆・伊勢家の出であった。この役職は、将軍家と各大名家との交渉を担う。血縁としてなら甥を支持するだろうが、駿河の安定を至上とするなら範満に与してもおかしくない立場であった。
家臣たちにしても、如何に筋目正しいとはいえ童を当主にするのは一抹どころではない不安がある。せめて十代半ばなら範満が後見で収まったかもしれないのだが。
双方の利害が絡み合い、膠着状態に陥る。この場で女性として唯一同席している北川殿には、発言権は有していない。彼女の実家が駿河国内ならばともかく、勢力としては名門でも外部でしかないのだ。このまま燻った状態で、後日の禍根を残すほど龍王丸は愚かではなかった。そこで、一つの提案を遡上に挙げる。
「小鹿の叔父御、私の記憶が正しければ、叔父御の外祖父は上杉政憲殿であったと思うが」
「……如何にも、関東公方様の重臣であられるが、それが何か?」
龍王丸の年齢でそんな事を知っている事に内心驚いたが、そんな素振りは億尾にも出さない。
「当主云々はともかく、葬儀に参列するのに元服もしていないのは外聞を憚ります。そこで、叔父御の外祖父殿に私の烏帽子親を務めていただくのはどうでしょうか?」
「政憲殿にか?」
「はい、関東公方の名代として。後ろに関東公方、関東管領が控えていると内外に見せ付ければ、斯波や武田も滅多な真似はせぬかと」
「……う、うむぅ」
筋論から言えばおかしい。上杉氏は守護職も拝命しているが、関東公方の陪臣とも考えられる。他家の家臣に名門今川の長子が烏帽子親を願うのは、首を傾げる部分が多い。
「それがしが言うのもあれだが、もし、関東の後見云々を言うなら扇谷上杉の方が良くないか?」
「勢いで言えば扇谷の方があるでしょうね、確かに。ですが、両上杉に対し、今川は何かしらの遺恨を含んでおります。古河であれ堀越であれ、一戦交えておりますから」
「…………血縁頼みで引き込む、か」
「はい、家を持ち出すには双方共に厄介なしがらみが多過ぎますので」
「それは分かるが……」
不承不承といった感じだが、龍王丸の言い分も分かる。室町側に属す今川が要所要所で関東勢力とは敵対してきた。今更と向こうも思うだけに、範満の伝手に縋るのもしょうがない。
「叔父御には手間ではありますが、関東に赴いて向こう様を口説いてもらえませんでしょうか? 叔父御がお帰りになるまで、父上の亡骸は塩漬けにしたまま待ちますので」
「……それがしが関東に下向か」
「手ぶらとは申しません。手土産やらを持たせた上で……」
「外祖父殿とも久しく会っておらぬから、それは構わぬが」
「では、細かい事は内々にして。蔵に放り込んである名刀の一振りくらいなら、父上もお許しになるでしょう、叔父御、持参してくだされ」
名門の御曹司らしい気っ風の良さを見せつつ、ちゃっかりと面倒な頼み事を小鹿範満に押し付けた。
A4、3ページくらいが書いていて無難な気がします。