5.そして俺はどん底で足掻いていた。
あれから二週間。
俺は市役所に生保の申請を出したものの、何もする事がなく、ジリジリと焦りにも似た気持ちを抱えていた。
人間とは不思議なもので、最低限とはいえ、食料が確保されると暇をもて余す。電気を止められ家の中にある電化製品も使えず、ただゴロゴロと無為に過ごす日々。何処かに出掛ければ良いのだが、残金38円では心許ない。それに何よりも、今の俺には外に出掛ける気力も失われていたのだが……。
今の楽しみは、週に一度食料を役所に取りに行くときに、担当のケースワーカーの人に近況報告も兼ねた世間話をする事ぐらいだ。以前は、周りに友人知人が沢山いたものだが、俺がどん底に落ちると、手のひらを返したように近付いて来なくなった。それどころか、俺を避けるような素振りすら見せる。まあ、分からなくはないが、俺が逆の立場でもそうしていただろう。しかし、こうしてどん底に落ちてみると、今までの俺の付き合いが、いかに上っ面だけだったかと良く分かる。
「俺には信頼できる、本当の意味での友達と呼べる者が、ひとりもいなかったのさ。ははは」
俺は暗い部屋の中で、隅の闇に向かって一人言を呟くと、自嘲するように笑う。
俺は生活保護が正式に決定されていない今の状況に、焦りと共に少し精神が病みつつあったのかも知れない。もしかして、それを見越していたのか、昨日役所に食料を取りに行った時、担当の藤井さんに「夜とかちゃんと眠れていますか?」と尋ねられた。
不安に押し潰されそうになってる俺は、当然のように寝付きは悪い。その事を伝えると彼女は「ではこの病院に行って下さい」と一枚の書類を差し出した。
それは、心療内科へ通院するための書類だった。若く見えるが、彼女もそれなりに経験を積んで来ているのだろう。俺の状態など、先刻お見通しだったようだ。
どうも生活保護を受けている人は、医療費については市の方で払ってくれるようだった。まあ、当たり前といえば当たり前の話なのだが。生活困窮者にとって、医療費に廻す金があるなら、先に生活費に充てているだろうからな。
そういう訳で、来週から松田メンタルクリニックなる病院に通う事になっている。通院する際には毎月、診療券なる書類を役所から貰い、病院に提出しなければいけないようだ。それが、保険証の変わりになるようだった。
彼女いわく、何も問題がなければ、その頃には正式決定がおりているという話だが、どうにも落ち着かない。早くその日が来ないかと、カレンダーを眺めて指折り数えてしまう。
そんな風に部屋の中で、時計とカレンダーを交互に眺めていると、誰かが玄関の扉を「コンコン」と何度もノックした。
この部屋は電気が止められ、チャイムが鳴らない。だから、人が来たのに気付かなかった。
そういえば、昨日役所を訪れた際に、近々身辺調査のため住居にお邪魔すると藤井さんが言っていた。中には、嘘の申告で不正に受給を受ける者がいるらしい。それを見極めるための家庭訪問のようだが、俺には元より見られて困るような物は何ひとつ無い。
家に訪ねて来るような者もいない俺は、多分、市の保護課の人間が調査に来たのだろうと思い、玄関の扉を開けた。
だが、そこにいたスーツを着た男性は、こう名乗った。
「住宅管理センターの田中と言います」
そこで俺は、この市営住宅の家賃を滞納していることを思い出した。どうやら、この田中と名乗る男性は、その件で訪れたようだった。