4.そして俺は家庭内サバイバルを始めた。
市役所に生保の申請を出したその日から、俺の家庭内サバイバルが始まった。
相談員の話では、まず間違いなく生活保護の申請は受理されそうなのだが、調査期間の三週間は電気なしの生活を余儀なくされたからだ。電気代を滞納していた俺が悪いのだが、この文明社会で電気というものがいかに大事なのか思い知る毎日だった。
まず、明かりがない。もう冬となった十一月では、夕方の五時になると陽が落ち辺りは暗くなってしまう。朝も六時を回らないと明るくなってこない。明るい昼間の時間は、十一時間ほどだ。
それ以外の時間は、部屋の中は真っ暗となってしまうのだ。
当然、テレビも映らない。携帯電話も滞納して止められている。まあ、携帯はまだ契約自体は残っているから、受けることだけは出来るようだが、充電自体が出来ない。それら以外にも、家の中には電化製品が溢れている。それらが一切使えないのだ。
冷蔵庫に電子レンジ。オーブントースターに洗濯機も使えない。
洗濯するには、風呂場に水を貯めて手洗いだ。
そして一番困ったのはトイレや風呂だった。真っ暗になった密室の中で、手探りで用を足している。
いかに人が、視力に頼って生きているのか良く分かった。
幸いな事に、ガスと水道はまだ生きていた。
電気代は滞納が一ヶ月半も過ぎるときっちりと、電気を止めにくる。
止めにきた電力会社の人に事情を話したが、「規則なので」とにべもなく言うと、あっさりと止めて帰って行った。
何とも非情なものだと思ったものだ。
その点、ガスと水道はもう少し緩い対応だった。ガスはあと少しで三ヶ月の滞納になろうかというのに、まだ止められていない。
やはり、電気ガス水道と生活するのに、重要で無いものから止まっていくのだろうか。
俺は「ふぅ」とため息を吐き出し、テーブルに並べた品々を眺めていた。
テーブルの上には、市役所で貰った、約一週間分の食料が積まれていた。
「サバイバルパン? 今はこんなのもあるんだ」
思わず呟きが溢れる。最近は、どうも一人言が多くなっているようだ。
俺は缶詰をひとつ取り上げ繁々と眺めた。缶詰の中に、拳大のパンが二つ詰め込まれているようだ。消費期限は五年。
昔は災害用といえば乾パンだったが、今はこんなのもあるのかと感心する。
後は、袋にそのままお湯や水を注ぐだけで、白米やピラフになるこれもサバイバル食品だ。
器は要らず袋をそのまま使い、水を注ぐだけで御飯になる優れものだ。最も、水だと三十分ほど待たなければいけないようだが。中にはプラスチックのスプーンが付いている、本当に災害用の食料のようだった。
それ以外にも缶詰に入った五種の野菜と豆のコンソメスープなどだ。
それらが七つずつ、ちょうど一週間分。それにクラッカーが一缶と紅茶のパックが七つ。
普通に食べれば、三日ほどで無くなりそうな量だった。やはり税金で賄っている備蓄用食料。
必要最低限の給出なのかも知れない。
まだまだぎりぎりの生活が続きそうだった。
冬の陽が暮れるのは早い。四時過ぎには夕食のスープを飲み干すと、ベランダから陽が落ちていくのを眺めていた。
テレビやラジオもなく、何も情報が入ってこないのは、世の中から一人取り残されたようで物悲しくなってくる。
隣の部屋から聞こえてくる音が、更にその感情に拍車を掛ける。
やることが何も無い俺は、ベランダから見える街のネオンをいつまでも眺めていた。